理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

お粗末! ガックリくる日本の断熱事情

Mです。

 気温35℃以上が頻発したこの夏以降、9月半ばになっても晴れた昼には猛暑日の基準に迫る気温に晒されている。
 ラジオやテレビのニュースでは、連日、冷房を適切に使って特別な事情がない限り屋内で過ごすように、と注意喚起を続けている。そんなこと言われても、仕事を持っている人々にとって外出しないわけにはいかない。外出すればしたで、路面付近温度は40℃を超えるなかを歩き回り、たどり着いた仕事先に入れば28℃設定の冷房環境にホッとし、終わればまた40℃環境に出る、の繰り返し。まるで、温度ストレスの実験に晒される動物のごとく。熱中症にならずとも、温度ストレスで身体はガタガタになってしまうのだ。

 もはや日本は亜熱帯、という言い回しが的を射てしまっている現状で、ニュースで繰り返されている「涼しい環境」を自宅で実現するのはもう簡単なことではなくなっている。
 冷房装置があるのに使わないで熱中症で死亡した・・・という事故を何度も聞かされるが、高齢者にとっては実のところ”さもありなん”な事例だということを知らなくてはいけない。ここ数十年で多くの家庭が冷房装置すなわちエアコン装置を取り入れてきた。ところが、冷房を嫌うお年寄りは少なからずいて、その原因のひとつに日本の住宅構造にあると感じている。
 冷房という行為自体が嫌いなお年寄りがいることは事実だ。なにしろ、若い頃は団扇、扇子と扇風機こそが冷房手段であり、当時はそれで十分だった。部屋自体を冷気で満たすという発想が不要だったのだ。そのうえ、家屋自体も断熱性無視の通気性が良い構造なので、そもそもそこに取り付けたエアコンが理想の冷房環境を作れるか、というと甚だ疑わしい。事実、小生の母親(92歳、独居)の家も、窓は大きく間仕切りは障子と襖だけ。そんな家の一部屋の鴨居に寄りつけてあるエアコンは、つけられたは良いが実際に稼働しているのを見たことがない。本人曰く、点けたって部屋は冷えない、という。それもそうなのだ。周りじゅう隙間だらけで冷気を囲う構造がないのだから、エアコンと言いながら冷たい空気を吹き出す扇風機としてしか機能しない。しかも、熱い空気の中を進む冷気は、3メートルも進めば混和してただの室温風になってしまう。そんな状況では、冷房なんて意味がない、嫌いだ、となってもちっともおかしくないのだ。それなら扇風機に当たっていた方がまし、となる。
 もちろん、死亡例で明かされる環境はアパートの一室であることが多く、年金暮らしのお年寄りが冷房はお金がかかるという現実的な感覚からエアコンを使わなかったのだろうという推測も間違っていはいない。とはいえ、効率の悪いエアコン、というイメージができあがってしまっている要因が、住宅の構造にある、というのは疑いのない事実なのである。

 今日見つけたinfoseekさんのニュースにまさにこの問題点を鋭く突いている記事があった。
  https://news.infoseek.co.jp/article/goldonline_63410/

 なんだよ、ニッポンってこんなにお粗末なのかよ! と、ガックリくる記事である。
 技術先進国と唄ってきたニッポンは、亜熱帯化が進む現状のなかにいて、なんと世界のなかで”超”断熱後進国なのだ。

 Mは、断熱に関するノウハウを使ってメシの糧のひとつにしている。だから、断熱という行為にはそこそこ敏感で、我が家は断熱建材の先駆けにもなっているヘーベルハウスで建てた。10年前まではその建築構造だけで十分暑さ寒さが凌げたが、最近になってやはり夏の暑さには耐えきれなくなった。エアコン無しだった我が家にも、3年前ついにエアコンを装備した。とはいえ、700W 級の窓用エアコン一基なのだが、自分としてはそれでも悔しい思いが残る。この一基で現状20畳以上を十分涼しく保てるので、家の構造主体であるヘーベル板の性能に感謝なのだが、この対応の際にこれじゃダメだよな、と感じざるを得なかったのが窓構造だった。
 今回の記事は、まさにこの問題に対する指摘だったのである。

  ヘーベルハウスは断熱家屋だと唄ってきている。しかし、窓をはじめとしたヘーベル板の無い構造部分に関して言えば、アルミとガラスだけに頼った”高”熱伝導構造を採用していた。30年前の建築当時では、それでも十分に高断熱家屋だったのだが、温暖化が騒がれるようになって不十分さが認識され、2重窓を推奨する仕様を取り入れて「機密家屋」化してきた。その仕様で確かに断熱性能は上がっただろうが、基本はアルミ枠にはめ込むガラス構造をいじっただけで、本質的には何も変わっていない。むしろ、機密性が高まることで冬期の暖房時に発生する屋内の結露とカビの発生について見れば、屋内環境の悪化に繋がった面もある。アルミは、PCの心臓であり脳でもあるCPUの発生する熱を放散するための高性能熱伝導ヒートシンクとして使われている素材だから、この金属を窓枠に使っていること自体が、本来NGなのだ。それをいち早く認識したヨーロッパは、建築の基準に窓枠の断熱効率を追求し、熱伝導率の低い樹脂製窓枠を推奨するようになった。(下図参照) 木造家屋中心の日本で使われてきた木製窓枠は、樹脂枠に大きく劣ることがなかったが、アルミサッシ全盛の建築業界ではもはや使えない素材となってしまったために廃れてしまったのである。

  世界的に見たこの事情は全く知らなかったのだが、ついに窓用エアコン設置に舵を切らなくてはならなくなった時、Mは窓の断熱も行わなくては無理だと気づき、必要な場所すべての窓にアルミ反射材貼付の断熱シートを貼り付けた。ドイト店で売っている大型の断熱シートである。アルミ反射面を外に向けて、アルミ枠窓全体をシートで覆ってしまった。引違い窓なので開閉に若干の無理がかかるが、貼り付け方でどうにか凌げるし、むしろ断熱のためには開け閉めしない方が良いので、もはや閉めっぱなしの方が多い。アルミ枠とガラスの台所窓やトイレ、洗面所の小型窓には、アルミホイルを貼り付けた発泡ポリプロピレン板(20mm厚)をきっちりとはめ込んでしまった。これらの追加作業の効果は抜群で、そのおかげでたった700Wの窓用エアコンが20畳あまりの空間を冷やしてくれるのである。

 断熱という行為は、単純なだけにその効果が目に見えてわかる。家の構造を変えることはかなりのコストを要することだが、断熱が行き届いていない箇所を手に入る材料で補うだけで高い効果を得ることが出来る。
 たとえばドイト店の資材コーナーでは、1000×2000mmサイズの断熱材料が何種類も売られている。発泡スチロールの薄板もあれば発泡ポリエチレンや発泡ポリプロピレンの板も売られている。断熱性能で言えばスチロールが最も効果が高いが割れやすい、欠けやすいという弱点がある。性能は若干落ちるが他の2材料は壊れにくいメリットがある。プラダンと呼ばれているプラスチック製段ボール素材もそこそこ断熱性がある。そんな材料たちに台所のアルミホイルを貼り付けると、なかなかの断熱材料に変身するのだ。

 家全体を改造するのは難しいが、特定の部屋だけをもう少し快適に、くらいなら、工夫次第でけっこうな改造ができる。

 ますます厳しくなるだろう気象条件のなか、自分で出来るプチリフォームを試してみてはいかがか。これらの工夫は、冬の室内保温にも同様の効果をもたらすのだから。

熱中症はヒトのみにあらず! セミよ おまえもか !?

Mです。

暑い、暑すぎる!

 年々、夏の厳しさが増している気がするのは自分だけではないと思う。
 田舎のみどり多い地域でさえ、2024年は35℃が珍しいことではなくなっている。吹きすぎる風がいくらかは涼をもたらしてくれるが、それでも外仕事をするには危険を感じる。ましてや、コンクリートアスファルトで地表が覆われ、角柱構造物の内部を冷やすために排出される熱がこもる都会部ともなれば、ヒトの背丈付近の外気温は軽く40℃を超している。場合によっては50℃を越えているかも知れない。チャリで走り抜ける時の吸気が気道を焼きながら肺に入っていく感覚は、もはや灼熱地獄とはこのことか、と思わせる。

 これも年々強く感じていることだが、梅雨はもはや東北地方以北にその中心を移しているように思う。特に今年の梅雨は、いわゆる梅雨前線と呼び慣わされている南西から北東に斜めに停滞して長く雨を降らせ続ける気象条件が東北地方に長く留まり、山形県秋田県地域に多大な被害をもたらした。氾濫するなんて思ってもいなかった、と山形出身の知人が言うように、最上川さえ水を溢れさせてしまったのだ。その長雨は北海道にも及んでいて、「梅雨がない」と言われ続けてきた彼の地にも、これまでの関東以西の梅雨と同じような気象現象をもたらしていたように思える。NHKの報道にも、今年に限っては「梅雨のない北海道にも」という表現が使われていなかったように思う。
 これまでの常識的な梅雨は、もはや日本列島には存在しないのではないだろうか。もちろん気象庁さんはなかなかそんなことは言わないのだろうけれど・・・
 
 そんな気象条件のせいなのか、ここ数年気になっているのが6月以降のセミの発生時期のおくれである。

Wikipedia ニイニイゼミ より拝借


 もの心ついてから半世紀以上、Mは野の虫たちと近しく交わってきた。ムシ小僧というわけではないが、草木も含めていきもの全般に興味が深いので、いろいろな生きものたちとつきあい、特に目にとまりやすいムシたちを見てきている。若い頃4年間過ごした札幌で、本州とかなり違うムシたちを目にしたことが更に刺激となり、生息環境とムシたちの出現次期に注目するようになった気がする。関東に定住してから40年は、夏のムシたちの出現時期の変動を、注視というほどではないけれど、毎年気にしながら観察してきている。
 そんななか、去年気になったのがニイニイゼミの出遅れだった。
 梨畑の多い地域で育ったので、セミの個体数がめっぽう多い環境が身にしみていて、毎年6月に入ると何となくニイニイゼミの初鳴きに注意を払ってきていた。それまでの経験で、ニイニイゼミは6月半ばが自身の常識だった。しかし去年、それが10日ほど遅れた。年々梅雨時期が不安定になってきているとは感じていたが、それでも6末になってニイニイゼミが鳴き出すという経験がなかったのである。そして今年、梅雨が来ないのではないかと思っている中で彼らの初鳴きを聴いたのは、なんと7月に入ってからだった。
 セミたちの出現は地温の積算と関係しているのだろうが、5月から暑い日が続くなど、決して夏前が低温に晒されていたわけでもない。むしろ稲田の生育を見れば、高温つづきで生育は前倒しで来ている。早場米地帯として知られている千葉県北東部では、通常なら盆明けに始まる稲刈りが、今年は8月10日を待たずに始まったそうだ。現に、その地域に墓参りに行った昨日見た稲田はすでに2割ほどが稲を刈り終えており、中にはひこばえで田んぼが緑に染まりはじめているところさえあった。今まさに稲刈り中という田んぼもそこここに見られ、盆明けには半分以上の田んぼが収穫済み、となりそうだった。
 こんな状況から考えると、ニイニイゼミの初鳴きが遅れている理由がわからない。
 ほかのセミについても、アブラゼミの声を聴いたのが8月初旬、ほぼ同時期にミンミンゼミが鳴きだしたのだが、これも、記憶にある鳴き初め時期より1週間から10日遅くなっている。これまでなら盆時期には既に聴いているはずのツクツクホウシをまだ鳴いていないし、夕刻のヒグラシ大合唱も聴いていない。総じて遅れているようなのだ。

 はてさて、気温が高めに変化してきている一方で、セミの出現が遅めに推移していることはどう関連しているのか?
 ちなみに、我が家周辺の自然環境はほとんど変化していない。木々の伐採が進んでいるわけでもなければ草地が減ったわけでもない。強いていえば、セミたちが幼虫時代を過ごすはずの人の手が入った山林、つまり下草刈りなど人の手がちゃんと入る場所が減ってきていることだけは確実だと感じている。
 だとすると、セミたちの個体数が大きく減少しているために鳴き初めを耳にする機会が減っていて、相応の個体数が揃うまで聴き取れないでいる、ということなのだろうか、と想像している。

 たった数年で結論めいたことは言えないだろうが、これから5年ほどは、もう少しきちんとしたデータ取りをしてみようかと感じている。

 関東以西は、もはや亜熱帯なのかも知れない。

 30年ほど前までは、北海道は米は作れても旨い米は獲れない、などといわれていた。が、今は違う。東京で旨いと評判のおにぎり屋さんで、北海道米を指定しているところがあるという。むしろ、いちばん旨い米が獲れるといわれていた新潟で、酷暑のため質の低下が危惧されているという話を聞くのである。

 地球規模の気象変動が進み、それが動植物界に目に見える変化を起こしはじめている、というのがまさに今なのかも知れない。

 そういえば、トンボが群れ飛ぶ夏の風景は、もはや期待できない。実感として、トンボたちの生息数は、こども時代の1割ほどしかないような気がしている。

 自然保護、環境保護、と声高に叫ぶのは性に合わないが、気候変動は仕方のないこととしても、生活環境内の自然はどうにか保ちたいものだだと思っている。

都内の おかしな駐車メーター事情

Mです。
駐車監視員の業務範囲改正を求む!

 都内をクルマで動き回ることも多いので、そのたびに苦労するのが駐車場探し。大型ビルの並ぶ都心部ではもっぱら駐車メータ頼みだし、都心部から外れた地域では幹線道から少し入り込んだ路地などにまばらに存在する小さな駐車場にお世話になることが多い。都外なら、少し遠方になれば一日600円なんて駐車場もざらにあるが、少なくとも23区内ではそんなことはあり得ない。
 行動範囲の千代田区台東区あたりだと、山手線至近なら4時間で2~3千円が相場だし、東にずれて隅田川に近づくと同程度の料金で駐車可能時間が8時間に変わっていく。さらに隅田川を渡って墨田区に入ると、今度は8-19時1,000~1,500円のように一気に割安になっていくので、なるべく安い場所を探しておいて安い順に訪ねていくことになる。

  そんな駐車場難民としてどうしても理解できないのが、駐車メーターで違反シールを貼られるパターンの不可解さ。
 最近はすごく注意しているので貼られてはいないが、もう5年ほど前になろうか、秋葉原で部品買いして戻ったら3分オーバーで違反シールが貼られていたことがある。誰が貼ったのか、駐車監視員なのか警邏の警官だったのか? いずれにしても、ただただ運が悪かったに尽きる。だって、隣のクルマは未納で65分経過しているのにおとがめ無しだったのだから。オレのクルマってそんなに目立った?

 数日前、神田の薬問屋さんが集まる界隈の細道で、おかしな光景に出くわした。ハザードランプを付けて停車し、ハッチを開けて持ち物の整理をしていたのだが、後ろに2カ所あっていずれも枠内駐車していた駐車メーターで、片方の時間オーバー(40分オーバー)に駐車監視員が違反シールを貼っていた。が、よく見ると、隣のクルマは未納ランプがついたまま340分を表示しているのにシールを貼らないのだ。なんじゃそれ!と思い(実は憤慨しているのだが)、二人組で仕事している監視員の一人に、「なんで未納で長時間止めている車がセーフで、40分オーバーだけに違反シールなのか!?」と聞いたのであった。その応えに唖然、「未納は我々の管轄ではないので・・・」とのたまい、ニヤニヤ笑いで去ってしまったのである。

 そんなバカな! である。

 モヤモヤしながらも放っていたが、連休の恩恵で時間があったのでネットで調べてみて更にビックリ。駐車監視員の職務である違法駐車には、駐車禁止区域などでの駐停車の監視と駐車メーター関連の違反駐車監視があるのだが、メーター関連には驚くべき「穴」があるのだと知った。

※関口法律事務所の方が解説している下記サイトを見ていただくと理解できる。
 https://sekiguchi-law.com/post-4086/

 なんと、駐車メーターに関する駐車監視員の業務範囲には、制限時間違反・指定方法違反(不作動違反は含まない)しかないということなのである。つまり、未納状態は、カッコ内の不動作違反に相当するため、駐車監視員は取り締まることができないのだ。それが、ニヤニヤ笑いで立ち去ってしまった監視員たちの壁だったのだと知った。

 これを知って、モヤモヤ、いや、むしろムシャクシャして来た!v
 では、未納でメーターを使っている車は駐車違反にならないのか!というと、そうではない。駐車監視員の職務範囲には入っていないが、本来の警察署員がおこなう取り締まり対象にはなっているので、おまわりさんが見つければ切符を切る、のである。

 とはいえ、警察官の人員不足があるから作らざるを得なかった駐車監視員制度だから、署員がメーター違反のために歩き回ることはごくわずかだろう。新人教育で交通課の職員が二人連れで動き回る新年度1ヶ月ほどの現場研修期間は「キビシク」取り締まられるのかも知れないが、それを過ぎてしまえばまずは安心、という状況なのかも知れない。実を言うと、5年ほど前の駐車時間オーバーを見つけられたのも4月だった。

 駐車監視員の採用は、各警察署長の権限で行われる民間委託だ。ならば、その職務範囲にメーター管理の徹底を入れたらどうなのか。荷下ろしでハザードランプを付けたままドライバーが行ったり来たりしている隙に急いで写真を撮って駐車違反シールを貼る行為は、さすがにウンザリである。それよりも、決まった場所にある駐車メーターをしっかり管理してくれれば、駐車スペースが足りないために起こっている短時間荷下ろし駐車の解消にもつながり、まっとうな駐車監視になると思うのである。

 毎日のように通る場所にある駐車メーターには、週のうち3日は同じ車が超長時間駐車をしている。未納で340分というくだんのメーターである。一度は520分という時もあった。
 はてさて、最高記録はどのくらいまでいくだろうか・・・

交通法規は誰のため?

Mです。

東京の道路は、危険がいっぱい!
 
 とは言っても、クルマがウヨウヨしているから危険、という意味ではない。むしろ、適度に歩道が整備されていて、適度に路面状況が良いことでかえってコワいのだ。

 以前、電動キックボードが一般道での使用認可されたときにも触れたのだが、田舎のでこぼこ道では使えない楽ちんツールが、安易な使い方をされるために都内のような良好道路環境下ではけっこう危ないツールになっている。

 使用者がかなり増えた電動アシスト自転車もしかり。グイッと踏み込めば、さして脚力がないご婦人でも、信号が変わったとたんに横断歩道にサッと飛び出して歩行者をすり抜け、そのまま歩道を突き進んでいく。そんな光景が、もはや日常茶飯事。スポーツサイクルを駈るお兄さんが車道の端を進むのと同じ速度で、歩道を突っ走ることができてしまう。時速25Km/Hrまではアシストしてくれるので、とにかく加速度が半端ない。ハンドリングが巧みな人ならそれでも大丈夫なのかも知れないが、どれだけの電動アシスト運転者がその域に達しているのかと想像すると、ちょっとコワい。

 その電動アシスト自転車のように見せかけて、実は「電動自転車」があたかも適法であるかのようにしてネット販売されている現状が、先々週の新聞紙上で取り上げられていた。

参考;朝日新聞、10月26日朝刊社会面

※    実物はこんなの

   

 だいぶ前から、太いタイヤでフレームが異様に太く角張った真っ黒なアシスト自転車だろうと思われるモノを目にするようになったが、やはり違法モノだったのだとわかった。

 なにしろ、ほとんどペダルを踏んでいないのに原付自転車(原付バイク)と同じかそれ以上の速度で車道を走るのである。たいていは若いお兄さんで、黒塗り車体に似合う若干いかつい感じの人が多い。さも自慢げに車道を突っ走っていく。少しでもペダルをこいでいるマネをするのはかわいげのある方で、まったく踏むこともせずにただただスピードを上げていく輩は、何とも憎々しい。あきらかにスロットルを回して加速しているのが見え見えで、なんで許されているのか不思議でならない。原付バイク以上の速度で走りながら、もちろんノーヘルメット。警察は、交通安全週間のたびに都内各所でバイクの検問を設けてバイク乗りを監視しているが、一度として電動自転車をチェックしているのを見たことがない。それどころか、バイクを止めて免許提示を求めている警察官たちの脇を、黒い「電動自転車」がペダルで走ってま~~す、と緩くペダルをこいで通り過ぎていくのを見たのが何度あることか・・・ つまりは、一旦許可してしまった交通ツールについて、違法なツールにもかかわらずチェックされずにいて、規則の安全な運用が損なわれている現実がある、ということだ。

 警視庁のページでは、「電動モビリティーの交通事故防止」というサイトでこの手のツールをはっきりと自転車ではなくバイクであると定義し、ナンバー取得が必要としている。でも、実際には取り締まれていない!

※「電動自転車」って自転車?バイク? のページ
https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kotsu/jikoboshi/electric_mobility/pedal.html

 これは、電動自転車に限ったことではない。後に認可されてだいぶ貸し出しステーションが増えてきた電動キックボードも同様。ヘルメットは努力義務で、時速25Km/Hr以下、6Km/Hr未満なら歩道もOK、というが、後方確認のミラーを付けることになっていたはずが、それがないものも走っているし、歩道を明らかにアシスト自転車並みの速度で走っているのも見かける。
 結局は、こっちの規則も「ザル適用」なのだ。

 自動車の運転免許を取るとき、そして更新するときには、みんな毎回それなりの経費をかけて免許の維持をしている。その一方で、自転車と同格だからとほとんどノーチェックで済まされている電動ツールが、提供する事業者に甘く、発生するかも知れないトラブル被害者にとって無慈悲な状況を生んでしまう現状を、交通法規を定めてそれを運用する側はもっとしっかりと捉えてもらわないと困る、と思うのだ。

ユーミンの世界 その2 " 万年筆 "

Mです。

 自身の生活の中で、最近めっきり減った行動のひとつが文章を手書きすること、である。
 毎日数千字の文字を書いてはいるが、ほぼキー入力だ。気づいたこと、思いついたこと、アイデア、なんぞを都度付箋や雑紙にボールペンで走り書きしておく以外、手書きすることはほとんど無い。運転中に思いついたことは、デジタルレコーダーに吹き込んでおいて、後から聞き直して文字に起こす。それも、直接PCで打ち込んでしまうから、ここでもペンは使わない。とにかく、とてつもなく便利なワープロソフト(初期からずっと一太郎系)のおかげで、文章作成の速度はかなり上がった。あれっ、どんな字だっけと思い出せない漢字も、辞書引きすることなくほとんど済ませてしまえるから、効率がめっぽう上がったのだ。
 その一方で、手書き自体が難しくなってしまったのも事実。遅いし、漢字を思い出せないことがしばしば。横文字の単語も、あれっLだっけRだっけ?なんてことがしょっちゅうだから、入力してからワープロさんに修正してもらえる有り難さは、もう絶対捨てられない。

 こんな生活の変化で全く使わなくなってしまったモノのひとつが ”万年筆 ”だ。
 学生になった頃は、ちゃんとモノを書くときは万年筆、それ以外はボールペン、がマイルールだった。同じようにしていた人も多かったと思っている。
 万年筆で書かれた文字には、何となく品があって落ち着きがあった。液だれがしばしば起こったボールペンは、素早く使うには便利で、消えることもなかったから、殴り書きできるペンとして重宝していた。学生時代の実験ノートも、鉛筆とボールペンが入り交じっていて、データはボールペンで記すことを守っていた。改ざんしないという意思表示と、消えないという安心感の二つがこもっていたのである。そして、まとめて論文にするときには万年筆の登場。修正液で消す頻度をどれだけ少なく出来るかを自分に課しながら、じっくりと頭の中で文章を練りつつペン先を滑らせる摩擦音に酔っていたのかもしれない。それだけ、万年筆は「本物」を作る時のツールとして重要だったのである。

 ああそれなのに・・・・
 もう30年以上、Mの万年筆は引き出しの中に閉じ込められたまま。多分、インクが乾いて固まってしまっているから、使うとしたらペン先を外して超音波洗浄器のお世話になるしかないだろう。復活させることは出来るだろうが、使うときが来るのかどうかは疑問。ちょっと使ってみたい気はするけれど、多分面倒になって引き出しに戻ることになるような気もする。常時使用しているポールペンが、今ではかなりの進歩を見せていて使い勝手が良いだけでなく、ほとんどの公式文書への記載がボールペン推奨になっているほどだから、社会的認知が行き届いてしまった。趣は格段に違う、とはいえ、いまでも万年筆を常用している方がどのくらいいるのだろうか、と疑問に思う。松本清張氏が極太の万年筆を持ちながらたばこを吸っていた写真を見た記憶があるが、作家先生方でも、万年筆派はだいぶ減っているのではないかと想像するのである。

 趣がある、と書いたが、まさに万年筆の文字はボールペンとは全く違った個性があると思う。ボールペンは紙にボールチップを押し当ててインクを出させるから、筆記具としては筆圧がかかる鉛筆に近い。一方、万年筆は、それ以前の羽根ペン時代からの系譜に連なるので、筆圧は掛けない。ペン先の隙間に溜まったインクを滑らすように紙に載せていく感じ。力を加えることなく、ペン自体の重さだけを使って指は前後左右の方向だけをコントロールする書き方なのだ。この動きのクセが人それぞれだから、万年筆の文字にはその人特有のカタチがあっておもしろかったのである。肩の丸みが暖かさを感じさせる字、書き始めと跳ねが剛胆なゴツい文字、流れるように続く優しい文字、などなど。Mの万年筆文字は、一生懸命書いたことは分かるがどこか堅苦しい文字で、万年筆を使いこなせていた人のものではなかった。自分の文字を作りたい、と思っていたのに、そうなる前に万年筆を引退してしまった。

 筆圧を必要としないから、万年筆ならどんな紙にでも文字を書くことが可能になる。
 例えば、喫茶店の紙ナプキンでも、滑らせるようにして文字を書くことが出来る。ボールペンだと、多分破れてしまうだろう。もちろん、えんぴつは論外。毛筆なら可能だろうが、これもまた事実上は論外だろう。

ブログ:大草直子の毎日AMARK より拝借いたしました。 
https://amarclife.com/blog/20210910/

 

 さてユーミンの世界。

 上記の紙ナプキンは、まさに「海を見ていた午後」の世界である。地元ではレストランの方より同名のラブホテルの方が認知度が高かったという噂もある「ドルフィン」の窓辺で、ソーダ水のなかを横切る貨物船を見ながら、忘れないで、と紙ナプキンに書いたのである。
 もちろん、万年筆で、とはうたわれていないが、ボールペンではないはず。なぜなら、「インクがにじむから、やっと書いた」のだ。そしてきっと、この万年筆のインクはブルーだったのだろうなぁと勝手に思っている。コンクブルーだと、なんだか堅苦しい気がするから。
 難しいけれども紙ナプキンに文字が書けた彼女は、きっと万年筆を使い慣れた人だったのだろう。いつも携えていて、ちょっとしたメッセージを残すにも紙切れにブルーインクでサラっと書く、そんな人なのだと想像した。
 薄めのブルーインクが窓の向こうに広がる海の青ににじむように消えていってしまう、そんなやるせない感情がゆったりとしたメロディーラインにのってフェイドアウトしていく名曲である。
 
 万年筆のインクは水でにじむ。
 「青いエアメイル」がこの世界。
 上述の曲と同様に、静かにゆっくり流れる名曲で、その印象を際立たせているのが雨の日に届いたエアメイル。今日か明日かと心待ちにしていたのだろう、ポストに落ちた音を耳にして急いで取りに行く情景が、せつなくてかわいい。エアメイルの宛名書きも送り主名も万年筆で書かれているのは間違いない。「雨に濡れぬうちに、急いで取りに行く」のである。目当てのエアメールだとわかって、彼女は差していた傘を肩で押さえて待ちきれず封を開ける。中にはクセのある文字が並んでいてせつなくて歩けなくなる・・・
 この恋がその後どうなるのかはわからないけれど、彼女はずっと彼のことが好きだと心の底から想っている。その想いがとてもやさしく、かつ、たくましい。

 これら2曲は、万年筆の文字が共通のキーになっていると思う。スマホ時代の今ではとうてい考えられない、想いを「自分の文字」にして相手に送る、という行為を、特徴のある文字を生み出す万年筆というツールが可能にしているのである。
 ボールペン習字なるものが新聞紙面でカルチャー講座に取り上げられているけれど、万年筆の文字は上手く書くことが本質ではなく、自分の文字を作ることに意味がある特殊なツールなのだ。

 そんな特殊なツールが、昭和を紡いできたユーミンの世界に生き生きと輝いているのだと思うと、なんだか不思議でもある。

 う~~ん、引っ張り出してみようかな、万年筆。

デジタル化をあせるな!

Mです。

 近しい世界でゴタゴタがいくつも続いて、だいぶこの場から遠ざかっていた。
 その間に、世の中でもゴタゴタが発生して、しかも収まるどころか次第に深刻化している。デジタル庁という、名称と中身にだいぶ齟齬があるように見受けられる組織が進めるマイナカード騒ぎだ。

   

 すでにすべての国民に振られているマイナンバーを元にして、個人データを国レベルの統合システムに吸収して、将来的に役所業務の効率化とサービスアップが図れるようにするのだ・・・ 的な、見栄えの良い題目を唱えて突き進む公共サービスのデジタル化路線である。

 とはいえ、高度成長期の放漫ハコモノ行政とおなじく、マイナカードを作ればお金をあげるよ~~ と2兆円だかをばらまいたあげく、1対1で紐付けたはずのデータが食い違っているケースがいくつも起こったり、廃止するからと脅して紐付けさせた保険証が医療現場でアクセスできなかったり、初歩的なミスが元になった珍現象(笑ってはいられない!)が続々である。その後始末に、現場職員総動員で点検だ! と、今さらながらのアナログ対応。音頭取り大臣一人の責任にしてトンズラしようとする政府は、根本から考え直すべき断崖の淵にあると感じる。

 そもそも、政府関係者は、デジタル化という言葉をどこまで理解しているのか疑問だ。 たぶんなのだが・・・ 彼らの言うデジタル化は、だいぶ前に始まって経済界では当たり前になってきているペーパーレス化と同義なのでは、と思ってしまう。
 手書き文書、手書き書類、手書き仕様、手書き請求書、云々の様々な連絡、業務文書などを、一定のフォーマットに統一していってPC上で入力し保管管理する、文書・書類の電子化が、デジタル化という流れの始まりだった。
 ただ、これは、業務を手書きから入力に変えて、誰もが紙のやりとりなしに情報をPCとネット環境を使って共有することに目的があっただけで、真のデジタル化の前段階だといえる。なぜなら、同じアプリ、同じシステムを使っている者同士ではやりとりが出来るものの、外部の者がアクセスしても見られるモノは文書や帳票の写真と同じものであって、データそのものでは無い。現在多用されているAdobe社発祥のPDF書類と同じで、見て読むことは出来ても、データとしてはそのままコピペできない。つまり、電子化で止まっていて真のデジタル化情報ではないのだ。同じシステム内でのデジタル化で止まっている。
 そうは言っても、これだけでも、学術社会を含む産業界全体にとって、電子化は大いに役立ってきた。データそのものにアクセスされて改変でもされたらオオゴトだから、内容はわかるが元は浸食されない、というレベルでも、物事の効率は飛躍的にアップしてきたのだ。かつては膨大なファイルの中から必要なものを抜き出してコピーする、なんてことをしていた事務作業がなくなり、必要ファイルをひょいひょいと集めてつなげればプレゼン資料もあっという間に仕上がる。夜中まで会議資料を作っていた時代は、もはや遠い昔なのだ。(そうでもない事業所もまだまだあるけれど・・・)

 そんな文書作成・保管の効率化を、政府の皆さんはデジタル化と思っているのではないか、というのがMの読みである。デジタル庁大臣も、多分そうだ。

 しかし、本当のデジタル化はこの先にある。

 今問題になっているマイナカードへの紐付けトラブルは、電子化レベルの資料を個人のカードと紐付けて便利になります、と言っているレベルだ。誰がその紐付けをするのかといえば、行政職員と本人の責任。そこでミスがあれば、検証も出来ないまま紐付けが固定化して、コンビニで住民票を取ったら違う人のが出てきた、診察に行ったら保険証確認が出来ない、などが起こっても現場対応は不可能なのだ。そんなこんなのゴタゴタを、さあ総点検だ! と号令をかけたところで事態が収まるとは思えないのである。   

 かつての年金機構の消えた年金データもそうだが、結局は現場職員の入力ミスが何件などと、結果のミス検出数だけを公表して、修復を指示します、と逃げれば終わりだと考えているのではないかと思ってしまうのである。

 本当にデジタル化を目指すなら、国は最低10年はかけて、個人データと紐付けすべき対象を各界で絞り込み、個人データの侵害が起こらない境界を確実に作り上げることから始めるべきだ。今はほとんどデータとして入力されているはずの各種データを、「共通のデータベース」に落とし込むことが求められる。この共通データベース・システムこそが、デジタル化の中心となる。そして、これは神聖領域として保持されなければならない。浸食されそうになったらすべてシャットアウトする機構に守られる。
 ここで最重要なのは、①浸食されてはならない個人データの入れ物を国が保証して構築し、②その外側の各種システムを、相互変換可能なものに統一していく、という作業だと思う。いささか抽象的なので言い換えると、個人データは大金庫内の個人用施錠引き出しに納めておき、表に出して良いデータと本人しか見られないデータを別の容器に入れておく。これが、①である。行政、医療現場等が必要になるデータは、全国共通のシステムから既存の自治体サーバー、医療機関のサーバーなどにアクセスして①の箱から必要なモノだけ取り出せるようにする。これが②の共通システムである。だれが、いつ、なにを、取りだしたのかが逐次記録されていくことで、後の検証が可能となる。
 このような仕組みを作れたら、特定個人のアクセスコードをマイナカードに記憶させ、いろいろなサービスにアクセスして必要な情報をどこにいても安全に取り出すことが出来る。

 言うだけなら簡単なのだが、じつは、こういう統一システムを作るのはとても大変な作業になる。そもそも、世界にあまた在るデータベース・システムは、その構築者がそれぞれ企業化していて、共通部分はあるもののそれぞれが独自のシステムを作り上げている。同じシステム同士なら世界のどこからもアクセスしてデータの取り出し、加工ができる。しかし、他社システムに入り込んでそれを行うことはお互いに出来ないようにガードしている。それをやるのはブラック・ハッカー。だから、上述の②を行うには、国内に多数存在しているデータベース・システムの管理者了承を得た上で、国レベルでのデータ共有化を進めなくてはならない。その必要性を説き、納得させ、協力を得る、というのが本来のデジタル化を目指す「国」の仕事なのだと思う。

 これを行うには、何代もの政府が共通認識で立ち向かう必要があるだろう。政権が変わってもそれが継続できるほどの、国民的な共通認識を固めておかなければ、実現しないと思う。
 小手先の「便利です」説得で普及を図ろうとするマイナカードは、デジタル化社会の象徴にはほど遠く、やっと電子化社会に踏み込んだ程度の段階だということを、デジタル庁のお役人たちはわかっているはずだ。ただ、「電子化」イコール「デジタル化」と思っている政治家たちに付き合って黙っているだけだと思えるのだが・・・

 布マスクに800億円投じてしまった政権だから、マイナカード普及に2兆円なんて、
仕事しました、の証しくらいにしか思っていないのではないか。でも、そのお金も、物価高騰にあえいでいる国民から吸い上げたモノなのです。
 あっ、だからカード作ったらお金をあげる、って言ったのか!! 
 政府の言うこと聞けば、吸い上げたモノ少し返すよ、って。

 愚痴ってしまいました・・・

藤の天下取り それは危険なシグナル

Mです。

 今年の東京近辺では、3月半ばにソメイヨシノが咲き始めて一気に咲き進み、4月には既に桜吹雪が舞っていた。
 かつての入学式祝辞の定番に「サクラもほころび」という言い回しがあったが、少なくともこの10年は、その言い回しが卒業式用に横滑り採用されて来たように感じる。温暖化というけれど、そんな変化を見てくれば、確かに日本は暖かくなっていると思わざるを得ない。

 その流れの中でも、今年はことさら暖かい日が多い3月だった。4月になるともう5月を思わせる日が何度も訪れたから、草木はそれに応じて一気に芽ぶき、花を咲かせた。
 なかでも、郊外の野山をパッチパークのように色づかせた野生の藤が見事だった。
 4月半ば、仕事で走った成田近辺の里山のそこここに、淡い紫の花がいくつもの群落を作っていて、100Km/H越えで突っ走る窓から何度も眺めることが出来るほどだった。通常は5月初旬に満開、というのが記憶の中の藤だったから、ソメイヨシノと同様に半月以上早く咲き誇っていた、ということになる。

  

   ↑ 野生の藤 Wikiさんより拝借

 きれいだなぁ、と思いながら見ていたのだが、ふと???の疑問符。
 何であんなにたくさん群落があるんだろう、と気になったのだ。むかしから、関東地方の野山には藤があった。が、大きく繁殖していることは少なくて、野山のそこここに小さな薄紫の塊がちらほらと見えているのが普通だった。たまたま大きなものがあっても、次の年には切り取られてなくなっていたり、少しだけ残されている、ということが多かった。
 つまり、野山の管理者から見ると、藤は増やしすぎてはいけない植物なのである。

 葛藤 ということばがある。
 くず と ふじ。 どちらもつる性の植物で、ほかの木々の体を支えに使って繁茂していく。実際は葛と藤が生長争いすることは少ないのだが、互いに譲らず争い合う、という意味合いで、これら2者が戦うかのように使われている。実際の戦いは、むしろ葛あるいは藤と、彼らが絡みつく相手である灌木や喬木との争いで、絡まれた側は、日光を遮られて成長が妨げられるからやっかいである。
 ことに藤の場合は、数年もするとツルが太く固くなって絡みついた木の幹を絞りつけて食い込んでいく。先端はどんどん上を目指すから、たとえば高さ10mを軽く越える杉だとて、てっぺんまで藤に覆われてしまう。そうなっては、太い幹の木であっても栄養不足と幹の物理的な損傷のダメージから、数年もすると弱り、ついには枯れてしまうのである。

 それがわかっているから、里山の管理者は、林や森の健康を保つために行う下草刈りや枝払いの際に、木に絡みついている藤を除去してきた。完全除去は不可能だが、少なくとも必要な木の生長に影響しないように切り払っていた。それでも、翌年には外から見てわかる程度にきれいな花を咲かせていたのである。

 ということは、見事な藤の群落をきれいだと感じさせた今年の風景は、里山管理が一気に貧弱化してきたことを意味している、と考えることが出来る。
 まだ里山が目覚めきらない中で一気に花を咲かせたからいつもより目立った、という可能性もある。ただ、杉一本を覆い尽くすほどの大きさで花が咲いていた箇所がいくつもあったことや、まだ芽吹いていない落葉樹が、まるで藤のディスプレイ用の支柱であるかのようにすっぽりと覆われていた状況は、考えてみれば異常なことだった。

 関東の野山、里山は、春には山菜採り、秋にはきのこ採りで賑わったものだった。下草が刈られて明るい野山だからそれが出来たのだが、今現在は、ほとんどのところがススキや笹が繁茂していて入ることも出来ない状況になっている。おじいさんは芝刈りに、なんて今ではほとんど死語だろう。

 野山が荒れると、産廃を含む違法廃棄物の捨て場所になってしまうことが多い。
 きれいな景観を守る意味だけでなく、環境の保全、という観点からも、里山を適切に管理していくための知恵を絞らなければならない。

 藤がきれいだ、と喜んではいられないのだ。