理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

愛犬Lの物語 その3 キャンプ

薬剤師Y子です。

仕事も子育ても自分なりに頑張っていた1990年代、私は「年1回の家族キャンプ」を、とても楽しみにしていました。

 

子供の学校、自分の仕事、ご近所づきあい、親戚づきあい。

それらから完全に解放され「ノルマが一切ない場所に家族だけで行き、自分たちのペースで過ごす時間」が、私には必要だったのです。 

 

キャンプの参加メンバーは、いつも同じ。犬が1頭、人間が4名です。

このうち愛犬Lは「いつでもスケジュールが真っ白」でしたが、人間4名は大人も子供も何かと忙しく「子供たちの学校が休みで、子供会やPTAの行事がなく、夫婦とも仕事を休める数日間」を早めに見つけて日程を決める、というのが、わが家の家族キャンプを実行するための最初の、そして最も高いハードルでした。

 

確か次男Jが小学校に入った年が最初だったような気がするのですが、その記憶は定かでなく、また、長男Cが中学1年か2年の時に部活が忙しくて日程を決めるのに難儀し「今年が最後だね」という話になったように記憶していて、二人の息子は2学年差なので、5年間か6年間、年に一度の恒例行事として家族キャンプを実施していたことになります。

 

日程が決まったらカレンダーに書き込み、その後は他の予定を絶対に入れないようにします。

それから行く先を決め(毎年ほぼ同じ場所でした)、昨年も使ったテント、寝袋、テーブルなど、必要なものが揃っていることを確認し、足りないものがあれば買い足します。

「その日」が近づいてきたら、天気予報をチェックしたり、食材を買い集めたりします。 

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そのようにして迎えた当日、早起きしてクルマにキャンプ道具を積み込み、自分たちも乗り込むわけですが、愛犬Lは必ず「ボク、クルマには乗りたくない!」と、かなり強く抵抗しました。それを見て私たちは、彼が「前の飼い主のクルマに乗って、わが家の近くまで来て、なぜか飼い主と離れ離れになってしまった」のだろうと勝手に解釈しました。抵抗したから置いていく、というわけにはいかないので、無理やり抱き上げてクルマに乗せ、一緒に連れて行きました。

 

クルマに乗るのを嫌がっていたLも、目的地に着くと大喜び。

「そう、ここはボクの縄張りなんですよ。今年も見回りをしないとね」と周囲を走り回り、嗅ぎ回り、テンションが上がってしまってピョンピョン跳ねたりしていました。

 

そして、キャンプでは誰よりも夫Mが大活躍。

息子たちを従えて何もない場所にテントを設営し、竈(かまど)を作り、飯盒(はんごう)で米飯を炊き、大自然の中の「臨時わが家」を創造するのです。

 

キャンプは毎年、日常生活の中で満たされない「何か」を、参加メンバーの各々に与えてくれました。

この下にあるような写真も、普通の日には撮れません。ちなみに、夫Mが構えているカメラは、6/17 の記事にある立体写真用のカメラなのだそうです。

ステレオグラム; 立体視できますか? - 理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

https://www.yakuzaishi-y-co.work/entry/2019/06/17/235749

  

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次男Jと私Y子が愛犬Lを真ん中にして肩を組み、その姿を夫Mに撮ってもらっていたら、長男Cも後ろから撮っていました。 

 

大自然の一部になったような気分を何日間か満喫し、家に帰る日。

やはりLはクルマに乗るのを嫌がるのですが、自分以外の全員が乗り込むと、ここに置いていかれるのはマズイと知っているようで、ゆっくり、しぶしぶ、乗ってきます。

 

キャンプを終えて家に帰ると、息子たちは率先して後かたづけを手伝い、そのきびきびした動きから毎年、「ああ、ちゃんと成長してるな」と感じることが出来ました。

 

わが家の場合はキャンプでしたが、お盆の帰省、ハロウィンなど「毎年やってくる非日常的な時間」に、日常の中で不足しがちな「何か」を補っている方も多いと思います。

 

とにかく忙しい子育て中、孫育て中に、何か「自分への ご褒美」を用意できたら良いですね!

 

虫除けに悩む

Mです。

悩む、とは言っても、自分のことではない。これから夏に向かっていく中で、孫相手に外遊びとなったとき、アブや蚊からどうやって守るか、という悩みだ。

実をいうと、Mは幼少期からほとんど外にいたので、ふつうに出会うことのあるムシにはたいてい刺されてきている。蚊は常に腕や首にたかっていた状態で、腹を赤く膨らましている蚊に気がついてパチンと潰すのはごくフツーの出来事だった。あまりに刺されまくったせいかどうか知らないが、いつの頃からか蚊に刺されても痒みを感じなくなってしまった。刺されたところもあまり脹らむことがなく跡も残らない。夏の草地に出るとわんさかと蚊が集まってくるが、刺されても痒くならないので、気付いたら叩く程度であまり気にしていないし、気にならない。

 

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一方、家族は刺されるとちゃんと腫れるし、ひどく痒がるので、自分が異常なのだということはわかっている。すごく得している気分でもあるが、そうとばかりも言っていられない。痒がる人を見ると、やはり心が痛いのである。

そんなだから、虫除け、という代物にはあまり注意も払っていないかったし必要性も感じていなかった。けれども、家族のことを考えると、そうも言っていられない。特に、まだ3歳になったばっかりの孫のことを考えると、何か上手い方策を考えないといけないだろうと悩むのである。

 

虫除けについてちょっと調べてみたら、3つの選択肢があるのだとわかった。

第1の選択は、第二次大戦の時期にアメリカで開発されベトナム戦で使って著効を知らしめたDEET。いま日本中でミスト式、スプレー式商品として広く出回っている。でも、その副作用がイラク戦の帰還兵で疑われたこともあり、カナダ、アメリカ共に子どもへの使用には厳しい制限を加えているというから、正直使いたくない。

 

第2選択が、子どもにも使える、として80年台にドイツで開発されたイカリジン製品。これも、そこそこ出回っている。効果はDEETと同等とされているが、正直データで見比べないとよくわからない。

 

第3の選択が昆虫忌避効果のあるハーブ系香料で、アルコールを含まないことを特長にして穏やかな忌避剤だとされている。が、効果は明らかに前2者より劣る。

 

と、情報だけは観てみたが、自分が必要としていないこともあっていまひとつ真剣さに欠けている気がする。

Y子さんとよく相談して、早急に選択しなくてはならない。
夏が近いのだ。

ステレオグラム; 立体視できますか?

Mです。

 だいぶ前に、立体視が目の疲れを癒やすのに良い、とか言われて、隠し絵絵本のようなものが流行ったことがあった。細かな模様がびっしりと並んだ絵を、一点を見ずに両眼で水平に見たり、あるいは寄り目のようにして視野をずらして画像を水平にずらしていくと、中央で合成された立体画像が見えてくる、というもの。前者を水平視、後者を交差視と区別しているが、Mは後者は得意だが前者は認識できていない。人によって、視野のずらし方に得手不得手があるようだ。

 下は、Wikiさんから拝借したユリの画像。立体視できますか?

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 ステレオグラムとして紹介されているものには、ちょっとだけずれた2枚の画像が並べられているものと、一枚の画像のなかに繰り返しのある写真や文様などがびっしり並んでいるものがある。上の写真は前者で、とても分かりやすいタイプだ。視線をずらして作る中央の画像は、奥行きのあるユリの姿である。

 繰り返し文様などの一枚画像では、中央に形成される画像が、前後にずれた段差や斜面のある画像になったり、蝶の形にへこんだ画になったり、様々な工夫がされていてなかなか面白いものだった。ふつうに見てしまうと平面画像なのだが、微妙にずれた画像を提示することで、そのズレが立体方向に並ぶという現象だ。

 Mはどちらかというと上のユリの画像のような2枚並列が好きだ。実際の写真が微細構造まで見えるように感じるので、興味深いからだ。
 
 いまなら、専用ゴーグルをかけて3Dムービーを見るのも珍しくないが、平面の画像が自分の目で立体に変化して見えてくるのは、他力本願で見えてしまうのとはたいぶ趣が違う。見せられている、のではなくて、見ようとして見るのだから、立体に見えたときの驚きが違うのだ。

 ステレオグラムという名前がついているそれらの画像は、動物の目がもともと行っている左右の目の視差によって対象物の立体感を脳内で合成するプロセスをうまく使ったものだ。

 鶏やウサギのように、両眼が左右を別々に見てしまう動物では、瞬時にこの立体合成を行うことはできない。なぜなら、左右の目はひとつのものを同時に見ていないから。だから彼らは、頭を動かしてひとつの対象物を2度見しなくてはならない。長い時間をかけて2度見するわけではないので実際は短時間で立体認識できているのだが、ヒトやフクロウなどのようにほとんど瞬時に距離感を感知することはできていないはずだ。イヌ科やネコ科も正面を向いた目を持っているので、立体視は得意なはずだ。一方、牛や馬、鹿などは、正面を見ることも出来るが眼の軸は正面を向いていない。だから、瞬時に距離を測ることは出来ない。その代わり、どちらかというと左右別々の景色をとらえることでほぼ360度を一度に認識できるので、動くものが視野に入ったらすぐに気付く。その方が捕食者をとらえるのに都合がよい。距離感は次の要素なのだ。

 一方、食う側の生き物たちは、獲物との距離が一番大事。常に立体視しながら相手に近づいて襲いかかる。もちろん、漫然と前を向いているだけではなく、細かく視線を動かしながら対象物を常に中心にとらえるという技を使っている。

 ヒトは、食う側の生き物たちとはちょっと異なった理由で眼が正面を向いている。脳が大きくなりすぎて直立しなくては運動機能が上手く制御できなくなってしまったので、眼は結果的に前方に寄せられて正面を向いてしまった、と考えると解りやすい。その結果、自由になった手で道具を使い、捕食者としての立場にも立つことになった。武器を使って殺し合うという愚かな行動まで身につけてしまったのも、悲しい結果である。

 脳が立体感を認識するために使っている視差の元はといえば、それは左右の目の距離にある。大人だとふつう6~7cmほどの間隔がある。その間隔のせいで、実は、左右の目がとらえている像は少しずれている。そのズレ情報を脳が経験則で処理して、見ている対象物がどのような立体になっているか瞬時に映像認識させてくれているのである。

 それに気付いた賢いヒトが、ならば写真も目の間隔くらい離したレンズで同時に撮影すれば、その2枚を並べて見ることで立体に見えるのではないか、と考えた。実に面白い発想で、現実にそれがステレオカメラという発明品になっている。1950年代に作られていたものを古道具屋で見つけ、ずいぶんと楽しんだ。普通の35mmフィルムを使って、通常の1コマ分のスペースにほぼ正方形の2コマを写し込む。

↓ コダックのステレオカメラ。Mも1台持っている。

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 現像されてきたフィルムを、その撮影コマの大きさに合わせた枠にはめ込んで、立体ビュワー(双眼鏡のような照明付きボックス)で見る。肉眼で見たときそのものの立体映像が現れるので、感動ものである。スポーツの映像だと、まさに瞬間の躍動感がわき上がる。
 これはポジフィルムで鑑賞するときだが、ネガフィルムを使ったときは、ほとんど同じ写真が2枚ずつできあがってくる。その順番を間違えないように左右に並べ、真ん中に仕切を立ててそこに鼻を付けて左右の目で2枚の写真を見る。すると、なんの苦労もなく頭の中で立体の映像になるから面白い。マジックである。

 試してみようと思っているのは、デジカメで位置をずらして同じ対象を撮影し、PC画面に並べて立体視してみること。問題なく出来るはずだ。ただ、動く対象物だと2台を板の上に並べて固定してレリーズ2本を同時に押す、などという技が必要かも知れない。

 花の画像や昆虫の画像を撮ってみたら、普段は見逃すような微細な構造が見えてくるだろうと期待している。

 なぜなら、双眼顕微鏡という装置で小さな生物材料を操作するのと全く同じ原理だからだ。

 写真はピントさえ合わせてあれば、画素数を上げることで拡大が簡単に出来る。
 夏休みの自由研究で「立体視で観察した昆虫のからだ」なんてトライしてみたら、めちゃくちゃ面白いのではないかと思う。

 なんだか、自分でやりたくなってきた。

愛犬Lの物語 その2 散歩

30代の息子が2人、乳幼児の孫が2人、自身と夫がアラウンド還暦の、薬剤師Y子です。

「愛犬Lの物語 その1 出会い」にも書いたように、息子たちが学齢に達する前に迷い犬だったLが家族の一員となり、わが家の日課に「犬の散歩」が加わりました。

www.yakuzaishi-y-co.work

 

当時の私たちが住んでいた家は「がんばって東京に通勤・通学することも出来る、某県の地価お安めの住宅団地」の中にあり、そこには、平屋か二階建ての建て売り住宅、やや大きめの注文住宅、それに空き地が混在していて、庭や空き地で犬を飼っている家も多かったです。

 

バブル景気が崩壊する前の1980年代後半、昭和が終わり平成が始まった頃、わが家の周辺では、自宅の近隣に囲いのない空き地があれば勝手に自家用車を置いたり、子供を遊ばせたり、洗濯物を干したりするのが普通でした。そして自分が勝手に使っている空き地の草刈りは、もちろん、使っている家の人がしていました。

 

「空き地に雑草が繁茂して、外から来た誰かが何かを不法投棄しても分からない状態になってしまうよりは、近隣住民が空き地を『有効利用』する方が良い。空き地の所有者が自分の土地を使われたくなかったら、フェンス等で囲えば良い」という共通認識が、この団地の住民の間にはありました。

 

広めの空き地では、平日の午後に子供たちがサッカーボールを蹴ったり、土日に親子がキャッチボールやバドミントンをしたりする姿も見られました。

 

この写真のLも、わが家に隣接する空き地にいます。空き地の真ん中に大きな松の木があり、その下に出来る広い日陰が、晴れて暑い日のLの居場所になっていました。

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Lが来たばかりの頃は、まだ息子たちが2歳と4歳ぐらいで、Lの散歩には必ず大人が同行する必要がありました。おかげで当時の私は、運動不足とは無縁でした。

散歩が大好きなLと一緒に、早朝でも昼でも深夜でも、一人でも家族と一緒でも、時間が許す限り、とにかく歩き、家族と一緒の時には沢山の会話を交わしました。

 

仕事、育児、家事、保育所の皆さんとの付き合い、ご近所づきあい、冠婚葬祭を含む自分や夫の親族との付き合い。当時は「お通夜・お葬式」を葬儀場で行うことが一般的では無く、自宅や自治会館で執り行われる際に親戚や近隣住民が仕事を休んで「お手伝い」するのが普通でした。

夫Mと私も「自治会の班長」を回り番で引き受けていた年には、自分たちの仕事を休んで「班のメンバーの通夜と葬儀」を手伝いました。

 

楽しいことばかりではない日々の暮らしの中で、Lと歩いている時間だけは、人間同士の感情の行き違い、些細なトラブルなどを忘れ、どんどん心身が健康になっていくような感じを味わうことが出来ました。

 

どこかの誰かに捨てられたのか、相手も自分を探していたはずなのに会えなかったのか、そのことさえも私たちに伝えられないLが、わが家を自分で選んで居ついてくれたこと、一家4人すべてに対して全身で親愛の情を示してくれることに、大きな喜びを感じることが出来ました。

 

子育て中、孫育て中の皆さん、犬と一緒でも、人間だけでも、子どもが起きていても寝ていても「ただ外を歩く」のって、いいですよ!

 

外に出るだけで危険な台風の時(天気予報やニュースで「不要不急の外出は避けましょう」と言っている時)などを除けば、雨の中や風の中を歩くのも、オススメです。バシャバシャ、ヒューヒューという自然の音を聞き、揺れる木々を見ながら歩けば、自分たちも自然の一部であることを実感できます。

 

「子や孫に小言を言いたい。でも、冷静に考えたら言わなくても済む程度のことかも知れない」と思ったら、その小言を言う分の時間を、一緒に、あるいは一人で外を歩くことに使ってみましょう。歩きながら「やっぱり言うべきだ!」だと思ったら、外で、あるいは帰宅後に言うのも良いと思います。

 

ちょっと散歩。気分転換に今から、いかがですか?

 

話題をふりまくネジザウルス

Mです。

 今朝、Y子からメルマガの情報として「ネジザウルス」が国際的に売れまくっているという記事が出ていると聞いた。

 DIY店で、一本2,000~3,000円台で売られている特殊ペンチ。
 挟み口が色々な厚さ、太さ、長さのものがあって、つぶれて外れなくなったネジを外せることで良く知られている。ただ、ふつうのペンチ類の倍以上の値段がするので、残念ながら一本も持っていない。
 DIY店で良く観て、なるほど縦方向の爪があるペンチなのか、と理解している。とはいえ、プラスチックの覆いから出すわけにはいかないので、よく観察はしたけれど触った感触は全く知らない。知り合いにも持っている人がいないので、試したこともない。

 素人仕事でいろいろなモノを作ったり電気製品をはじめとする機械ものの修理をするが、古い機械では、かなりの頻度でつぶれたネジに遭遇する。プラスのネジ山が崩れて正方形の穴になっていることもある。その対角線長さに合うマイナスドライバーを突っ込んでひねることで回ることもあるが、それでもダメなときは、ネジのあたまを目立てヤスリでゴリゴリ切り削り(マイナスの溝を作る)、厚めのマイナスドライバーを使ってねじり回す。ここまですれば、大抵は外すことが出来る。ただし、それは表面にあるネジの話。例えば、いろいろな部材の谷間にあるネジが死んでいたら、このような荒技は使えない。
 ペンチが届けば力ずくで挟んでひねり回すことが出来るときもあるのだが、いかんせん、ペンチの挟み溝は柄と垂直方向なので、ネジ頭を挟んでも回すときの方向が溝と同一になってしまう。ペンチで挟んでいるつもりでも、回転方向に対して垂直の食い付きがないので空回りしてしまうのである。

縦溝のペンチなんて無いから、力勝負では回せないことがあるのだ。

下の図を見ていただきたい。

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 ふつうのペンチは左のような柄と直角方向の横溝を持つ挟み口で、ネジを横方向からつかめるのなら問題なく回せる。でも、ネジ頭を縦につまんでしまうと、ネジを回すべき方向と溝が同方向だから、滑ってしまう。
 真ん中のような縦溝のペンチならこんなつぶれたネジを縦に挟んで回すことも出来るだろうが、残念ながらこんな溝のペンチは見たことがない。普通は挟んだ物を柄と水平方向に回すから、縦溝は使い道がないのである。
 と、ここでネジザウルス。その溝は右の絵のように外側に横溝があって中央付近に山を作った縦溝がついている。ペンチの太さによって溝形状も変化するが、ネジ頭を縦につかんでもその局面のどこかに縦の山が食い込むように工夫されているのである。これなら、奥の方に隠れたつぶれネジでも、挟めさえすれば回せるのである。

 実は、MはDIY店でこのペンチを見てパクリをした。普通のラジオペンチの先を、中心線で縦方向にヤスリがけして凹溝にした。ネジザウルスほどのことではないが、縦の溝が出来るとそのエッジが立つので、ネジを縦につかめるのだ。ペンチは堅い鋼材だからヤスリでも深い溝を掘るまでは出来ないが、少なくとも縦の筋にはなる。それだけでも、ネジを縦づかみしたり、細い鉄線を縦につまんでねじり曲げるなどの細工に重宝する。

 それにしても、ダイヤモンド・オンラインに載っていた記事を見て、なるほどと感心したのは、トラスネジも外せるという項目だった。

 ふつうの丸頭でプラス溝のあるものは「ナベネジ」と呼ばれている。その名の通り中華鍋をひっくり返したような、大福餅のような形の頭になっている。上の絵もそのタイプをイメージしている。ところが、見た目(衣装)を重視する機械類の外壁などのネジは、突出が大きいナベだとボコボコして恰好が悪い。そこで、コンタクトレンズをひっくり返したような薄くてなだらかな曲面で立ち上がる頭の「トラスネジ」が使われる。クルマの内装などで使っているのもたいていはトラスタイプだ。
 ところが、トラスネジは頭が薄べったいだけにプラス溝が浅かったり、凹所を目立たなくするためだろうか溝が小さいことが多い。そのため、ふつうのドライバーがフィットせず、ちょっとしたことで山を潰してしまうことが多い。そうなるともうお手上げ。ステンレス製が多いのでヤスリで溝を切るのも難しい。無理やりペンチで挟んで・・・とか苦戦していると、いつの間にやら衣装を気にするために選んだネジの周りが傷だらけ、という始末。 
 そんな苦労をしている人たちが、トラスも外せるネジザウルス、とやらを目にしたら買うしかない、となるのだろう。

 正直、トラスも外せると聞くと、Mもちょっと高そうだけど買ってみようかな、なんて気になってきた。

 株式会社エンジニアという、大阪の町工場で作っているらしい。
 ちょっと調べたら、あるわあるわ、いろんなネットショップで売られている。

 東京大田区の中小企業群もそうだが、これなら負けない、というアイデアやテクニックを持った会社が世界レベルでユーザーを獲得できるのは、なかなかにカッコイイ。

愛犬Lの物語 その1 出会い

薬剤師Y子です。

わが家には14年間ほど、愛犬がいました。イニシャルはL。今は30代になった息子たちが確か4歳と2歳の時、当時の私たち一家4人が住んでいた狭い借家の庭に迷い込んで来て、隅に植えられていたツツジの木の根元に座り、疲れきった様子で体を休めていました。

 

  • 首輪をしてない雑種犬が、庭の隅に!
  • ぐったり座り込んで、たまに上目遣いで私を見てる!
  • もしかして、捨て犬?
  • あ、目が合った! 可愛い!

 

そう気づいた日の私は、ずっと家にいたのですが色々と忙しく「すご~く気になって、なぜかドキドキして、とてもソワソワして、ツツジの根元を頻繁にチェックしていたはずなのに、いつの間にか犬の姿が消えていた」ことに心底ガッカリしました。

そして「もう会えないかも知れない。仕方ない。諦めよう」と自分に言い聞かせ、保育所から帰った息子たちにも仕事から帰った夫にも、初対面の可愛い犬のことを話しませんでした。

 

ところが翌日のこと。また同じ場所に同じ犬が座って、前日と同じように気弱な視線を私に向けているではありませんか。

「昨日より弱っているような気がする。もう、うちで飼うしかない!」と思い定めた私が「お腹すいてるよね? 牛乳のむ?」と声をかけた、それが、この物語の始まりです。

 

その夜、夫M、長男C、次男Jと話し合って、満場一致でLの名前が決まりました。

犬小屋は夫Mの手づくり。「オスなのに、しゃがんでオシッコしてる。だから2歳のJよりも年下だ!」と夫が宣言し、月日が経って3代目か4代目のM特製犬小屋の中で天寿を全うするまで、雨の日も風の日も、Lは私たちと一緒にいてくれました。「推定享年」は、15歳ぐらいです。  

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愛犬Lが私たち家族の一員になった後で、近所の何人もの人たちから「その犬、この辺り一帯を何日間もフラフラ歩き回っていたんだよ。でも近づくと逃げたり吠えたりして、誰も手を出せなくてさあ。そのくせ、またフラフラ来るから迷惑がられて。そっか~、お宅で飼うことにしたんだ~。よく懐いたねえ。飼い主が決まって本当に良かったよ~」というような声をかけられました。

 

イヌとヒトが一緒に暮らす時、多くの場合は人間が犬を選び、犬は飼い主を選べないと思うのですが、Lは自分の意志で「わが家」を選びました。

そして、オスなのに「片足あげてオシッコ」をすることが出来ない若輩者の時期から、どんどん成長して次男Jを、次に長男Cを追い抜いて逞しい「オトナのオトコ」になり、やがて、よせばいいのに私たち夫婦まで追い越し、老いて弱って死ぬところまでを、家族4人に包み隠さず見せてくれました。

 

私たち4人、特に子供だった息子たちは愛犬Lから、言葉では表現しきれないほど多くのものを与えてもらいました。何があってもLは味方ですし、打ち明け話を決して口外しません。その上、ちょっとオバカでドジで、よく笑わせてくれました。

長男Cは小学校高学年から高校2年ぐらいまで、学校から帰ると真っ直ぐLの犬小屋に向かい、しばらくLにだけ何かを話してから「ただいま!」と家のドアを開けていました。

 

愛犬Lが他界したのは、その長男Cが第一志望の大学に合格し実家を出てから季節が巡り、たまたま帰省していた冬の日でした。

 

Cの帰省によって久しぶりに家族が全員そろったので、皆が好きだった店で外食し「Lへの土産」を手に帰宅して犬小屋を覗いたら、出かける時には尻尾を振って送り出してくれた老犬Lが、もう全く動かなくなっていました。

命日は2月22日。なぜ日付まで正確に覚えているかというと、その日が「にゃんにゃんにゃん、ネコの日」だからです。

もうLったら、命日まで可笑しいんだから。笑い過ぎて、涙が出ます。

 

千の風になって」という曲を秋川雅史さんの声で初めて聴いた時から、私は朝の鳥の声や秋の光の中に、Lの存在を感じるようになりました。

 

そんな愛犬Lの物語、出会いから別れまでを、これから少しずつ書いていきます。

 

大容量ストレージに考えさせられた

Mです。

 2ヶ月ほど前、落っことしても大丈夫そうなSSD携帯ストレージ(~960Gb)をI・O DATAさんが発売した。コンパクトなポケットサイズでほぼ1Tb収まるもので、使い勝手が良さそうだった。秋葉原の周辺機器店で売っているのを見て店員さんに聞いてみたら、発売当初ほどではないけれど、2ヶ月経っても週に数十個売れているという。なかなかだと思う。

 同じ店舗内で、そのI・O DATAさんが2年前から商っている大容量のデスクトップ型記憶装置 My Book Duoを見てみた。それまでの外付けHDを縦にして三個並べたくらいのサイズで、最大20Tbの容量だ。

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   (I・O DATAさんのサイトから拝借)

 巷では、最大14TbクラスのHDまで出ているから、それほど大容量という気はしなかった。ただ、その名が示すとおり、10TbのHDを2台並列して内蔵しているのがミソで、データの書き込みを2台のHDに分散することで速度を上げるRAID0(ゼロ)の手法を基本仕様にしている。また、PCとの接続を今後のUSB接続の主流になるだろうUSB-TypeCにしているところが特長。もちろん、相手がUSB3.xやそれ以前のものにはアダプターがついていて接続可能。最大360MB/sの速度でデータ転送出来るとのふれこみだ。ただし、PC側がUSB3.0以降のポートを持っていることが前提だから、注意が必要だ。旧いPCだと、PCIボードの追加が必要かも知れない。

 どんな人がこの装置を買うのかと思って店員さんと話をしたら、大容量が必要な映像製作関係の人たちや、サーバーで商売している人たちが主だという。なかには、ゲームソフトを多数放り込んで使っているヒトもいるということだったが、それならもっと小さい容量で読み書きの速度が速いSATA接続のHDを使い分けした方が有利なのではないかと思った。大容量になればなるほど、転送速度とは別にHD特有のシークタイムが効いてきてしまうので、総合的に見て速度と容量の「かねあい」で落としどころが見えるような気がするのだ。店員さんの話でも、当初はそこそこの話題になったものの、売れ行きはさほどでもないらしい。まあ、値段も10万円近い(20Tb)から当然という気もするが・・・

 企業内で共通のデータ管理に使われるNAS(Network Attached Storage)システムというものがある。大容量のHDを共有の外付け装置として使っているものだ。その場合は、いくつものPCがLANでNASシステムにつながっていて、各人が自由に共通のデータ保管装置を使い回す、というスタイルになる。当然同時に同じファイルにアクセスしてくることもあるわけで、それを可能にするNAS専用のOSが備わっていて、いわばサーバーマシンのような存在になっているから、根本的に外付けHDとは異次元の存在である。

 それと比較してみるとMy Book Duoという製品は、個人使用が目的の大容量データ保管庫であり、どうもそれ以上のものではない気がしてくる。

 USB TypeCコネクタが、まだPC、周辺機器ともに未開拓な状態だから、確かに先を見た製品だとは思うが、2年前に出てそれほど脚光を浴びていなかったのもうなずける気がする。

 自分自身のことを考えてみても、大きな入れ物にたくさん詰め込むより、そこそこのハコに分けて分類管理する方が探しやすい、なんてことは多々ある。PCに探させるのだからそんな心配はいらないだろう、と言われるかも知れないのだが、どうも気分的にしっくり来ない。

 転送速度がいくら速くなったとしても、やはり相手は機械だ。壊れるときは壊れる。大容量でヘタったら、そのショックはいかほどのものか。

 本当に大容量が必要な人以外は、そこそこの容量(せいぜい2Tb)でコスパの良いHDをいくつも揃えておいて、大事なものはダブルで保管、の方が良いように思うのだ。