理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

Stick PC おそるべし!!

Mです。

Stick PCの進化が加速している。

 記者たちがよく使っているICレコーダー(ボイスレコーダー)くらいの大きさの「極小PC」は、5年くらい前に生まれた。それよりも前から、映像出力を主な目的としたディスプレイ装置の主機として持ち歩ける、簡易PCのような役割のモデルはあった。ただ、データ処理作業もできる、本当の意味でのPCとして動き始めたのは、5年ほど前にASUSさんが作ったモデルが「走り」だったと記憶している。CPUの大御所Intelさんがそれを追いかけていた。

 とはいえ、そこは超小型という壁があるから、PCというよりは「PC様の基本機能を持たせた映像コントローラー」のような雰囲気があって、デスクトップ派のMには、おもちゃのようにしか見えなかった。タブレットPCもたくさん作られていた頃で、そのタブレットでさえPCとしては軟弱で、ゲームや映像装置的な感じだったのだから、それよりもずっと小さくて映像装置も持たないStick PCなんて、とバカにしていた。どうみても映像宣伝やプロジェクター用のコントローラーくらいしか使い道がないだろうなぁ、などと思っていた記憶がある。

 ところが、ここに来て、Stick PCが一気に進化した感じだ。
 つい数日前、本当の意味でのPC機能を持ったStick PC作りの元祖でもあるASUSさんが、Win10インストールの新モデルを宣伝しているのに出くわした。

下が、そのモデルだ。
 ASUS VivoStick PC (TS10)

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※詳しくは下記サイト

https://www.asus.com/jp/Stick-PCs/VivoStick-PC-TS10/

 何が進んで来たかというと、その作業性にある。
 もちろん、ICレコーダーよりも小さいくらいのボディーだから余分な物は一切入っていない。しかし、世の中に大量に動き回っているスマートフォンタブレットなど、WiFi通信機能やBluetooth機能を持つ機器、テレビなどのIoT素材として使われていく機器を、あたかも手足のように使う機能がすべて備わっている。言い換えれば、それら周辺機器の充実が助太刀して、その極小ボディーを中核にして、デスクトップPCに相当する環境を作れるようになった、という状況なのである。
 とはいえ、デスクトップPCや高性能ノートPCのような重い作業をするための物ではないから、現状でこれらのデカブツPCに取って代わると言うことではない。でも、一人暮らしの小さな部屋で、テレビはあるけど、PCは邪魔だ、と思われてしまうような風潮がある中で、そこそこの変化をもたらすのではないか、という気がする。テレビがPCモニターになって、スマートフォンがキーボードと通信モデムになってくれる、ということになると、たいていのPC作業がStick PC一つ入ることで可能になってしまう。しかも、PCより断然安い。ノートPCなんか、ちょっと機能を高くすると簡単に数十万円。それに比べ5万円以下でPCが手に入る、と考えることもできる。
 大画面でストリーミング映像を見ることもできれば、ネット情報を大画面でサーチすることも簡単。ちょっとした事務作業程度なら何の問題もない程度の機能を持っているし、メールを多用した仕事だって問題なくこなせる。データ作業が主な職種なら、会社通勤などいらないかもしれない。

 Stick PCとその他PCとの比較については、Stick PCのメーカー&販売者でもあるドスパラさんが簡単に解説してくれているので、下記サイトをご覧いただきたい。(掲載内容は最新とはいえません)

https://www.dospara.co.jp/5info/cts_lp_stick_pc_guide

 小学校教育にタブレットを導入して、IoT時代の効率的な教育を、などと言って試験的予算を組んでいるニュースもあるが、こんなシステムができてしまうと、すでに時代遅れになっている。全国展開するには超多額な教育予算がいる、などと言っている文科省&政治家さんたち、もう、そんな考えはゴミバコ行きだ。若いデキる人々をどんどん登用して、彼らに任せてはどうか。
 例えば、である。
 ASUSさんが出した安いモデル(3万円以下)でも、教壇の先生がそのStick PCを装着した大型パネルかプロジェクターを使って授業を行い、先生のStick PCと無線でつながった簡易タブレットを手元にした子供たちが、データのやりとりをする、なんていうことが現実になっているのである。その仕組みなら、現段階でオジイサンたちが想像している端末3台分程度の経費で、たぶん30人学級分の機器が揃ってしまうだろう。それ以下でも可能かもしれない。つまり、オジイサンたちが想定した予算は10分の1以下に縮小できるのである。大手企業に丸投げして、1台うん十万円かけてPCを配置する、なんていう手法はもはや化石的思考だ。こういう仕事こそ、若手ベンチャーを募って質は高く経費は安く済む方策を練ってもらえば良いのだ。募っても募集しても(あれっ?同じかな?笑)、どっちでも良い。

 世の中すべてがIoT化するというのは、だいぶ先の話になるだろう。
 たぶん、その頃Mは居ない。
 ただ、それほど先の話ではなくて、これから5年程度の話として、スマートフォンさえあればいいや、という風潮から、Stick PCをなかだちにして生活も仕事も効率化して無駄に動き回らずに生産性を上げていくことができる仕組みを組んでいける気がする。
今まで持ち歩いていたビジネスマンのタブレットやノートが、胸ポケットからちょっとはみ出したStick PCに変わってしまう、という画も見えるようだ。

 とか何とか言うものの、それでも自分自身はデスクトップから離れられないだろうが・・・

家庭内消毒に イソプロ はいかが?!

Mです。

肺炎ウイルスなんかに負けるな!

 そのために最も手近で効果的な方法として、メディアも報じているアルコール(エタノール)消毒がある。ところが、この報道も手伝って、消毒用のエタノールがドラッグストアから消えてしまった。マスク騒動と同じである。

  エタノールが手に入らない、と、疾病以前の問題でパニックになってしまう方もおられよう。

 ここはひとつ別対応として、イソプロピルアルコールを使ってみてはどうだろう。

 新型肺炎ウイルスがらみの報道が次々と押し寄せてきて、戦々恐々の感をおぼえている方々、あまり怖がらずに、きちんと相手を見据えてもらいたいと思う。

 要は「ウイルスを含むものを体内に入れない」に尽きる。その相手は、くしゃみで飛んできた飛沫かも知れないし、ウイルスを含む液体(唾液、体液、など)が付着した物を触った自分の手かも知れない。そいつらを怖くないかたち、つまり、活性を失わせてしまえば勝ちなのだ(失活という)。
 アルコール消毒、と言うように、「エタノール」消毒に限定した物ではない、ということを知ってもらいたい。ほかのアルコールでも良いのである。

 実は、医療機関や関連研究施設でも、エタノールではなくイソプロピルアルコール(以後イソプロと略)を使って消毒することがある。あまり知られていないが、珍しいことではないのだ。イソプロはエタノールより炭素が一個だけ多いアルコールで、分類ではエタノールと同じく低級アルコールに分類される。低級と言っても、価値が低いと言うことではなくて分子として小さいアルコールの意味である。だから、その性質はエタノールとよく似ていて、水によく混ざるし可燃性であることも同じ。そして、ここで重要なことは、消毒薬としての効果も同等、あるいはそれ以上に強いのである。

 いささか古い論文になるが、イソプロがエタノールと同等、あるいは、それ以上の殺菌効果をもつことを調べた報告がある(国立京都病院、出井氏、1960年2月)。それくらい古くから知られているのである。
 ↓ 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/iryo1946/14/2/14_2_98/_pdf/-char/en

 近年の研究で、ノロウイルスを失活させる効果はエタノールに劣るという報告があるが、効かないということではないし、コロナウイルスに関する報告は少し検索しただけでは見つからなかった。新型コロナに関しては現在進行中で、まだわからないとしか言いようがない。でも、たぶん効くはずだ。

 このイソプロ、消毒用の製品としてもドラッグストア等で売られているらしいが、残念ながら、Mは見たことがない。消毒用アルコール製品の添加物としてイソプロが使われているものは「消毒用エタノールIP」などという名前で知られている。

↓ 医療用としてのイソプロ情報は次のサイトを参照。
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00047422

 ところが、それら消毒用とは全く別の用途、器具洗浄や溶剤の用途でも売られていて、これは消毒用ジャンルには入っていない。ネットでちょっと調べてみてもらえばすぐに出てくるはずだ。IPAなどという名称で4Lサイズ2000円弱の製品もある。純度は99.9%。これを使わない手はない、と思うのだ。

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 実は、その昔、Mが生体材料を使って実験研究していた当時にも、消毒用として使っていた。もちろんエタノールも使っていたが、イソプロの方が断然安いので、使い捨てするときにはイソプロ、器具などの消毒保管にはエタノール、と使い分けていた。また、上で紹介した論文にもあるが、細菌に対する消毒効果はエタノールが70~80%希釈液である必要があるのに対して、イソプロは40~50%で良いので、もともと安い上に濃度も低くて済んで経済的だった。汚染された場所に撒いて消毒、というような用途にも使えて重宝していたのである。

 ただ、エタノールに比べて臭いがきつく、脱脂作用も強いので指が荒れやすい、という点には注意が必要だ。狭い部屋で量を使うと頭痛がするほど臭い。
 とはいえ、たとえばドアノブや手すりなどを拭いたりするには、多量に使うことはないから問題ないし、そのときは臭いがきつくても、揮発して消えてしまうのでそれほど気にすることはない。

 アルコール消毒液を玄関に置いておきたいけど、売っていない。と困っている方、イソプロで消毒綿を作るのも一案だと思うのです。

 簡単な例として、Mが当時行っていた方法を記してみる。
 広口ビン(当時はネスカフェの大ビンを使っていた)にカット綿(ドラッグストアで売っている)を硬く詰め込み、そこに水で50%に希釈したイソプロをひたひたに入れる。ただこれだけである。水は、飲み水で良い。
 蓋をしっかりと閉めておけば、イソプロが飛んでしまうことはない。使うときは少量のカット綿を抜き出して、よけいな液はビンに絞り戻す。絞った物が消毒用アルコール綿ということだ。ほとんどの体積が綿で占められているので、アルコール液は少量でも済む。全体容積の3割ほどだ。
 ドアノブや手すりなど、ちょっと気持ち悪いな、と思う場所や、バッグの取っ手など、気になるところをサッと拭いて捨てられるから、けっこう便利だと思う。
 50%濃度で良いのであまり気にしなくて大丈夫だと思うが、塗装やプラスチックには、もしかするとイソプロで白く変質するものがあるかもしれない。気になる部分は、一度目立たないところを拭いて試しておく方が良いかもしれない。

 清潔を気にしすぎて精神的に参ってしまうことが無いよう、気楽に、そして的確に、キレイを保つ方法を選んでいくのが良いと思う。

 

 そうだ、絶対守らなくてはいけないことがあった!!
 原液に対しては、火気厳禁! これだけは守ってほしい。「たばこ吸いながら」なんて、もっての外です。アルコールは燃えても炎が見えにくいので、ひどい火傷を負うことになる。
 くれぐれもご用心を。

声優さんたちの歌手活動 と アドトラック

Mです。

 黄昏時になると、秋葉原電気街を取り巻く「大通り四角形」を、電照トラックがグルグルと走り始める(→蔵前橋通り→中央通り→警察署前通り→昭和通り→)。毎日必ず、というわけではないが結構な頻度でお目にかかる。

荷台周囲3面を電照パネルにして、そこにバイトの広告、アニメ広告、DVD広告などの大型パネルを貼り付けて、派手にディスプレイしている。もちろん、昼間でも走ってはいるのだが頻度は低い。どうしたって、その構造上、夜の方が印象深いからコスパが良いのだろう。

 アドトラック、それが電照トラックの呼び名である。

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 ちょっと調べてみたら、週あたり30万円程度から請け負っているようだ。
 発電機付きの特殊車両で、製作コストはざっと1000万円超だと見ているが、ニーズさえあれば十二分に儲けが出る仕事だろう。クルマは100万キロOKのディーゼル車だし、空荷で走っているのだから10年使ってもヘタリはしない。なかなか面白い商売もあったものだと思う。渋谷、新宿、池袋、といった繁華街もこの手の宣伝区域らしいが、秋葉原がやはり一番の稼ぎどころだろう。その他の地域に比べて、クルマの交通量が少なく、走りやすいことも好適だし、なんと言っても狙うべき客層が確実にたむろする場所だから。

 さて、それらの広告のうち、オッサンの目から見て目立っていてしかも綺麗なのが、アニメの広告と女性声優さんのDVDアルバム広告。当然、秋葉原に合わせたアイテムが選択されているのは言うまでもない。
 アニメが綺麗に仕上げられているのは当然のことだが、今では当たり前になった声優さんたちの歌手としてのプロモーション絵柄は、なかなかによく仕上げられている。同じものはせいぜい1週間ほどで、翌週には違う人のアルバムやコンサート広告が走り回るのだが、どれも説得力のある仕上がりになっているからスゴイ。
 アニメ広告のトラックが信号で止まると、外国人観光客が道路に飛び出して一斉にスマホを向ける。
 一方、声優さんのパネルだと、飛び出すほどではないがクルマの周囲に秋葉原特有の「におい」がする日本人男性が集まり、少し離れた位置から全方位撮影を始める。近づくとパネル全面が写らないので、良い塩梅の位置取りをしていると解るのだ。
 声優さんたちのアルバム広告は、背景と人物がとても良い色合いで作られていて、画として見栄えがよい。白色照明で裏から光を当てることで一番効果的な発色になるよう工夫されていることが、よく判る。緑、赤、黄が実に鮮やかなのである。

 声優さんたちが歌を売り物にするようになったのは、やはりアニメの隆盛による派生的なものが始まりだろう。
 男性声優でアニソン歌手としても大御所のささきいさお(今はひらがな表記らしい)さんは、松本零士さんの宇宙戦艦ヤマトの主題歌でめちゃくちゃ有名だが、ヤマト初期作品では声優をつとめていなかった。他のアニメで既に有名になっていただけでなく、当初から歌手としても活動していたので、ヤマトの主題歌でその後のアニソンブームに火をつけた形なのかも知れない。
 ただ、2000年以前は、アニメ声優さんがそのまま主題歌や挿入歌で歌手として活動するということはあまり目立っていなかったと思う。それが、アニメがどんどん多彩になりファンを増加させていくと、声優さんたちの層もどんどん厚くなり、若い声優さんたちは競争もあってだろうが、裏方ではなくて表でも活動するという新しい世界にチャレンジし始めたのかも知れない。
 この世界にさして詳しいわけでもないのに印象深かったのは、2008年発表のマクロスフロンティアだ。TVアニメが評判になって劇場版が何作か追いかけた作品で、劇中歌が重要なストーリー要素になっているため、それを歌うヒロインたちが当然のこととして表に出てきた。マクロスの名を冠する作品は25年を経て代を重ねてきた名作だったということで、その四半世紀のうちに声優さんたちの立ち位置が大きく変わってきたのだと感じる。つまり、アニメという2次元画像だけが主体で、声を演じる声優さんたちはあまり表に出てこなかった時期と異なり、アニメの登場人物とその声優が一体化して、トータルとしての売り物になってきたと感じた。

 声優さんたちは、俳優とはだいぶ違っている。俳優さんが声優を、というパターンは俳優のイメージを活かそうという狙いが見えている。外国映画の吹き替えがまさにそれである。一方、アニメ声優さんたちは、自身の姿形と全然違うキャラクターを演じているのかも知れないから、そのまま表に出てしまうとギャップがあって聴視者がとまどう、ということも考えられる。ところが、アニメが爆発的に売れてしまうと、登場するキャラクターと演じる声優さんが一体化して、少々の視覚的ギャップをものともしないファン層を作ってしまう。そのような作品が次々と現れて、演じる声優さんたちが、アニメキャラをコスプレで演じることさえ売り物になる、という変化をもたらしたのだと思う。
 また、アニメ声優さんたちの歌は、歌を本業とする人たちの歌とも、明らかに違う。
アニメ声優さんたちは、幾色もの声を作り替えて演じるという特技を持っているだけに、歌声も切り替えて演じることが出来る、という点が特長だ。聞いている人は、その声でアニメキャラクターを脳の中に映像化している。そのことで、歌そのものを聞いているだけではなくて、特定のキャラクターの演技を楽しむ、という独特のとらえ方が出来るのだと思う。だから、歌う声優さんたちは、歌に合わせてキャラクターを使い分けることで、視聴者を「操っている」とも言える。

 一般的な歌の世界とは別物の、声優ミュージックが、今は確実に存在しているのだと感じる。そしてそれは、2次元と3次元を、声優という人間を使って統合する世界なのだと思う。2次元歌手として誕生した「初音ミク」というキャラクターは、声優さんたちが作り上げた2&3次元融合文化から回帰的に派生した2次元キャラクターだと捉えると、とても興味深い。声優ミュージック文化を生み出した世界から「3次元は要らない」と感じる人々があらためて生まれて来たのだ、と感じるからである。

 奥が深くて、楽しい世界。オッサンでもそう感じてしまうのが、この声優ミュージックの世界だと思う。

 そんな新しい文化を宣伝するアドトラック。さすがに写真を撮りに行くほどの度胸はないが、見ていてとてもインパクトのある映像トラックは、間違いなく日本的文化のひとつになっていると思う。そして、声優さんたちの歌の世界も、文化として成立しているのだ。

漫画家けらえいこ氏、ジェンダーギャップ、昭和の歌謡曲など

薬剤師Y子です。

昨日の午前、フジテレビの午前の番組「ワイドナショー」に漫画あたしンちの作者けらえいこさんが出演していて、その存在感と『次の発言』が気になったので番組を最後まで視てしまいました。

けらさんは「漫画家という職業を選んだのは、女性であることによって差別されない数少ない職業だから」という意味の発言をされ、私は深く頷きました。

当然のことながら、この発言から始まる一連の「けらさん発言」には賛否両論があります。賛否どちらからでも自分の意見を皆がネットで自由に発信できることは、本当に素晴らしいと思います。

tsuiran.jp

 

昨年の暮れ、日本のジェンダーギャップ指数が過去最低になってしまった件について私は様々な記事を読み、色々なことを考えました。

2019年「ジェンダー・ギャップ指数」日本が110位から121位へ(153カ国中) | 世界のデータ | 国際協力NGOジョイセフ(JOICFP)

 

その1週間ほど前に(2019年12月10日)フィンランドで新しい首相が選出され、その人物が34才の女性であるという事実、そしてフィンランドの人たちが「彼女は有能だから当然」と思っているという事実に驚いたばかり。

政治的発言など一切せず、その一面において明らかに「ボーッと生きてた」自分について「ああ、ある意味、取り返しのつかない年月を過ごしてしまったなあ」と感じました。

www.fnn.jp

 

そして 「年齢や性別に関係なく能力を発揮できる社会を構築するためには、この場合、どっちを選択すべきか?」というようなことを、これから何かを選ぶときに必ず考えよう、と強く思いました。 

president.jp

 

上のプレジデント・ウーマン・オンラインの記事にも書かれていますが(3ページ目)、日本で最大の政党であり与党である自民党の「昇進システム」を皆が受け入れてしまっている、というのも困ったもので、ため息が出ます。

フィンランドで34歳女性首相が誕生した理由 | (3/4) | PRESIDENT WOMAN Online(プレジデント ウーマン オンライン) | “女性リーダーをつくる”

 

「世の中の大事なことを決めるオジサン達」の多くが、還暦を過ぎた私と同年代か、もっと年長で、私と同じような流行歌を聴きながら成長期や壮年期を過ごしてきた人々です。 

「私が子供だった頃に大ヒットした流行歌」のうち「還暦を過ぎた今でも歌える曲」は少ないけれど、次の2曲は「男女が平等でない社会」の強烈な印象と共に、私の記憶に深く刻み込まれています。 

 

まず、1962(昭和37)年に発売された、この曲。植木等さんが歌った「ハイ それまでヨ」です。都知事も務めた青島幸夫さんの詞が覚えやすかったんですね。

https://www.uta-net.com/movie/243617/

 「丈夫で長持ちいたします、てなこと言うから女房にした女性は、掃除や洗濯の能力が低く、食べることだけ3人前。ちょっと小言を言ったら家を出て行って、そのまま夫婦関係は修復できなかった。ふざけやがって!」というような感じの3番の歌詞が、軽快なメロディーと共に今でも勝手に自分の中から出てきて、たまに一人の時に口ずさんでしまったりするのでビックリです。

 

そして、1969(昭和44)年に発売された、この曲。奥村チヨさんが歌っていた「恋の奴隷」です。

https://www.uta-net.com/movie/1830/

「邪魔しないから、そばにおいて。悪いときは、ぶって。あなた好みの女になりたい」という歌が茶の間のテレビや職場のラジオから堂々と流されていた時代が確かにあり、 それを聴きながら生活していた人たちが今でも日本社会の「支配層」の多くを占めています。

 

性別も年齢も関係なく誰もが自分の意見を発信でき、能力を発揮できる場所を自由に探せる社会。

自分の価値観と同様に他人の価値観も尊重し、様々な人と共存していくのが当たり前の社会。

還暦を過ぎた私が生まれて育った「昭和の関東の田舎」は、そういう「私にとって理想的な社会」とは、ほど遠かったです。

 

私が子育てで忙しかった平成の前半も「現場が田舎」だったので、まあ、それはそれは色々と大変で、結果的に私は「余計なことを言わず、周囲が自分に求める役を上手に演じながら、笑顔で仕事に邁進するオバサン」として生きてきてしまいました。

「言いたいことの全てを口にすれば時間も手間もかかり、自分も周囲も疲れるから、ほどほどに発言して適当な落としどころを探ることで、自分と家族を守る」という選択をしたわけです。

でも、家庭内で夫Mと私Y子との間に男女差別はなく、二人の息子を「私から見る限り男尊女卑傾向のない男性」に育て上げることには成功したと思っています。

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今の私は子育てを終え、孫育てに関わりながら薬剤師として仕事をするオバアサンなので、若い頃のような遠慮や忖度は無用です。どこで何を発言しても、その発言が無視されることは稀で、それなりに尊重されています。

3才と0才の孫達が生きていく今後の社会を「理想的な社会」に近づけていくために自分に出来ることを常に探しながら、「これ、今やった方が良い!」と判断したら直ちに実行する人間でありたいと思います。

 

ハイブリッド・マスクのすすめ

Mです。

 新型コロナウイルス(2019-nCoV)感染症で、年明け早々世界中が大わらわだ。

 2月4日時点での中国国内感染者数が、2万人を越えたという報道があった。突貫工事で千人規模収容の治療施設を作ると言って、それが明日から稼働するというニュースの一方で、1日あたりの感染者増加数がその収容数を超えているという事実を知らされると、現場の混乱はいかほどかと危惧せざるを得ない。収束までには数ヶ月を要するだろうから、とにかく個々人がしっかりと注意して生活していくしかないだろう。

 最初は、ヒト-ヒト感染が起こりにくいらしい、とか、重症化率は低そうだ、とか、あまり深刻さが無かったのに、感染者数の増加率がグングン上がってくると、そうも言っていられなくなった感がある。この増加率は、ヒトからヒトへの感染が確実に起こっていることを示していると思われる。バスの中で運転手、ガイドの両方が乗客から感染したと思われる事象を見せられると、もはや、閉じられた空間では、エアロゾル感染は確実に起こると思わざるを得ない。

 闇雲に怖がっても仕方がないものの、いまや一般的な知識になってきているインフルエンザ対策と同様に、外出時の不織布マスク着用や帰宅後の手洗いは基本事項で、外着のまま居室に入らない、など、外からは何も持ち込まない、という意識を持つしかない。手洗いだけでなくて、顔を洗うことも考えるべきだろう。とにかく、出来ることはすべてやるべきだ。

 特に、感染症にかかりやすい幼児や小児に対しては、本人が嫌がってもやるべきことを怠らないようにしなくてはならないと思う。免疫系の発達が不十分なこどもが罹患して体内でウイルスを増殖させてしまうと、増殖率が高く変異型が発生する確率も高まる可能性がある。本人だけでなく、家族にもより大きな影響を与えてしまうリスクは、そうなる前の防備にかかっていると言える。

 この感染症拡大の影響で、巷間ではドラッグストアなどでマスクの品薄状態が続いている。特に、浮遊ウイルス遮蔽能力が高いことをうたっている製品は、爆買いの対象にもなっているようだ。関連工場も厳しい状況だと推測するが、フル稼働でガンバってもらいたい。

 そんなマスクについてなのだが、Mは、ずっと前からちょっと面白い使い方をしている。

 Mがマスクを多用しているのは、東京の空気がキレイではないから。

 自転車で走り回ることが多いため、どうしても、車道でクルマの排ガスにまみれながら走ることになる。昔に比べて、車の排ガスが格段に浄化されてきたのは嬉しいことだが、車道での粉じんは排ガス由来というよりも、路面とタイヤが擦れて出来るモノとそれを舞い上げる風の影響の方が大きく、季節にかかわらず、1時間も走っているとマスク表面は色が違ってしまうほどなのだ。

 現在主流のサージカルマスク型不織布マスクが普及する前は、ガーゼマスクを何組も持っていて、毎日水洗いしながら使っていた。買ったばかりの物よりも、一度ぬらして絞った後の方が目が詰まってほこりの除去効果が高いと感じていたので、買うとすぐにしばらく水に浸しておいてガーゼの繊維を膨らませて乱す、という方法を採っていた。さらに、完全に乾かさないで、むしろ絞ったまま使うことにしていた。その方が顔の凹凸にフィットさせる効果が高く、湿っていることで粒子の吸着性も高い。チョット息苦しいのはガマンして、濡れマスクを付けて自転車移動、ということが多かった。

 今はだいぶ減ったものの、少し前まではどこもかしこもタバコの煙だらけだったが、濡れマスクはその煙にも効果てきめん。帰ってからビックリしたのは、鼻や口のあたりに、黄色い模様が出来るほどタール色が出ていたことだ。道路の粉じんでマスク表面が黒っぽくなるのもすごいことだが、タバコの煙の濾過効果が色でわかるのも、驚きと同時に、不気味だった。それを吸い込んでいたら、タバコ嫌いなのに喫煙したのと同じだと思うと、誰に向けるともなく、向かっ腹が立ったものである。

 さすがに、今使っているのは不織布マスクだ。Y子の要請もあって、しばらく前に白十字さんの不織布マスクを大箱でまとめ買いしてあって、それを週2~3枚のペースで使っている。バッグの中にも数枚入れてあって、打ち合わせ後にタバコのにおいが付いてしまったときなどは、捨てて交換できるようにしている。不織布マスクが普及して良かったのは、煙草吸いと一緒の打ち合わせのとき、そのままかけていられる雰囲気になったことだ。さすがにガーゼマスクをしている当時は、毎回、カゼですか?などと聞かれてしまうのが面倒で、付けていたかったのだが、それはガマンしていたのだ。不織布マスクが普及して、マスクをしているのが特別な状況ではなくなったのは、歓迎すべきコトだ。外国の人々から見ると、いつもマスクをしている日本人は奇異に見えるそうだが、習慣だと思ってもらえればありがたい。

 ところで、この不織布マスクとガーゼマスク、実は併用がすこぶる良いのである。

 不織布マスクは、フィルター性能が高いことで知られている。鼻に当てる部分に形状を保つための当て物を封じ込めてあって、それを曲げると、そこそこのフィット性で鼻から頬にかけての機密性を保ってくれる。蛇腹様の部分を伸ばして顎まで被うと、外気中の粉じんなどの進入を防いでくれるように感じる。が、実は、フィットしているようでそうでもない。これは、誰もが感じているのではないか、と思う。

 Mの場合、自転車で走り回っているとき呼吸が激しくなると、吐く息でマスクは浮き上がる。さらに、呼気中の水蒸気でマスク裏面が湿ると、通気性が一気に落ちて、吸ったときにマスクが鼻を塞いでしまう。これは、不織布繊維が生物繊維ではなくて合成繊維で水を吸わないことによる。つまり、不織布表面に水が結露して膜を作ってしまうような状態なのだ。こうなると、ついにはマスクを外してしまうことになって、せっかくの防塵効果も活かしようがない。

 そこで、ガーゼマスクの登場。

 Mは、ガーゼマスクを今でも時々買っていて、こちらは耳かけの紐を取り去ってしまう。ガーゼを厚く重ねた本体部分だけ残して、これを水洗いしては絞って不織布マスクの中に「装着」するのである。ただ、これだけだと、ガーゼとは言っても濡れた状態で絞るとそこそこ固くなって顔に密着しない。だから、ガーゼマスク付属のガーゼ片も濡らして鼻梁とガーゼマスクの隙間を塞ぐように使うのだ。付属のガーゼ片は、洗っているとすぐに崩れてしまうので、ドラッグストアでガーゼも別買いしてあり、それを切って折りたたんで使っている。

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 紐を取ったマスク本体に折ったガーゼを当てて不織布マスクの内側に置いて顔に当てると、だいぶ厚ぼったくなるものの、不織布マスクの中央が高く脹らんで、かえって安定した形状になる。

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 こんな風に、不織布マスク中に濡れたガーゼマスクを装着して使うと、不織布部分はしっかりとフィルターになっているし、不織布だけだと隙間がふさげない部分を、濡れた木綿繊維が塞いでくれて、これもそこそこのフィルター性能を持ってくれる。しかも、湿っていることで、冬の乾燥期は鼻や喉に優しい。自転車で走り回っていても、不織布がひっついて苦しい、ということも無いから、マスクを外して息をしなくてはならない、ということがない。

 原始的だが、道具は使いよう、の実例だと思っている。
 ガーゼマスクは、3日に一回くらいハイター処理して除菌する。その際は、しっかり濯がないと塩素臭がして息が出来ないから、処理はチョット面倒だ。

 このハイブリッド用法、個人的には非常にリーズナブルだ、と自負している。

 興味のある方は、是非お試しあれ。

孫と公園。その5 浅草[文化観光センター][弁天山児童公園][隅田公園][EKIMISE]

薬剤師Y子です。

先日、還暦を過ぎた夫婦(夫Mと私Y子)と外遊びが大好きな孫娘、計3名で浅草に行きました。

 

「孫と公園。その4」にも書きましたが、気温が低い今の時期に孫を思いっきり遊ばせて自分たちも楽しむためには寒冷対策が必須です。

www.yakuzaishi-y-co.work

 

そのため、今回も下調べに時間をかけ、浅草なら駅から歩ける距離に「何時間いても無料で、3才の孫に合う遊具がある公園」が2つ以上あり、「幼児と一緒に出入りできる暖房の効いたビル」も多数あることを確認しました。

また、今回は行きませんでしたが日本最古の遊園地「花やしき」にも大いに興味があったので、公式サイトやクチコミや他の方のブロクに目を通しておきました。

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当日、浅草駅に着いたのが朝の9時台。駅から至近の「浅草文化観光センター」が年中無休で9時から開いていると分かっていたので直行し、3人で「B1のトイレ」から「8Fの展望テラス」までを念入りに見て回りました。

展望テラスでは、自分がいる場所の高さに驚く孫娘に「これから、あの方向に歩いて行って、あの辺で遊ぼうと思っている」と説明。その気になった彼女は、その後ずっと高いテンションを保っていました。

浅草文化観光センター 施設概要 台東区ホームページ

 

ビルの外に出て、浅草寺の東隣にある弁天山児童公園へ。昭和の香りが漂う懐かしい感じの公園です。到着時には空いていたので、どの遊具も待ち時間ゼロで自由に使うことが出来ました。

実は今日この記事を書く直前に、この下の「恐るべき児童公園」というブログで『うちの孫娘が気に入って何度も出たり入ったりしていた「カバさん」の遊具の内側に「カバの内臓」が描かれていた!』という衝撃の事実を知ってしまったので、次回は是非とも自分の目で確認したいです。

waradutoya.blog.ss-blog.jp

 

最初はガラガラだった弁天山児童公園が少しずつ混んできた頃、「違う公園にも行ってみよう!」と孫娘に声をかけ、徒歩で(孫は祖父Mの肩車に乗って)隅田公園へ。

隅田公園隅田川の両側にあり、かなり広大です。この下のサイトにあるパノラマ動画を見ると墨田区側はオシャレな「大人の公園」みたいですね。

visit-sumida.jp

 

私たち3人が行ったのは台東区側で、わが家の3歳児にピッタリの素晴らしい公園でした。意味不明の雄叫びを上げながら思いっきり走り回っても誰にも迷惑がかからず、トイレ完備、遊具は多様。

彼女は特にクジラ滑り台と木製アスレチックに魅力を感じたようで、何度も何度も繰り返し遊んでいました。 

iko-yo.net

 

昼食後も、木製アスレチックに魅入られた彼女の求めに応じて隅田公園に戻り、飽くことなく何周も回り、「24時間そこにあって何時間でも無料で遊び続けることが出来る公園遊具」のありがたさを再確認しました。

 

最後は、さすがに疲れを自覚して口数が少なくなった彼女を連れて浅草駅至近のエキミセ(EKIMISE)へ。

4階のキッズパーク「屋内砂場」と屋上「ハレテラス」で時間調整しながら少し遊べるだろうと期待していたのですが、勝手に思い描いていたのとは違う感じ(広さとか、寒さとか)だったので、断念。

フロアマップ/4F エキミセ 

フロアマップ/RF エキミセ

その代わり、6階の書店の絵本コーナーで、とても良い時間を過ごすことが出来ました。 

フロアマップ/6F エキミセ

 

帰りの電車では「先頭車両の先頭」に乗って、相互乗入の2社の運転士さんが交代する現場を偶然にも見ることが出来ました。

すっかり暗くなった夕方、孫娘は、約束の場所まで迎えに来た私たちの長男Cの腕の中に戻り、満面の笑みで祖父母に手を振りながら帰って行きました。

 

今回のミッションを無事に終えた翌日、最後のエキミセに関する私の情報源を再び確認したところ、参考にした他の方々のブログの日付が「やや古め」でした。

「幼児や乳児を連れて、ここに行ってきました。こういう点がオススメ!」と書いてあっても、そして掲載されている写真を見て私が「うちの孫にも良さそう」と思っても、当然のことながら「そこが今どういう状態か」は、公式サイト等で直前に確認する必要がありますよね。

今回はエキミセ6階くまざわ書店さんの絵本コーナーに用意されていた何種類もの絵本サンプルと多数の椅子に助けられましたが、祖母Y子としては「下調べの甘さ」を大いに反省しています。

 

久々の襲来 帯状疱疹からの脱出

Mです。

 自分ではいつのことだか忘れてしまっている幼少期、身体じゅうに紫色のチンキを塗られたことを、今でもはっきりと覚えている。大人たちが紫チンキと呼んでいたそれは、水疱瘡の発疹につけて痒みをおさえ、掻きむしってしまわないようにする塗り薬だった。その後とんとお目にかかっていない薬で、もう存在しないのかも知れない。今なら、やはり抗ウイルス剤入りの軟膏の出番だろう。

 その原因ウイルスVaricella-Zoster Virus(ヘルペスウイルスの一種)は、いちど水疱瘡というかたちで感染症状を現すと、その病状が治まっても完全に駆逐されることなく、脊髄神経節などに棲みついて休眠状態で隠れている。それが、何年、何十年も経った頃、宿主であるヒトが体力低下(免疫系の活性および機能の低下)を起こすと、思い出したように眠りから覚めて少しだけ暴れ出す。滅多に重篤な症状に陥ることはないが、とても不快な症状を起こして、数週間のあいだ宿主を悩ます。これが、帯状疱疹だ。

 Mは、30年ほど前に左胸部背面に発症した。下着が触れるのも痛みに繋がる状態で、精神的にしんどかった。快癒までは2週間かからなかった。発疹が出始めたときに帯状疱疹であると判断できたので、クリニックに行くでもなく薬を使うでもなく、自らの免疫系に頑張ってもらって2週間足らずで治まった。仕事場の人たちには話していないので、誰も知らないままだった。

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  (オムロンヘルスケア さんから拝借)

 その後、20年ほど前に左肩後ろに2度目の発症があった。前の場所から脊椎骨で3個ほど上がった位置で、VZVのヤツら、頭部を目指しているのか?と思った。そんな目的はあるはずもないが、とにかく、棲みつく神経節が変わったことだけは確かだった。 2回目は、皮膚感覚が鋭敏になってなんかオカシイと感じたとき、帯状疱疹かな、とは推測していた。数日その状態が続き、ビリビリと強く痛み出すと、それから1日経ったくらいで見事な赤い斑点がボツボツと現れた。発疹発現から5日ほど痛みに悩まされ、その後、快方に向かった。このときも症状が消えるまでは、およそ2週間だった。モノの本には、発症から2~3週間とあるが、「いつから」というポイントがつかみにくい疾患なので、普通は確定してから2週間以内に快癒する、という感じの病気だ。

 幸いにして、2回とも神経痛が残るなどの後遺症もなく、スッキリと快癒した。

 そしてこの年明け、そいつは、左側頭部に現れた。

 1月5日の日曜日、PC作業していたら左耳の後ろから後頭部中央付近にかけての領域に、チクチクした感覚が生じた。触ってみると、右側に比べて皮膚が少し厚くなったような弾力を感じた。左側頭皮にだけ、表面に薄いゴムを被せたようなちょっと抵抗感のある感触で、指先に触れる毛髪の基部が痺れる。ついぞ忘れていたこの感覚。うわっ!これ、帯状疱疹じゃないの!? と思い、経過観察することに。
 違和感は徐々に増していき、6日になると、ゴム化した皮膚部域→首筋→左背胸部へと連なる” ひとすじ ” のズキズキ痛が短時間発生しては治まる、ということを繰り返し始めた。その痛みはレベルが少しずつ上がっていき、同日夜には鎮痛剤を使わなくてはならないレベルに達した。鎮痛剤には、自分に一番合っているものとしてエキセドリン錠を使い続けていて、それを飲むと痛みは軽減する。が、無くなることはない。痛みの度合いが増していくし、頭なので何をやっても集中できない。仕方なくエキセドリンを飲む間隔が短くなっていき、7日になると6時間置きに飲む始末。本来、一回2錠、一日2回が用法。8日にはさらに痛みの度合いと頻度が増して2錠飲んでも4時間くらいしか保たなくなってしまった。

 そんな様子を観察していたY子は、薬剤師としてそのまま放置できないと判断し、帯状疱疹に対する効果的な投薬方法を探ってくれて、それを試すことになった。

 帯状疱疹にはアセトアミノフェンの単剤投与の方が効くらしい、ということでタイレノールを購入して試してみた。しかし、残念ながらMにはあまり効果が無く、結局はエキセドリン一本で、Y子の管理下、投与量を注意しながら飲み続けることになった。

 こう書くと、その間は何も出来なかっただろうに、などと同情されるかも知れないが、実はそんなことはなく、痛いけれども原因は解っているので本人はいたって安穏。痛みさえ我慢すればなんということはない。ニット地のネックカバーという名称で売られていたものを見つけて、それを左側頭部から後頭部を保温するように被っていると、だいぶ痛みが薄らぐので、そのまま仕事していた。

 この症状のさなか、孫むすめをジジババで一日預かる予定が入っていて、11日がその日だった。エキセドリンを4時間毎に服用している時期で、この予定も、ちゃんと乗り切ったのである。面白いもので、肩馬が好きな孫を載せていると、痛いところが全て覆われてしまうのですこぶる調子がよい。痛みが起こりにくいのである。かといってずっと肩馬しているわけにも行かないから、滑り台で遊んだり丸太渡りをしたりと色々なことをして一日を過ごした。

 その日の夕方にはさすがに痛みの頻度が上がり、かなりしんどかった。身体的疲労で、免疫系がウイルスに押されていたのだろう。

 結局、今回の帯状疱疹は、発疹がほんの数個出たかな?くらいでそれ以上進むことはなく、痛みが徐々に引いていって17日にほぼ治まった。オカシイな、と気付いてから13日。ほぼ2週間の戦いだった。

 実は今回、帯状疱疹かな、と気付いたとき、アシクロビルという抗ウイルス薬を通販で買うかどうか迷った。

 この薬は、抗ヘルペス薬として20年以上使われ続けている信頼できる薬で、クリニックに行けば帯状疱疹と確定された段階で処方してもらうことが出来る。帯状疱疹向けの軟膏は市販されているが、内服薬は処方薬なので、医師の判断が前提である。しかし、確定判断は発疹を確認してからなので、帯状疱疹が出てからクリニックに行った患者のことを考えると、ウイルスの増殖阻止というこの薬本来の目的からすると、既に後れを取っている。医師の診断を受けるまでに、ウイルスは充分に増えていて、そのせいで発疹が出来ているのだから、本質的にはもっと早くに投薬すべきなのだ。けれども、医師の診断には発疹の発現確認が欠かせない。なぜなら、発疹が出ていない段階では、他の原因がいくつも考えられるわけで、安易にアシクロビルを処方するわけにはいかないのだ。採血して抗ヘルペス抗体価を測るということも手段としてはあるだろうが、殆どのヒトは抗ヘルペス抗体を持っているし、その濃度は疾患にかかっていなくても高めになっていることは考えられる。感染状態はざらにあるのだから、抗体陽性だからアシクロビル処方、とはいかないのである。

 というようなことを思いながら、左側頭部がチリチリしてきた段階で、ネット通販を探してアシクロビルを買ってしまおうか、と考えたのである。

 が、結局はやめにした。

 これまでに2回経験していて、痛いだけでそれ以上のことは起こらないことを知っているし、もし重篤な症状に繋がる兆候が出たら、その時は、よりしっかりした対応をしなくてはいけないことも知っている。しかも、現実的な問題としてネット販売している米国製の製剤が結構高いのだ。もちろん保険が利かない実費である。

 疱疹が出てから飲み始めたとして、1錠あたり150円程度のものを、一回4錠で一日6回、それを1週間続ける、というのが一般的な用法。つまり、1日あたり3600円を7日である。そんなことをするなら、我慢してクリニックに行った方が安上がりだ。とはいえ、クリニックに行くには発疹が出てからでないと処方箋が出ないかも知れない、というのも現実だ。

 要するに、自分で帯状疱疹であると確信しているMとしては、痛みを我慢できるかどうか、だけが判断基準だったのだ。

 アシクロビルの通販サイトの書き込みに、安心のために帯状疱疹に備えて買っておいて良かった、というコメントがあった。

 う~~む! 備えあれば憂いなし、というような頻度で帯状疱疹になる人がいるのだろうか? だとしたら、そんな頻度で発症する要因の方が問題なのではないか。

 Mの人生3回目の帯状疱疹騒ぎは、結局、出たか出ないか程度の疱疹で終幕となった。

 ところで、今回の発症場所は、20年前の場所から更に上に移ってついに頭部に達していた。ヤツら、やはり上昇志向だったのだ。Mが生きているかどうかの方が問題だが、次回はどこに現れるのだろう。

 それにしても、今回、発疹が殆ど出ないで完治したのは、孫のおかげかも知れない。肩の上で首周りを暖めてくれていた孫むすめのおかげで、じいさまの免疫系がガンバッタ結果なのではないか、と思っている。(ジジバカ!)

 孫は偉大である。