理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

孫と公園。その8 城南島海浜公園つばさ浜

薬剤師Y子です。

9月某日、4歳の孫娘・夫M・私の3人で城南島海浜公園つばさ浜に、そして翌日には同じメンバーで大横川親水公園に行って遊びました。

両日とも曇り空で、残暑と日焼け、それらによる疲労を恐れていた私にとっては好都合でした。

 

今回は、つばさ浜について書きます。

 

城南島海浜公園つばさ浜

ここは、かなり前に夫Mと一緒に下見し「羽田空港に近いから離発着する飛行機が大きく見える! 住宅地だったら騒音に他ならない迫力ある音が数分おきに聞こえるので遠慮なく大声を出せる! お金かけずに砂浜を駆け回ったり掘ったりするだけで孫が喜びそう!」と内輪の前評判は上々でしたが、コロナ禍で駐車場が閉鎖されてしまい「おあずけ」状態が何か月も続いていました。

つばさ浜 | 東京港南部地区海上公園ガイド

 

自由に出入りできるようになった場合に備え、百円ショップで柔軟なバケツ・小さなプラスチック製の熊手・シャベル・網などを買い、準備万端ととのった状態で、あとは待つのみ。

待ちに待った今月ついに、それらの出番が来たのです。

ほどよく曇って気温も丁度よい朝9時ごろ。まだ駐車場も、好きな場所を選べる状態。そして目の前の砂浜にいる人は何人なのか簡単に数えられる程度。波打ち際に向かって勢いよく進む孫娘。よしよし、ここまで大成功!

f:id:Yakuzaishi-Y-co:20200922101935j:plain

http://www.misaki.rdy.jp/illust/「みさきのイラスト素材」さんより

 

上の可愛いイラストのうちヒトデは見られませんでしたが、貝殻は何種類も、そして生きている小さなサザエを1個、苦も無く手にする孫娘。もちろん生きているサザエさんには記念写真を撮ったら直ぐ、海に帰っていただきました。

 

頻繁に離陸して大きな音と共に頭上を通り、やがて雲の中に消えていく飛行機を見上げながら、サンダル履きの足を踝(くるぶし)まで海水に浸し大はしゃぎで砂浜を駆け回る孫娘は、そのうち飛行機に飽きたらしく、また私も、彼女が転んだりしていないか気になって彼女の方ばかり見ていて、あまり飛行機を見上げなくなりました。

夫Mだけが「ああ、都内上空を避けるために、かなりの旋回角度で曲がっていく」とか「あのタイミングで後輪をしまってギアを入れるのか」とか言いながら、次々に離陸する飛行機を興味深そうに眼で追っていました。

 

時間が経つにつれて砂浜で遊ぶ人の数が増えてきたので、私たちは小さなカニフナムシがいそうな岩場に移動。夫Mが網でフナムシを捉えて見せ、その後で網を渡された孫娘は存分に網を振り回し、すでにバケツに入っていた色々な形の貝殻を私が時おり網に入れたりすると「大収獲!」という表情で何やら私の知らない単語を叫んでいました。

 

つばさ浜で過ごしたのは2時間程度でしたが、祖父母と遊ぶために遠出するのが楽しみで朝5時台に起きたという孫娘にとって脳と体の活動量は充分だったようで、移動のため車に乗ると、間もなくグッスリ寝てしまいました。

 

飲み物とアイスクリームの自動販売機、足も洗える水道、トイレ、駐車場。

つばさ浜は、この日の私たちにとって必要なものが全て揃った、とても良い場所でした。

 

蛋白質の「蛋」は「鳥の卵」

薬剤師Y子です。

都内にある私の職場の周辺はコロナ禍によって一時期とても閑散としていましたが、最近ずいぶん人通りが多くなってきました。

でも「コロナ禍を経験する前」とは色々な点が異なっています。改善されたこと、残念な変化、両方ありますね。

 

仕事から離れて個人的にも「あの頃には戻れない。もう、ああいうことは出来ない」と感じることが多々あります。

 

例えば、1985年に公開された伊丹十三監督の映画「タンポポ」の中で役所広司さんと黒田福美さんが演じた「生卵の黄身を何度も口移しするシーン」。初めて観たときの感想は「役者さんって本当に大変!」でした。

こちらが、その映像です。「こういうのは好きじゃない。観たら、もう生卵は絶対に食べられない」という方は観ないで下さいね。

www.youtube.com

 

薬剤師Y子が映画「タンポポ」を観たのは、「公開直後に映画館で」ではなく「何年も経ってから自宅のテレビで」でした。そして、そのときは既に吉田戦車さんの「伝染(うつ)るんです。」という不条理ギャグ漫画を知っていたので

www.youtube.com

テレビの前で思わず、黒田さんと役所さんに向かって「あ~、そんなことしたら、いろいろ感染(うつ)るんですよ~」と言ってしまったのを覚えています。

感染症を防ぐために何をすべきで何を諦めるべきか皆が考えざるを得なくなった今、ああいうシーンの撮影は、もう出来ないだろうな」と、また自宅のテレビで古い映画を観ながら、当時のことを懐かしんでいます。

 

卵と言えば、私の実家の朝食では「一人に一つ、生卵」が定番でした。母が用意してくれる朝食を必ず食べてから登校していた高校卒業までの日々、出産の後しばらく実家で世話になった間、息子たちを連れて泊まりに行ったとき、いつでも当たり前のように生卵が出てきました。

f:id:Yakuzaishi-Y-co:20200906125347j:plain

そのせいか私は今でも鶏卵、特に生卵が大好きで、夫Mと休日の朝に行く某ファミレスの朝食バイキングでも、必ず複数の卵料理を食べています。

以前は「卵を食べると血中コレステロール値が高くなるから1日1個までにしている」と言っていた知人が何人もいましたが、私は「そんな単純に連動するものじゃないよ~」と感じていたので、長年「卵は、チャンスがあれば多めに食べ、タンパク質が不足しないようにする」ことを心がけてきました。

蛋白質の蛋は「鳥の卵」、蛋白は「卵の白身」という意味。何年か前、偶然に入った街の大衆的な中華料理屋さんで「そうだ、タマゴ料理には蛋という字が使われているんだ」と再確認したのを覚えています。

 

時は流れ、今の「定説」は下記のように変化しています。薬剤師Y子としては「あなたの自己流、まあまあだったね」と言われているみたいで嬉しいです。

tokuteikenshin-hokensidou.jp

さらに私は、いま30代の息子達が高校を卒業して家を出て行き私と夫Mが夫婦だけで食事をするようになってから毎日、平日の朝食として納豆とヨーグルトを食べ、牛乳を飲んでいます。それ以外にも「その時あるものを色々」食べますが、納豆/ヨーグルト/牛乳を胃に送り込んでおけば「今朝の分のタンパク質は、これでOK」と思えて気分よく職場に向かうことが出来るのです。卵は昼食時に食べることが多いです。 

 

植物性と動物性のタンパク質を同時に摂ることを今は「ダブルたんぱく」と表現するみたいですね。興味のある方は、こちらの記事も読んでみて下さい。

義務教育現場のデジタル化 Chromebookが背中を押す?

Mです。
 コロナ感染封じ込めのために人の移動をなくすため、企業の一部はテレワーク化に一気にシフトした。

 その動きの中で、従来の出社至上主義が誤りだったことを悟り、オフィス資源の無駄、人移動の無駄、移動時間の無駄、などを解消する動きも生まれた。それでかまわない企業は、今後もその方向でいけばよい。やはり現場作業重視なら、人の動きだけを極力減らし、ネット管理で現場と指揮系統をつなぐという手法を、どんどん取り入れていくことが重要な課題になっている。

 情報機器の整備とそれを使いこなす人の教育が、これまで以上に重くなる。オレはパソコンは無理、では通らない世の中になっていく。デジタル・デバイドにおののいてはいられない。かといって、いろいろな技能者みんなにデジタル機器を使いこなせ、というのは酷な話。それが出来るバディーとのペアで仕事を進める、という方法が重要になるのではないかと思っている。

 さて一方、コロナにおびえ、深く考えもせずに全国の学校を一斉休校させた日本。休ませてしまってから、教育現場にデジタル化授業を行き渡らせなくては、と慌てる当局の、笑いでは済まされない不甲斐なさに、多くの人々が口を「への字」にしたのではないだろうか。

 早くからサテライト授業を普及させてきた大手予備校などの様に、在宅授業に速やかに移行させた組織は、まさに先見の明を持っていたということになる。

 ただ、現実問題としては、そんなシステムを義務教育現場に持ち込むには、ハード、ソフトの両面から高すぎる壁があるわけで、担当官庁がいくら言葉だけを発したところで、そうそう進むはずがない。なぜなら、デジタル機器、つまり、タブレットやNotePCなどの整備が追いつくはずはないし、使わせられる側も、誰でも使える状態にはないのだから。

 そんな状況下で、日本でも「Chromebook」なる、新手のPCが徐々に普及速度を上げているようだ。

 既にガラケースマホが追い抜いている状況で、スマホがあればなんでも出来る、状態が進んでいる。在宅授業にスマホが使われている現状があるが、これは最適な機器だからということでは決してない。機動性に富んでいながら情報機器としていっぱしの能力を持っている機械が、ほかにないからだ。それで済む範囲なら、スマホでこれからもOKだと思う。
 ところが、である。

 小学生が授業をスマホで、ということになると、さすがに首をかしげなくてはならない。

 授業内容全体を大枠で捉えながら、部分毎に説明を描き加えてはかみ砕いて教えていく、という黒板スタイルの方法は、子どもたちにとって受け入れやすい仕組みだが、小さな画面でそれを行うのは難しいだろう。やはり、もっと大きな画面の機械が必要だと思うのだ。
 それを考えると、これまでは、学校にPCを導入と考えられてきたものの、台数とそれにかかるコストがハンパではない。マスク配布の比ではないのだ。PadやBookという案も出てはいたものの、それらへの教育ソフト導入はあまりうまくいっていなかったようだ。

 ところが、デジタル界の4強GAFAの筆頭Googleは、Chromeというブラウザの普及をうまく拡大していく中で、PCの世界に軽妙洒脱な戦術を組み込んできた。ブラウザ機能に特化してしまったPCの導入であり、それが「Chromebook」なのだ。

f:id:otto-M:20200908234507p:plain

 このPCは、WindowsでもなければMacでもない。ChromeOSが中枢で、全ての作業はブラウザ上で行う。つまり、自分自身にはデータを蓄積しない完全なクラウド型装置である。

 その利点は、各種アプリを自分自身にインストールすることを捨て去った身軽さにあり、すべての作業、データは利用者のIDで登録されたクラウド環境の中に管理されている。特別なソフトを使いたい、という個別の希望は叶えられないが、それが逆に強みで、Chromebookを使うという共通の枠に入れば、教育現場の環境がそのままChromebookの支援環境にスッポリ収まってしまう。

 ブラウザという共通環境を教室に見立て、先生と生徒が互いに同じものを見て通信し合う。もちろん音声、画像を使った疑似教室の中で、リアルタイムの授業が構築できるのである。

 米国では既にこの方式が広まってきているという。その仕組みが、コロナの閉塞環境のなかで、日本でも動き出した、ということなのだろう。

 Chromebookで検索すると、AcerASUSLenovo、HP、などなど、各社が10~15インチクラスのキーボード付きマシンを売り出している。価格は、なんと2万円台から。
 CPUはIntelCeleronクラスから i3クラスまで揃っていて、メモリーは全てDDR4世代だから、ブラウザ環境ですべて動かすのが基本のマシンとしては、不足はない。むしろ、重いアプリをいくつも抱えているNotePCよりも格段に快適なのではないかと思う。
 
 思い仕事ばかりPCに強いているMは、重い仕事を並行動作させながら、さらに軽い仕事も同時並行させているせいで熱い排気を振りまいているデスクトップに、思わずゴメンな、と心の中で呟いている。

 Chromebookは、教育現場の熱い視線と同じように、企業現場でもその価値が高まってきているようだ。

 大企業では、デスクワークする人全てにNotePCを持たせ、データはサーバーに置いてみんなが同じ土俵で作業しているのが普通になっている。そんな状況なら、もはやNotePCでなくても良い。むしろ、コスト面からもCromebookの様なハードの方が安上がりだし、ウイルス対策も中枢だけで行えばよいから、サイバーセキュリティー面からも好都合。なにしろ、Chromebookには、ウイルスが入り込む余地がない。データを自分の中に持っていないのが基本なので、ネットに繋がってはいても悪者が入り込んで巣くう危険性が低いのだ。

 スマホ全盛、とは言うけれど、やはり大きめな画面で多くの情報をまとめて視認するという作業の方が、効率は絶対良いと思う。さらに、キーボードというツールは、作業性がとても高い。

 高額でOS更新など手間も多いNotePCから、Cromebookのような特化したBook PCへ移行していく動きが、次第に進んでいくように思う。

新型コロナ血漿療法 ; 日赤さん、がんばってもらえませんか?

Mです。

 ついに言い出したか、の感がある。

 先週初め、米国FDA(食品医薬品局;日本の厚生労働省に相当)が、緊急的な方策として、新型コロナウイルスに感染して回復した患者の血漿を、治療薬として用いることを認めた。
 ↓ 参考ニュース
 https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=69750

 日本赤十字さん、これって、あなたの出番じゃないですか?!

 

f:id:otto-M:20200831122835p:plain

  8月29日現在でおよそ600万人(!!)の感染者数に届いてしまった米国では、是が非でも効果のある治療法を採用せざるを得なくなっているのだと思う。既に18万人の患者が亡くなっている状況では、医療現場もパニック状態になっているケースもあろうかと想像する。

 感染症にかかった人が回復した、ということは、その人が原因となった菌やウイルスと戦って勝った、あるいは封じ込めたことを意味する。
 それは、その人の免疫系がうまく働いて病原微生物に対抗できた、ということだ。

 その仕組みは、液性の免疫、細胞性の免疫の二つの仕組みから出来ていて、それらが密にリンクして連携している。病原微生物がやってきたとき、巡邏警官のように体中を偵察してくれている監視役の細胞たち(リンパ球,白血球など)が、細菌やウイルスの攻撃を受けた場所(細胞、組織)を発見すると、その情報を即時攻撃する役の仲間に伝える。同時に、攻撃する武器をしっかりと準備して戦線を整える役の仲間にも、迎撃準備の指令を与える。
 速攻部隊は被害を受けた細胞や組織を木っ端みじんにして処理してしまう役を果たすので、江戸のむかしに活躍した町火消しのような働きだ。それ以上の被害を広げないように、前線で食い止めるのである。
 いっぽう、後続の徹底対戦部隊では、武器を持つ細胞の部隊と、敵を動けなくして処理するためのクスリを作る部隊とから成っていて、それぞれが大急ぎで対策をはじめる。前者が細胞性免疫の部隊で、直接的にウイルス感染してしまった細胞を処理したり、免疫系全体に関わる伝達物質をばらまいて免疫細胞たち全体の体制を整えたりする。いっぽう、後者がいわゆる抗体を作って敵を封じ込める液性免疫部隊、ということになる。液性免疫といっても、その工場そのものが、抗体産生細胞と呼ばれるリンパ球の仲間たちである。

 今回FDAが認めたのは、この抗体産生部隊に関わっている。抗体産生部隊が作り出した「抗-新型コロナウイルス抗体」を含んでいるはずの「回復患者血液」の利用、ということになる。

 回復した患者の血液には、しばらくの間、新型コロナウイルスを駆逐するのに使われていた抗体が残っている。そもそも、新型コロナウイルスとの戦いに勝ったと思えていても、実は、ウイルスはまだ残っているのかもしれない。病気の症状を出せるほどの数がなくなってしまったので、病気が治まったと見えているのかもしれないのだ。だから、回復してすぐの患者ほど、まだこの抗体を作り続けていて、アングラではウイルスを駆逐し続けている、ということもあるわけだ。
 ならば、この抗体を含んだ血を分けてもらって、細胞成分を除去した液体部分だけにして「特効薬」にしようではないか、というのが、このお話のエッセンスである。

 実はこの療法、かなり古くから知られていた方法で、珍しくも何ともないし、むしろ、当然考えるだろう方法である。ただし、普通の人がクスリととらえるモノとは、だいぶその性質が違う。
 クスリ、と聞いたときのイメージは、漢方薬のようないろいろな草木獣エキスが含まれる経験の蓄積で作られてきたモノと、特定の成分だけ選りすぐって抽出したり合成して作り上げた西洋薬と呼ばれるモノに分けられるだろう。

 では、この患者の血液由来のクスリは、どちらに入るのか? Mは、どちらにも入らないモノとしてとらえている。あえて言えば、臓器移植と同じ手法だと考える。なぜなら、血漿には、提供者個人に特有の要素が多分に含まれたままで、別人でもすんなり受け入れられる要素もあれば、受け入れられない、あるいは受け入れてはいけない要素もあるからだ。言い方を変えれば、リスクもあるが効果の方に期待する、という特殊なクスリなのである。

 先ほど「抗体」という語を使ったが、これは、結構大きなタンパク質で(免疫グロブリンと呼ばれる)、高等脊椎動物のリンパ球が特定の対象に対して作る体内のクスリである。今回は、この抗体を使いたくて患者血液を求めているのだが、実は、その抗体成分には多種多様のものが含まれている。ウイルスに対する抗体もあれば、全く関係のない対象に対する数々の抗体も含まれている。更にいえば、場合によっては、その提供者のもつ病原性微生物やウイルスさえ含んでいる可能性があるのだ。時間をかけて、必要な抗体成分だけを抽出してくることは可能だけれど、そんな時間をかけるだけの余裕がない。だから、固形成分を除いただけの「血漿」を治療薬に使おう、というわけである。

 川崎病、という子供のウイルス疾患がある。その治療法として、免疫グロブリン療法という方法があって、これは、献血で集められたりした多くの人の血漿から作ったクスリを用いる。多くの人からもらった血漿を集めて、そこから免疫グロブリンを多く含む部分を取り出したものである。その効果は高く、実に有用だ。本当のところはよく分からないものの、川崎病の原因になるウイルスはたいていの人が既に感染した経験があるが病気にならないで通り過ぎてしまった、と思われている。そしてそれは何度も繰り返して起こるので、普通の人の血液には常にこのウイルスに対抗する抗体が存在している。だから、選ぶことなく、いろいろな人由来の血漿を集めてそこから抗体成分を含む部分だけ採ってくることで、クスリになってしまう、ということなのだ。

 新型コロナウイルスの場合、回復した患者のモニタリングで、ウイルスに対する抗体の量が2ヶ月程度でどんどん減ってしまう、というデータもあるから、回復した患者さんに、なるべく早いうちに血液を提供してもらい、その血漿を使わせて欲しい、ということになる。

 とはいえ、実は、ことはそう簡単には済まない。
 先ほども記したように、血漿中には、場合によっては「良からぬもの、望まないもの」も含まれている可能性がある。また、誰もが知っているように、血液には型があって、型が合わないと赤血球が塊を作ってしまうが、その塊を作る元は血漿中にある赤血球型抗体、つまり免疫グロブリンなのだ。
 そう考えると、この血漿療法は、回復患者さんからもらった血液をすぐに使える、というわけではないことが分かるだろう。
 そこで、行われるのが、含まれているかもしれないウイルスや細菌の除去または失活化(不活化と言う)、血液型抗体などの除去(吸着除去できる)、などの前処理になる。そのノウハウはほぼ確立されたものなので、ちゃんとした組織なら出来る。FDAが認めているのも、そういう手法で安全にした血漿を治療薬に使うこと、に他ならないだろう。

 そう考えると、米国のようにたくさんの発症者を抱える状況とは違うものの、確実な治療薬がない現状で、しかも、各種の試みが進んでいるものの確実性が見えないワクチン開発の現状なのだから、日本でも、血漿療法の採用を考えておくべきだと思う。

 幸いにして、日本には、血液の公的組織「日本赤十字社」がある。
 彼らは、血液のエキスパート集団で、無償の献血、という世界に誇れる制度を確立して実践している。

 新型コロナウイルス対応ですべてのデータを抱えているはずの国立感染症研究所から感染者の動向リストを提供してもらい、回復患者さんの了承の後、日赤さんが献血ルームなどでその人から血液提供してもらう。それを集めて、血漿成分を分離し、日赤さんの設備で安全化処理を施し、「新型コロナ感染症治療薬」として製造する。
 医師会とも密に連絡を取りつつ、全国規模でこのクスリをうまく使っていくと同時に、その効果をモニタリングしていく。

 国民の連帯が容易に得られる日本だからこそ、可能な策ではないだろうか。
 
 是非とも、日赤さんにその力を見せて欲しい。 

 

 

 

 

私の歯科遍歴

薬剤師Y子です。
以前の記事にも書きましたが、今の私には信頼できる「歯科の主治医」がいます。

www.yakuzaishi-y-co.work


今日は、そんな私の歯科遍歴について書きたいと思います。

幼児の頃の私には「味噌っ歯」がありました。
昭和30年代には「乳歯は生え替わるから虫歯になっても気にしない」という親が多かったように思います。
私も、乳歯を治療するために歯科に通った記憶は全くありません。

 

田舎の公立小学校(いわゆるマンモス校でした)に通っていた6年間については「毎年6月4日は虫歯予防デーだから、その前に図画工作の時間を使って画用紙に水彩絵の具でポスターを描いた」「同学年の女子に、両親が内科医で叔父が歯科医という子がいて、彼女の姓を冠したS内科医院とS歯科医院に、私は母と一緒に通院していた時期がある」「彼女の叔父であるS歯科医師に『とても歯並びが良い』と言われて嬉しかった」等の記憶があります。

 

でも、その同じS歯科医師に、高校時代の私は「あなたは歯を磨きすぎている」と強い口調で言われ、その回を最後に、そこには行かなくなりました。

 

薬学生になって住む場所が変わり、最寄り駅の近くにあった歯科医院に行ったときには「受付、診療、会計を一人でこなしていた老人(もちろん歯科医師)の雰囲気の暗さ」と「そこにいる間は終始その老人と二人っきりであること」が「なんかコワイ」という理由で、2回ぐらいしか通いませんでした。

次に行った歯科医院は、就職し、結婚もした私が11ヶ月だけ住んでいたアパートから行きやすい場所にあり、初めて「自分だけの保険証」を持って通院した私は、親知らずを4本とも抜歯するなど、大変お世話になりました。

f:id:Yakuzaishi-Y-co:20200830125603p:plain

その後、母親になった私は別の場所に引っ越し、歯の詰め物が外れてしまった時などに迷うことなく電話で予約する「近所の歯科医師」に巡り会いました。
若い頃は彼を全面的に信頼していたのですが、50歳を少し過ぎた頃、保険外治療を勧める彼の言葉に乗って「いつもより1ケタ大きな金額」を支払った後で「いつもより悪い結果」に見舞われ、「彼の前で無防備に口を開けて座るのは、もう嫌だな。別の歯科医を探そう!」と思いました。

 

ネットで検索し、「できるだけ歯を抜かない、削らない」という方針がホームページに明記されていて、しかも私にとって通いやすい場所にある歯科医院を見つけました。上記「ご近所の彼」との顛末を話し、悪い結果に終わった箇所を治療して貰い、その後は原則として月に1回、通院して診て貰っています。

今の主治医の指導に従って歯ブラシを「やわらかめ」に変えたところ、口の中の状態が好転し、高校時代に「Sちゃんの叔父さん」に言われた「磨きすぎ」の意味も、よく分かりました。私は長年、歯の根元や歯茎を自分で傷つけていたのです。

 

歯科医との相性は、とても大事ですね。

この記事が、どこかの誰かの歯を守る上で役立ちますように!

ヤモリ屋敷

Mです。

 週末を過ごしている家は、週2日足らずしか人の出入りがない。

 家の東側に草地の庭(庭と呼ばない人もいるだろう 笑笑)があり、数知れない生き物が棲んでいる。だから、それを補食する小型動物もたくさんいる。ただ、お目にかかることが少ないだけで、アオダイショウもいればネズミ(カヤネズミ;小型マウスの一種)もいる。モグラも棲んでいて、時々、モグラ穴にボコッと足を踏み入れることがある。アオダイショウは、ずっと前から棲んでいるヤツで、去年会ったときの体長は1.5m以上あった。今年はまだ出会っていないが、たぶん元気だろう。一間(1.8m)くらいに成長しただろうか。どこかの家ネコも、餌場兼トイレとして、この草地を使っている。3匹程やってくるが、真っ黒な雌ネコは呼ぶと近づいてくる、Mの仲良しである。

 果樹も何種類か育っているが、とにもかくにも、草の密度が高い。年に2回程草刈りをするが、土が完全に露出することはない。真ん中あたりに畳3枚程の面積を耕してあって、自分としてはそこでいくつかの野菜を永年観察しながら繁殖させている。だだ、週に2日足らずしか居ないので、周囲の草丈の方が勝ってしまい、とても耕した場所があるとは判らない様相だ。

 それでも、良く観れば、シソとジャガイモがエノコログサが風に波打つ間から、チラチラと見えている。ニラもだいぶ増えているのだが、遠目には数多くのイネ科植物に隠れていて見分けられない。花が咲いて初めて、あっ、あそこにあったのか、とわかる。

 そんな自然だらけの状態だから、家屋周りにも小動物がひしめいている。

 屋内には十匹以上のハエトリグモたちがチョロチョロしているし、外壁には、ジョロウグモの巣がたくさん懸かっている。帰宅したときの第1注意点が、家にはいるまで、蜘蛛の巣を壊さないこと、である。気づかずに頭にくっつけてしまうこともあるが、うまく剥がせば次の日にはヤツらが補修してしまう。こちらも、同じ過ちを繰り返さないよう、細心の注意を払って、再突入を避けている。

 夏の夜に良く出会うのは、ヤモリ(ニホンヤモリ)だ。

 明かりが漏れる窓には、夜行性の昆虫がバンバン飛んでくる。それを狙って窓にはり付いているのである。だから、大抵は腹側からしか見えない。おどかしては気の毒なので、ただ観察するのみ。気が向くと写真を撮らせてもらうくらいで、お互い平和に暮らしている。
その姿が、とにかく可愛いのである。

f:id:otto-M:20200825231827p:plain

 ↑ 台所小窓にはり付いているオス。体長10cmくらい。手足の吸盤がカワイイ!

 ヤモリもずっと以前から見かけてはいたが、その数は確実に増えている。サイズもまちまちで、明らかな成体サイズ(頭尾長10cm以上)もいれば、去年孵化したらしい5cm未満クラスもいる。ヤモリの寿命は15年程度といわれているから、結構な長老も混じっているかも知れない。小さいヤツらが何カ所かで同時に見つかるから、毎年着実に増えているのだと思う。

 その理由は、2階ベランダの南隅に、以前使っていた葦簀の束を3束ほど立てかけたままにしてあるからだ、と思っている。

 そこには栗の大木から落ちた葉も積もっていて、冬は恰好の越冬場所になっていると思われるからだ。事実、何の気なしに冬場にその場所をいじったら、葦簀の隙間から冬眠状態のヤモリがボテッと落ちてきた。慌てて隙間にこじ入れて寒くないように戻した。たぶん、葦簀のかたまりの中に、何個体もうずくまっていたのだろう。
 気づけば、その周辺の壁には、孵化が済んだヤモリの卵の一部が貼り付いたままになっている。外壁に何本もの溝があるが、その溝に産卵し易いらしく、何カ所にもくっついている。ホコリにまみれて黒ずんだものから、去年のものらしいまだ白いものまで、たくさんくっついている。

ヘビもいればネコも来る。鳥もたくさんやってくるから、孵化したばかりのヤモリたちにとっては、結構危険な環境でもある。毎年何個体孵化して、どれくらいの率で年を越せるのか判らないが、感覚的に年々増えていると感じるから、危険はあっても、我が家は優れたヤモリ屋敷なのかも知れない。

 年々暑くなっていると感じる夏も、ヤモリたちにとってはむしろ好都合。

 あったかいぜ、と我が世の「夏」を謳歌しているのかも知れない。

 どんどん増えてもいいよ。別に困らないから。

(参考)

 ↓ Wikiさんから拝借した背面からの写真

  (尾部付け根が左右に脹らんでいるので、これもオス)

f:id:otto-M:20200825232526p:plain

 

超簡単スマホ連携ネットワークカメラ  → AIの目?

Mです。

 先月初旬に、留守宅監視が出来る簡単接続ネットワークカメラについて記した。首振り機能も付いた、メカとしてもなかなか凝った作りの機種で、ほぼ1万円で購入でき、PC、スマホ両方で使えるものだった。

www.yakuzaishi-y-co.work

 秋葉原を歩いていると、似たような代物がそこここに散見できて、2000円台の超安値のモノから数万円台まで、とてもじゃないけど即断できない程の機種が売られている。どれも似たようなうたい文句で、画像の良否、使い勝手の良し悪しなど、実際に使ってみなければ判断できそうもない。

 そんな監視カメラの新手が、お知らせメールで届いた。送り主は、ソースネクストさん。
 これまで、この会社からいくつかのPCソフトをe-shopで購入している。音採りしたデータを調整するための音響処理ソフトや、起動しなくなったHDからのデータレスキュー・ソフトなど、どれもPC作業で欲しくなったモノばかり。それらソフトのバージョンアップのお知らせはたびたび来ているが、装置そのもののお知らせは結構珍しい。

  

 ちょっと見てみると、7月に記したネットワークカメラとよく似たモノで、なぁ~んだ、同じじゃんと閉じようとした。が、あれっ?ちょっと待てよ、と説明図解に目が留まった。なんと、PCユーザー相手じゃないのだ。ガラケー党のMにも、ついにスマホの波が押し寄せてきた、と知った。
 ソースネクストさんには、ガラケーUserであることが判っているはず。にもかかわらず、スマホ専用のネットワークカメラを紹介して来たのである。

ううむ、もうスマホにしたら!? という催促なのか?
冗談じゃない、おいらはガラケーで十分だ!

 そう思いながら、一応お知らせ内容を全部見てみた。
 その中で、便利だな、と思ったのは、視野中に動くものが現れると自動で起動し、コネクトしているスマホに連絡を入れるという機能。ペットの監視をしている場合は、その姿にほっこり、ということもあるだろうが、泥棒除け機能として考えれば、なかなか安上がりな防犯グッズになる。暗視撮影ももちろんOKなので、夜間の防犯にもなる。
 もう一つが、コロナ禍でもてはやされている在宅ワークへの応用。複数台を会議室などに設置して、別の場所の人員と遠隔会議するという利用法も可能だ。
 これで価格は4000円未満だという。(ただし現在50%オフの割引価格とのこと)

ううむ・・・。

 ガラケー一本やりのMだが、ここまで簡単な仕様にされてくると、さすがにスマホの世界が光に包まれて見えてくる。WiFi通信で個別情報管理を行っていくのがもはやフツーなのだということが、よくわかる。
 ただし、セキュリティーを考えると、そうそう安穏としてはいられないだろう。それぞれの機器とスマホのリンクが簡単だ、ということは、裏を返せば同じアプリをインストールしてあるスマホなら、Keyさえ探り出せば簡単にアクセスできてしまう。他人の家を覗き放題、という怖ろしい世界に繋がってしまう。

 映像機器とネットが簡単に紐づけできる世の中は、そのセーフティー機能をきちんと使わないとデータがダダ漏れの世界に直結している、ということを理解していないとマズイ。

 それほど遠くない将来、スマホも使うことになりそうだ、とは感じている。
が、いまのところは、今回の誘惑にもなびくつもりはない。ただ、誘惑の度合いが高まっていることだけは、否定できない。

 そんなことはともかく、ちょっとだけ不気味な思いが湧いてきている。
 今回の紹介写真で、あの映画を思い出した。
2001 : A Space Odyssey (邦題:2001年宇宙への旅)というSF映画である。
映画には、2人の人間とAIの宇宙船管理システムHALしか登場しない。そのHALの目が、まさにこのカメラに思えたのだ。1970年代に作られた映画の人工知能を、このカメラそのものに感じてしまった。

 ネットワークカメラはAIの一部に当然のこと含まれていく。そして、人間の目に映るのは、そのカメラの目だけだ。そのカメラが無軌道に繋げられていったら・・・ 
それは、全てを見つめるAIに育っていく。
・・・想像するだけでも、おぞましい。

 便利と危険は、いつも背中合わせだ。
 便利さばかりに釣られていると、気づいたときにはかちかち山の狸になっているかも知れない。