理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

ヒトの設計図 ついに完全解読

Mです。

 4月はじめ、アメリカの科学雑誌「Science」に、ヒトの遺伝子解析が完了したという報告が上がった。5月3日の朝日新聞科学面に、そのわかりやすい解説が載った。ログイン出来ないと一部しか読めないが、電子版アドレスは下記である。
  https://www.asahi.com/articles/ASQ4X5WWLQ4TUTFL00M.html

 生き物の設計図である遺伝子(DNA)は、4種の核酸という分子の連なりで出来ていて、その並びがアミノ酸を決定し、それを繋げることでタンパク質が作られる。生き物の身体を作っている中心がタンパク質だから、遺伝子は身体の設計図だ、という理屈になる。

 1980年代にこのDNAを構成している核酸を順繰りに読み取っていく技術が開発されて、90年にヒトのDNAをすべて読み取ろうという計画が世界的な共同プロジェクトとして始まった。それぞれの生き物の基本となるDNAセットをゲノムと呼ぶ。つまり、生き物の設計図=ゲノム、である。そこで、このプロジェクトは、ヒトゲノム計画、と呼ばれた。そして14年かけて、サンプルとしていた白人のDNA読み取りが完了したと宣言された。2013年のことである。

 とはいえ、これは核酸の並びが解読された、という意味であって、その並びの意味するものが解明されたということではない。ただ、読めた、ということ。解読作業と並行して生物学者、生化学者たちは、その核酸の並びがどんなタンパク質に対応しているかを必死に探っては発表するという競争を続けてきたのである。
 その流れの中で、特定の病気が特定の遺伝子配列の乱れや変化によって起こっていること、身体の中で病気と闘っている仕組みを特定の遺伝子が担っていること、などがいくつも解明され、医学や薬学の分野で画期的な進歩を生み出してきた。読み取りが完了したという段階で既に具体的な成果につながってきたのは、ゲノムプロジェクトがいかに人間社会に恩恵をもたらしてきたかの証拠といえる。

 そんな優れた業績なのだが、新聞解説に示されているように、実は、2003年の解読完了宣言時には、モレがあった。
 長大なヒトDNAの各所にある「繰り返し配列」が厄介だったのである。
 当時の解析装置では、同じ塩基の連なりが単位となって同じ配列が何度もつながったり、異なる配列単位が入れ子になりながら繰り返したりする領域については、繰り返している、ということは分かるものの、どういう順番なのか、どんな組み合わせで繰り返しているのか、までは読み切れなかったのである。
 技術進歩は企業レベルで飛躍的に進む。その結果として、科学論文に現れない進歩として、解析技術の躍進が生まれる。そのおかげで、同じ繰り返しばかりで「いったいどうなっているの?」状態だったモレ部分が徐々に解明され、ついに完全解読に至った、というのが今回のScience報告である。

 報告された雑誌の表紙が上の図だが、右下から始まってぐにゃりと曲がりながら右上に向かっている短冊模様が、ヒト遺伝子のかたまりである染色体を表している。数えていただければ判るが23本ある。中学校の教科書にあるのだと思うが、これがヒトの細胞すべて(成熟赤血球では消失)に備わっている設計図のセット。23本がそれぞれ対を作っているので、細胞の中では、染色体本数としては46本になる。(ただし、ヒトのオスでは、性染色体の片方がY染色体なので、最後の1対は長さの異なるXYのでこぼこペアであることは注意が必要)上の図は、極端に短いY染色体が無いようなので、多分女性のサンプルが使われていたのだと思う。
 余談が長くなってしまった。
 重要なのは図の短冊にランダムに現れている赤い線の部分だ。ごく狭いものからだいぶ長めの赤領域までいろいろだが、この赤い部分が前述の「繰り返し配列」領域で、全体から見るとおよそ8%に相当していたという。2003年以降の技術革新によって配列の確定手法が進歩し、ついにこの赤い領域すべてについて塩基の配列が確定した、ということなのだ。

 「そりゃあ、ご苦労様でした。まだ意味づけがともなわないのに、よくぞそこまで根を詰めて仕事をされましたね。頭が下がります・・・」と皮肉を言う研究者もいるだろうが、それは違う。解読された配列を元にわかりやすい研究に突き進んで早めの成果を上げることも有意義だが、とにかくすべて解読するまで諦めない、と地道な研究を続けるのも科学全体から見れば非常に重要なことで、今まで解明されていない「繰り返し」の意味するものを、これでようやく研究できる地盤が整ったのだ、と捉えれば、今回の成果は実に大きな進歩なのだと思う。

 これからは、人種によるゲノム配列の差を解析するなど、今回の成果を「基本パターン」にした比較研究が一気に進んでいくのだろう。さらに、個人個人で異なる遺伝特性が詳しく解析できるようになって、病気の遺伝子治療分野が一気に加速していく可能性もある。一市民として、大いに期待が膨らむ。

 そんな期待を抱く一方で、日本の科学研究の実情を見るにつけ、華々しい成果にはすぐに結びつくことの無い地道な基礎研究を進め続ける西欧の底力を羨ましく思うのは、私だけでないだろう。基礎研究では食えない、と50年以上言われ続けている日本の科学界は、これから先いったいどうなってしまうのだろうか。この前ノーベル賞を受賞した真鍋さんも、日本では出来なかった基礎研究を米国で地道に続けた方だった。基礎研究があってこその応用研究。太っ腹な科学教育体制が無いと、優秀な頭脳はみんな外国に流れてしまうかも知れない。

 

アナログカメラ と スマホ がくっついて・・・

Mです。

エッ という記事に出会った。
 アナログカメラの裏蓋にアタッチメントを付けて、スマホとカメラをドッキングする、というアイデアだ。J-CAST トレンドからのニュース配信で、4月10日18時のものだ。

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  ※ https://news.infoseek.co.jp/article/jcasttrend_20222434949/

 紹介されている画は、多分1970年代を代表するカメラの一つNikon F2だろう。重厚感がありながらシャッターが軽くて使いやすい人気機種だった。ボディーのみで7万円超した代物で、欲しくてたまらなかった機種だが、懐具合がどうしてもそこまで到達せず、断念した機種だ。結局Mは、より小型で野外撮影に好適なOlympus OM-1を落とし処にした。こちらは、標準レンズ付きで5万円台だった。当時の一般奨学金が1.2万円とかだったから、自炊でケチった金を貯めて、1年がかりでどうにかOM-1に到達したという懐かしい思い出だ。

 それ以来、デジタルカメラが主流になるまでにアナログカメラを3台使ってきたが、そのほかに、以前紹介したステレオカメラを含めていわゆるレトロなカメラを5台ほど所有している。面白い機能を持ったカメラばかりで、知人から譲ってもらったりハードオフのジャンク棚で見つけてきたもので、いくらか手を加えて修理し、すべて現役である。
とはいえ、今ではアナログ撮影自体、よほどのこだわりが無い限り手が出ない。
 いまアナログ撮影しようとすれば、フィルムの入手も結構な金額になるし、撮影後の現像期間と代金も考え合わせると、撮った画像を目にするまでのコストは、結構な”道楽”の領域に入ってしまった。何しろ、デジタルカメラで撮った画を見るまでにかかるコストはほぼゼロなのに、アナログカメラの画を見るまでには、フィルム代と現像代だけでも1,000円以上かかるのに加え、プリントするとその代金もかかる。しかも、1週間は撮った画の出来映えが判らないまま待たなくてはならないのである。Mの場合は、現像&プリントのセット料金が格安だったジャンボグループをよく利用していたが、それでも36枚撮りで画を受け取るまでにおよそ1,000円かかっていたと記憶している。どんな画になっているかとワクワクして待っていた時間が楽しかった、という側面もあるものの、時には思っていた画に遙かに及ばず、ガックリときたこともある。
 いま想えば、アナログ写真には、そんな悠長なところがあって、それが良かった。

 ところが、デジタルカメラが世に出て来て、あっという間に銀板写真(アナログ写真)の質に追いついてしまった。当初は、プロはやはりアナログ、みたいな雰囲気があったものの、10年しないうちにそんなのは流行らない世界に突入して、プロ仕様の機種と解像ソフトが登場し、後加工も自由自在になっていくと、もはや世の中の写真はほぼすべてデジタルになってしまった。何しろ、現場写真がほぼリアルタイムでネット送信出来るのだから、もはやアナログの出番は無いのである。PCの進化とインターネットシステムの進化が、カメラの世界を根本から変えてしまった、という流れだ。

 とはいえ、そんな時代になっても、アナログカメラの機械には、相も変わらず一部のマニアからの熱い視線が変わること無く注がれてきていた。それは何かというと、レンズの特性である。
 アナログ時代のカメラには、各メーカー毎に特徴的なレンズの癖があった。特に伝説的なのはライカのレンズで、同じ被写体を同じ露出、同じシャッタースピードで撮影しているにもかかわらず、撮れた写真を比べると誰が見ても判る差が現れた。特にレンズを解放絞りで撮ったとき、写真周辺の微妙なボケ具合が何とも柔らかで心地よい絵に見えた。レンズに詳しい大先輩に教わったところによると、その特長を産み出していたのはドイツ産の土(つまりガラス原料)にあり、クッキリし過ぎずかといってディテールはしっかりと表現できるレンズが出来たのだという。さらに加えてライカ独自の特殊研磨技術があり、レンズの最大の難点である周辺収差という画像のゆがみを、消しきらずに程よく残したのがライカレンズの特性だったそうである。日本メーカーのカメラも世界的に高評価だったが、画の味、という説明できない特長ではどうしても届かなかった、と聞かされた。
 
 そんな流れがあって、デジタルカメラがどんどん進んでいく中で、昔のアナログカメラのレンズが使える、という触れ込みのデジタルカメラも生まれてきた。アナログユーザーは、結構交換レンズに凝っていたので、近接から望遠まで3~5本くらいの交換レンズを持っている人々が多くいた。それらのレンズは、それなりに特長を持っていたわけで、それをデジカメにも使いたい、と思うのは当然のこと。それに応じて、焦点距離を調整してデジカメにも使えるようにしてあげよう、という流れが生まれたのである。
 とはいえ、これはあまり上手くいかなかった、と受け止めている。結局のところ、フィルムに像を結ぶためのレンズ特性と、デジタル受光素子に光を届けるためのレンズ特性は、同一では無かった。無理矢理くっつけたアナログ時代のレンズは、デジタルカメラという箱では、想像したほど昔のレンズ特性を再現してはくれなかった、というオチ。何とも悔しく、残念な結末だった。

 では、今回報じられた新手法はどうだろうか?
 詳しい仕様が示されていないので判らないのだが、簡単な説明によると、今回の発想は、レンズを活かしたいという前段の発想とは異なり、アナログカメラという機械そのものを
そのままのカタチで活かす、という発想だ。つまり、無理矢理焦点距離を調整するとかは行わず、カメラの命であるレンズからフィルム面までの鏡胴部分をそのまま温存し、フィルムの代わりにデジタル受光素子面を裏蓋として装着するというものらしい。しかも、撮影は連結したスマホに行わせる、という仕組みだ。この部分がまだ良く理解できないのだが、スマホアプリの性能次第、ということなのだろうか。だとすると、その性能は随時更新、進化していくだろうから、アナログ機械部分とデジタル解析機能の合体、という観点で見ると、新しい展開が訪れるのではないかと期待が膨らむのである。

 価格も、アタッチメントセットで2万円台前半。是非試してみたい、と思う。

 ただ、最大の問題点は、Mはガラケーしか持っていない、ということ。
 このままでは、試すことが不可能なのだ!!
 しかたがない、Y子のiPhoneを借りようか・・・

そこで呼ぶなよ! タクシー待ちは、場所を考えてくれ!!

Mです。
 
 事実上、毎日、最低40分は東京23区内を車で走る。チャリでは月~金5日間で総距離50Kmは、こぎ巡っている。
 そんな中、いちばん往生するのは左車線を走るタクシーの幅寄せと直前停止だ。客を見つければ止まるのは当然、商売だもの!と云われれば確かにそういう面もあるだろう。が、毎日のようにヒヤッとさせられる側のことも考えてくれ!!、と叫びたい。

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 田舎でタクシーを使うのは、鉄道の駅から目的地や自宅への手段、自宅からの病院通い、お年寄りが友達同士で乗り合いショッピング、などだろうか。いずれにしても、道路でタクシーを拾う、というスタイルはごくまれだろう。そもそも、タクシーが一般道を流しているなんてことはあり得ない。燃料の無駄遣いである。

 ところが大都会は全く違う。年齢にかかわらず、急いでいる人々が幹線道路にはウヨウヨいて、彼らは目的地へと向かう手段にタクシーを多用する。バスや電車では降りてからさらに移動しなければならないから、効率が悪い。だから、今居る場所から目的地へと直接向かうことの出来るタクシーを選ぶ。カネはかかるが、効率的かつ安心な移動手段として理解できる。雨の日など、特にその便利さは捨てがたいだろう。
 オリンピック用に大量導入されたTOKYO TAXIと呼ばれる濃紺の背高タクシーが、オリンピックが無観客で行われることになったため、当初の目論見から大きく減ったであろう収益の穴を埋めるべく、1分1秒を惜しんで客を探しまわっている実情もまた、理解できる。客を見たら即停車! ごもっとも。

 とはいえ、である。もう少し、拾う側、乗せる側双方とも、都会の幹線道の交通状況と安全確保を考えてもらいたいのである。

 毎日記録しているわけではないが、交差点や横断歩道付近でタクシーがハザードを点滅させていきなり停車する、という状況に最低でも5回は出くわす。特に朝方と夕刻にこのパターンが多く、それでなくても混んでいる時間帯なので、この客乗せや客降ろしがさらにクルマの流れを阻んで混雑が悪化しているように思う。

 道路交通法を引き合いにして物言うつもりはないが、止める場所をもう少し考えて欲しいのだ。
 なぜなら、、交差点や横断歩道といった駐停車禁止場所ほど、タクシーの急停止が頻見されるからだ。

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(参考)道路交通法第44条
 車両は、道路標識等により停車及び駐車が禁止されている道路の部分及び次に掲げるその他の道路の部分においては、法令の規定若しくは警察官の命令により、又は危険を防止するため一時停止する場合のほか、停車し、又は駐車してはならない。ただし、乗合自動車又はトロリーバスが、その属する運行系統に係る停留所又は停留場において、乗客の乗降のため停車するとき、又は運行時間を調整するため駐車するときは、この限りでない。
一 交差点、横断歩道、自転車横断帯、踏切、軌道敷内、坂の頂上付近、勾配の急な坂又はトンネル
二 交差点の側端又は道路のまがりかどから五メートル以内の部分
三 横断歩道又は自転車横断帯の前後の側端からそれぞれ前後に五メートル以内の部分
四 安全地帯が設けられている道路の当該安全地帯の左側の部分及び当該部分の前後の側端からそれぞれ前後に十メートル以内の部分
五 乗合自動車の停留所又はトロリーバス若しくは路面電車の停留場を表示する標示柱又は標示板が設けられている位置から十メートル以内の部分(当該停留所又は停留場に係る運行系統に属する乗合自動車、トロリーバス又は路面電車の運行時間中に限る。)
六 踏切の前後の側端からそれぞれ前後に十メートル以内の部分

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 上記の文面中太字の部分が、まさに、毎日出くわすタクシー急停車場所そのものなのである。

 はてさて、それじゃあ、誰に問題があるのか?
 Mとしては、タクシーの側よりも、タクシーを拾う側に問題があると感じている。

 仕事で流しているタクシー運転手は、客を乗せてなんぼの商売をしている。だからどんな止め方をしてもOKと言うのではないが、もし自分が止まらなくても、すぐまた後ろから来るタクシーが止まるだろうことは明らかで、ならば自分が乗せてしまおうと思うのも仕方がない。そういう行為に対して、警察官ならNGを出せるだろうが、一般人にそれを求めるのは酷である。事実上、黙認せざるを得ないと思う。

 一方、拾う側はどうか?
 どうしてわざわざ、横断歩道や交差点でタクシー待ちをするのか?
 これが、はなはだ疑問なのである。
 道路交通法を遵守して、などという気はサラサラない。むしろ、道路の安全な場所でタクシーを拾う方が自分にとって安心なはずだから、事故が起こりやすくみんなの迷惑にもなる場所を避けてタクシー待ちをする、という単純なことをなぜ考えないのか、と思うのだ。
 個人的観察なのだが、面白い現象がある。少なくとも西欧人が交差点や横断歩道でタクシーを拾うという例は見たことがない。東京駅周辺などのようにタクシープールのある場所は限られている。それ以外の太い道路で西欧人がタクシーを拾う光景はよく目にするのだが、彼らは何もない場所、つまり、クルマがただ直進すれば良い場所で手を上げ、タクシーを拾う。これはごく自然なことで、流しのタクシーはどこでも拾えるわけだから、拾う場所はむしろ無限にある。なにもわざわざ特定の場所として交差点を選ぶ必然性はゼロなのだ。渋滞中でなくとも、スムーズに流れている直線路なら、前方でタクシーが客を拾いそうだという情報は、後続車両の側で難なく関知できる。なにしろ、交差点のようにいろいろな方向に注意を払う必要がないので、前方情報に集中できるからだ。減速するにしろ、追い越すにしろ、後続車側に余裕があるのだ。
 ではなぜ、毎日のようにヒヤッとさせられる「交差点タクシー拾い」が多いのか?
 思うに、タクシーが速度を落とす場所だから止めやすい、と考えているからではないだろうか。もしかすると、日本人は、タクシー運転手に「親切」だと思って交差点付近でタクシーを拾っているのかも知れない。
 だとすると、それは大間違いだ。
 確かに、タクシーの側も止まりやすいとは思う。乗せるのは道路左側なのだから、交差点で左折レーンにいればノロノロになっていて止めやすい、かも知れない。横断歩道なら、横断者が居るうちはどうせ止まっていなくてはならないから、そのときに乗ってくれればラッキー! ということ。でもちょっと待った! 止めやすい、止まりやすい、なんて論外である。タクシー運転手は運転のプロなんだから、どこでも安全に止まる術(すべ)を持っているはず。いちばん交通を滞らせる場所で客乗せなんかするんじゃないよ! と言いたくなる。
 客が交差点付近でタクシー待ちをしていても、タクシーはその場で急停車せずに直進または左折して少し進んだところで止まる、というのが本筋だろう。
 ごくわずかではあるけれど、そういう例を見たことはある。

 どこでも拾えるタクシーなのだから、利用する側には、利用者としてのマナーがあってしかるべき。交通状況をちゃんと見て、他のクルマにも、自転車にも迷惑になりにくい場所を選んでタクシー待ちをして欲しいと思う。
 結果として、その方が、自分自身にとっても安全なのだから。

スティック型SSD 進化してるね!

Mです。

 だいぶ前に、ポータブル型SSDに耐衝撃性を持たせたG-Shockみたいな製品について書いた。2019年秋のことだった。

www.yakuzaishi-y-co.work

 その製品は今でも結構売れているらしい。それから1年して、同じ容量レベルで驚異的なサイズダウンを施したUSBスティック型SSDが世に出た。BuffaloさんやSandiskさんらが、見た目はUSBメモリーそのものの製品を発表して、同様スタイルの製品がいくつものメーカーから次々に登場し、今では店先でチラ見しただけではUSBメモリーなのかUSBスティック型SSDなのか、よく判らないほどになっている。
 そんなUSBスティック型SSDを、毎日のようにメールで新製品紹介してくれるソースネクストさんが、何日か前に紹介してきた。

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 見れば、22mm×67mm×9.5mm(幅×長さ×厚さ)と、いま手元で使っているUSBスティックメモリーとほとんど変わらない。ちょっと厚みがあるかな、程度である。

 上図は256Gbだが、512Gb、1Tbも、本体サイズは全く変わらない。動作温度は、256Gbは0~70℃なのに対して、512Gb以上のものは0~55℃となっている以外、転送速度をはじめ仕様上の差は見当たらない。大容量タイプで動作温度範囲が狭くなっているということは、極小化したことでどうしても熱発生が防ぎきれない、ということを意味しているのだろう。 以前、64Gb程度のUSBスティック・メモリーでも、使用中に表面がかなり熱くなるので、大昔にバイクの空冷エンジンの襞にアルミの洗濯ばさみを付けて熱放散を補助したのと同じように、メモリーにアルミ洗濯ばさみを付けると温度上昇がだいぶ抑えられることを書いたことがある。たぶん、このスティック型SSDにも同じ手法が通じるのではないだろうか。 

www.yakuzaishi-y-co.work

 スティック型SSDの紹介を一昨年に見たときは、さほど興味がなかった。価格も高かったし、そこまで大容量のポータブル・メモリーを必要としてもいなかったから。しかし今回、価格的にUSBスティック・メモリーの大容量クラスと同等か、場合によっては数段安い製品も出てきたことを知ると、あながち無視も出来なくなってきた。
 
 見方を変えて、なぜ外付けSSDをこんなにまで小さくしてきたのか、と考えてみた。
 一昨年秋ごろ、ポータブルSSDが数多く出回ったとき購入を検討したのは、USBメモリーではちょっと難しい大量のデータ移管に使えると思ったから。ただ、持ち運びを考えると、落としたりぶつけたりと物理的衝撃でデータが損傷しないかとかが気になった。そんなときにG-ShockのようなポータブルSSDが現れて、だいぶ興味をそそられた。それでも結局購入していない理由の一つが、USB3.0コネクタでPCと接続できるのは楽なのだが、どうしても直接PCに繋げるのではなく、短いながらもケーブルで繋ぐというスタイルが気に入らなかったから。ケーブルまで含めると、バッグの中でそれなりにかさばるのだ。胸ポケットにポンと入れる、というのは無理。そんな感触を持っていた人が、多分たくさんいたのだと思う。
 ただ、いきなりタバコケース程の大きさのブロックをPCに繋ぐのは危険だ。重さでコネクタが外れるかも知れないし、コネクタ自身が歪んでしまうかも知れない。だから、短い連結ケーブルを使うしかなかった。
 そこで、SSD本体を極力小さくしてしまい、USBスティックのサイズにまで落とし込んでしまえばいいじゃないか、ということだったのだろう。

 こうなってしまうと、もはやUSBスティック・メモリーとUSBスティック型SSDは、いったい何が違うのだ、ということになる。
 実際、データを保管してPC間を行き来させるためなら、問題は必要な容量だけの問題である。どちらも記憶素子自体は同じ仕組みを使っているから、もはや従来型USBメモリーは不要で、みんな大容量のSSDにしてしまえば良いではないか、ということになる。値段は、1Tb以上のものになるとむしろUSBスティック・メモリーの方が高額だ。そもそも、そんな大容量は必要としていなかったのがUSBスティック・メモリーだったのだ。


 簡単に挿したり抜いたりできる記憶媒体、というメリットがUSBメモリーの最優先課題だった。PCのOS側から見て、USBメモリーはあくまでもリムーバブルディスクであり、CD、DVDなどのディスク、MOディクス、さらに遡ればフロッピーディスクと同類の捉えられ方なのである。それら外部記憶媒体を、USBコネクタという統一規格に落とし込んで、ただ差し込めば良い、というスタイルにしたことで、いまでは、CDやDVDさえも必要ない状況を生み出している。何しろ、それまでのディスクは、どれも専用のドライブを必要としていた。デスクトップPCならどうにでもなったものの、ノートPC、タブレットPCと小型化していく中で、ドライブ装置自体がPCサイズの足かせにしかならなくなってしまった。回転駆動というモーター装置はどうしても厚みを伴うから、それをすべてなくす方向で現在の小型PCは成り立っているのである。


 そんな中で、それまでPCの主要記憶装置だったHDDに代わってSDDが生まれ、いまではSDD主体のPCが主流になりつつある。MのようにデカイデスクトップPCを重宝しているような輩はだいぶ減っている。ゲーミングPCはその性能重視の観点からデスクトップのデカイものがいまでも主流だが、メインの記憶装置はもはやHDDではない。転送速度がHDDよりも数段速いSSDに取って代わられている。つまり、大容量のデータを速く読み書きできる記憶装置こそが、いまのPCの主要部分なのだ。となると、これまで外付けHDDを使っていた人も、外付けであってもSSDの方が便利になる。なにしろ、速度が速い。いくつものゲームソフトをため込んだSSDを持ち歩ければ、渡り歩く先で同じ仕事、同じゲームを構築することも簡単だ・・・ という流れで、SDDの小型化が進んできたということだ。
 そしてこれこそがキモなのだが、SSDは、USBメモリーと根本的に違っていて、リムーバブルディスクの扱いではない。ローカルディスクとして認識されている。つまり、PCでマイコンピューターを開いたときに現れるメインディスクの仲間で、いわばPC本体の主要装置扱いなのだ。だから、パーティションを区切ることも出来るしダイナミックディスクに変換することも出来るなど、PCを動かす側の装置としての機能を備えている。だから、場合によっては、USBコネクタに差し込んだスティック型SSDでPCを駆動することも簡単にできる。言い換えるならば、スティック型SSDはデータ持ち運びのツールというより、PCの主要臓器にもなる記憶装置、ということなのだ。
 単なるデータ持ち運びツールか、あるいは、それに主要記憶装置の意味合いを持たせるか、その使い分けがUSBスティック・メモリーとUSBスティック型SSDの分かれ道だ。

 512Gbクラス、一度試してみようかな、と思っている。

 どんどん小型化が進むPCパーツは、そのうち腕時計のようなPCを生むのだろう。
 眼鏡型スクリーン、Bluetoothイヤホン、手指装着型キーボード、などでウェアラブルPCを操る世界が、もうすぐそこに来ているのかもしれない。
 キアヌリーブス主演のマトリックス士郎正宗さんの攻殻機動隊のような電脳空間SFモノは想像上の世界だが、こっちは本物のように思う。

廃物利用きんぴら

Mです。

 修行僧がしっかり料理しているお寺さんの厨房では、野菜ゴミはほとんど出ないのだそうだ。大根の皮、人参の皮、牛蒡の皮(?)、どれも捨てずに煮たり炒めたりして、ちゃんとした「おかず」になっていくのだという。だいぶ前になるが、新聞にそんなコラムがあった。
 それ以来、時間に余裕があるときは大根や人参を束子(たわし)でしっかり洗って、皮だけできんぴらを作ったりしている。大根も人参も、見栄えを気にする必要が無いときは皮を剥かないことも多い。本当は、皮付きのままの方がおいしいと思うが、さすがに人目に晒される場合には、皮部分が黒ずんできたりするので、大概は剥いている。

 大根は、皮表面から3~5mmの位置に維管束(水や養分を通す管で、植物体の支持組織の役割もある)がきれいに並んでいるのが判るから、その中心側で厚めに剥く。この層は芯の部分より繊維質が多くて硬いので、縦方向に細く刻んで使うと、大根きんぴらが旨い。
 人参の場合は、大根のように剥いてしまったら細くなってしまうから、剥くとしてもいわゆる皮むき(ピーラー)で縦方向に削いでいく。この残渣は、そのままで細い短冊になっているから、そのまま人参きんぴらにしたり、細かく刻んで卵焼きの具にしてしまったり、使い道もいろいろだ。時折り出回る長人参は、人参独特のにおいが強く、これぞ人参、という懐かしい雰囲気のきんぴらになる。細かく刻んでコンソメ味の洋風卵焼きにすると、あのニオイの効果でハーブオムレツになる。

 大根も人参も、皮は毎回発生するが、毎回すべて使い切れてはいない。かといって捨ててしまっているかというと、そうでもない。実は、皮だけをポリ袋に放り込んで握って小さく縮め、冷凍庫に放り込んでいる。チョイと変わった味噌汁の具にしてみたり、鍋の具に混ぜてしまったり、シチューやカレーに細かく刻んで放り込んでしまったりと、野菜素材として結構重宝しているのだ。ハンバーグを作る時などはまさに好適な素材で、細かに刻むのも楽なのでカンタン素材になってくれる。本体が薄いので、凍ったままでも包丁で難なく刻める。凍ったままの方がカタチがしっかりしているので、凍らせる前より刻みやすくて都合が良いくらいだ。
  冷凍庫に余裕があれば、是非とも、野菜皮を食材にすることをおすすめしたい。

 さて今回は、野菜の煮物を作ったときに出た牛蒡の先っちょと人参の皮でチャチャッときんぴらを作ってみた。

①皮むきで剥いた人参の皮(この皮むき器40年くらい使っている)

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②細くてしまりの無い牛蒡。先っちょの首っ玉を押さえて皮むきで削ぐ 

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                                   ↓

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③長さを適当に揃えて・・・ 

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④ごま油でさっと炒め、鰹だしとみりん、醤油を垂らして、あおりながら強熱。
☆ 3分足らずで「廃物利用きんぴら」の出来上がり~~!!
(皮むきの時間を含めて15分くらいかな)

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      ※ 酒好きには、良いつまみになるかも。

県庁所在地緯度のふしぎ なんでこんなに揃ってるの ?

Mです。

 毎朝、電気カミソリでひげを剃りながら眺めている南北1.3m、東西0.6mほどの日本地図がある。ビックカメラさんが年末になると店頭でタダで配ってくれているもので、大きさが程よく、眺めているだけで全国を旅しているような気になる。
 右端(東端)には世界各国の有名都市名が緯度に沿って並んでいるので、普通は考えてもみない外国都市が日本列島のどのあたりに位置しているのかがわかる。えっ、ニューヨークってほぼ青森の緯度にあるじゃん! 寒いわけだよなぁ。 なんて驚くのである。

 毎日繰り返し見ているその地図では、県庁所在地が赤丸で示されている。これまでほとんど気にしていなかったのだが、ふと気づいた。盛岡と秋田ってほとんど同じ緯度だ! あれれ、仙台と山形もほとんど同じじゃん・・・
 そんな目で眺めてみると、在るわ在るわ、ごく近い緯度にいくつもの県庁所在地が横並びしていることに気づいてしまった。関東は、狭い平野部にいくつもの自治体がひしめいているので県庁所在地が緯度的に近いのは仕方ないのかも知れないが、目を西に移して行くと、中部地域から関西、山陽、山陰と、これまで想像もしていなかった西の地域の県庁所在地も緯度的にごく狭い範囲に収まっているのが見て取れたのである。

 それならば、と、日本中の県庁所在地の緯度を調べてエクセルに放り込み、それぞれの県庁所在地の緯度を分母、他の46都市の緯度を分子とする計算表を作ってみた。その結果から、目で見た感じで緯度が近いなと感じるのが緯度の誤差2%程度までだと判断し、さらに絞って1.5%の範囲内にある県庁所在地のグループを拾い出してみた。その結果が下の表だ。

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 なんと、関東より北では、青森を除く県庁所在地が2グループになってしまった。目で見た感じでは福島がやや離れている気もするが、仙台、山形、新潟、福島の4都市が緯度の差1.5%に収まってしまった。
 関東はどの都市も寄り集まっているので鳥瞰的に並んでいると感じていたが、西に目を向けていくと、水戸が長野、富山、金沢、福井という思いもよらなかった都市と緯度的に近いと判った。さらには、千葉、新宿、横浜が中部、関西、山陽、山陰という西の地域の県庁所在地とほぼ横並びにいることを知り驚いた。
 どうしてこうなっているのか? ぼんやりと眺めていて、その原因が日本列島の成り立ちに関わっているのだと気づかされた。
 最近新作がテレビで放映されていた、小松左京氏の「日本沈没」の題材がそれである。日本列島は、大陸プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという、地殻表面の異なる3つのプレートが押し合いへし合いしている場所にある。そのダイナミックな地殻の動きによって、糸魚川静岡構造線と呼ばれる場所で、北側は反時計回り、西側は時計回りに陸地が折れ曲がっている。その結果として、偶然にも関西地区の平地が緯度線に平行になっていたのだと気づいた。関東から中部地域にかけての県庁所在地緯度が近似していたのは偶然だろうが、関西の県庁所在地までもが緯度的にごく近い位置関係で並んでしまったのは、この折れ曲がりのせいなのだ。
 古くからの街道である東海道山陽道が直線でつながるようになってしまったのが陸地の折れ曲がりによる偶然だとしても、だからといってここまで緯度が近似した県庁所在地があったのは何故なのだろう。人間は住みやすい場所に住もうとしただけのはずだ。それが、たまたま緯度的に並んでしまったのだろうか。
 関東から関西の例は別として、東北の場合は全く説明が付かない。南北に連なる山地で隔てられている地域なのに、盛岡と秋田がほぼ同緯度。仙台、山形も同じく。これらも「たまたま」だということなのか? 謎である。

 県庁所在地の緯度横並びとは別のことだが、今まで気にしていなかった地図上の気づきがもう一つあった。緯度と経度の間隔についてである。
 当たり前のことなのだが、経線は南極と北極の極点を起点にして地球表面を南北に角度で割っている。その一方で、緯度は、赤道面と平行に地球を南北方向に地球の中心からの角度で輪切りした線だ。だから、経線の1度は極点に近づくに従ってすぼまっていくので、経度1度の地球表面での距離は赤道面でいちばん広く、両極に近づくにつれて狭くなる。理屈ではわかっているが、壁に貼った地図を眺めていて、このことにも改めて気づかされた。経線と緯線が交わって作る四角形が、日本地図上でもだんだん北すぼまりになっていくことに気づいたのだ。また、同じ1度なのに、経線方向(東西方向)の1度は緯線方向(南北方向)のそれより短いので、1度のマス目は南北に長い長方形に見える。今更ながら、日本列島が南北に長いことに気づかされた。ちなみに、日本列島の北、中央、南の位置で経、緯各1度の持つ距離は下のようになっている。

 緯度45度(稚内あたり) 経度1度長; 約78.8Km ,緯度1度長 ; 約111Km
 緯度35度(明石あたり) 経度1度長; 約91.3Km ,緯度1度長 ; 約111Km
 緯度31度(奄美あたり) 経度1度長; 約95.5Km ,緯度1度長 ; 約111Km
   (https://www.wingfield.gr.jp/archives/9721 より拝借)

 スマホで何でも済ませてしまえる世の中だが、アナログ地図ならではの楽しみを、改めて噛みしめている。やっぱり、小さな画面だけではわからない実世界も大切なのだ。

ペットボトルオープナーを作ってみた

Mです。

 月に2回ほど、打ち合わせ仕事にあわせて、実家で一人暮らししている母親の様子を見に行く。高速を使えば、東京から実家までおよそ70分程で着く。
 年末のクリスマス前、そんな感じで立ち寄って買い物やちょっとした修理なんぞをしたのだが、その際、ペットボトルのお茶を開けてくれようとした母親が「口が固くて開かないんだよ」と呟いた。自分で開けるとお茶を受け取り、飲んだ。

 気づいてみれば、異物混入なんぞが起こりうる厄介な世相の中で、今使われているペットボトルの蓋はだいぶ頑丈に付けられている。蓋を開けると本体側に残るストッパー部分と細い橋でつながっているので、開けるときはこの部分をねじ切らなければならない。気にしていなかったが、確かに以前より開栓に力が要るようになったと感じる。スクリュー部分の噛み合いも強まっていると感じていて、開けるときにねじ山同士が粘り着きながら動いていくように思う。そういえば、5歳の孫もペットボトルの蓋は自分で開けられない。

 自分にとっては、別段苦になるほどのことではなかったので気にしなかったのだが、言われてみれば握力の小さい人にとって、アイツは厄介者なのだと知った。

 そこでちょいと調べてみたら、世の中には多くのペットボトルオープナーなるものが工夫され、売られていると知った。なるほど、それだけニーズがあったと云うことなのだ!

 ↓ 売れ筋情報は下記サイト 
   https://my-best.com/4819

 作られているのは大別して2タイプ。ハンドル状の握りで回すものと、大きな円筒でペットボトルのフタを包み込んで回すもの。理屈はどちらも同じで、中学高学年か高校1年くらいで学ぶ「てこ」や「輪軸」のように、小さな力で大きな回転力を作り出す仕組みだ。 製品価格は100円台から数千円程度まで、だいぶ開きがある。感覚的には、一番安いキーホルダーのような下のハンドルタイプで十分な気がした。

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 とはいえ、力の弱った人がペットボトルの蓋を開けるとき、このようなハンドルタイプだと、つまみを持つ力もそれほど期待できないだろう。

 蓋を開けるとき、人は利き手で蓋を持ちボトル本体をもう一方の手で押さえる。このとき、力が弱い人だとハンドルを回すのは難しいのではないかと感じた。ボトルの蓋を開けようとするとき、ボトルを押さえる手と蓋を持つ手で、同じ軸上の本体と蓋とを逆に回すからボトルはグラつくことなく安定している。しかし、横に飛び出たハンドルを回す場合は、ハンドルに与える力は横向きになる。ボトルを押さえる手がしっかりしていないと、開けようとするときボトルが横揺れするはずだ。細めで背の高いボトルでは、グラついてうまく回せないかも知れない、と思ったのである。 

 そう考えると、オープナーは蓋の半径を増大させる「輪軸」効果を狙ったタイプの方が使いやすいと思えた。
 だとすると・・・・

 あまり大きな円盤は手に収まらないから、蓋の直径を増すにしてもせいぜい5センチくらいまでだろう。蓋にフィットして滑りにくい円盤型、と想像していたとき、蓋に輪ゴムを巻きつけると開けやすいという工夫を思い出した。そうだ、ゴムが一番簡単だ!

 そして思い至ったのが、電気屋さんなんかが使う電線通しの保護材料「ブッシング・ゴム」。秋葉原に出たついでに、ねじの西川さんを覗いて物色。あった、ありました! いちばん大きな穴空きブッシュが穴径25mmで外径およそ45mm。ちょうど良さそうである。穴径は大きくしないとペットボトルの蓋が通らないから加工の必要はある。が、相手は黒ゴムだ。ちょっと加工すればいいだろう。

 ということで、西川さんで購入してみた。価格は一個100円足らずだった。

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 ペットボトルの蓋外径は30mmである。これはボトルサイズにかかわらず共通だから、特殊品でない限りなんでもOK。蓋を納めるのに都合良いように、8角星形にカッターナイフで削りを入れてみた。星形にした後、蓋にはめ込む側の星の角部分をさらにV字に切り欠いて、上図下段の黄色線のように広げた。切り欠き前後の写真が下である。右の切り欠き後は、蓋をはめ込む側、つまり上図下段の下側から撮ったものである。

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 切り欠いたことで、穴径は狭いところで28mm程度。突起があるので、押しさないと蓋は入らない。しかし、深い切り込みがあるので押せば蓋がはまり込む程度になった。実際にはめ込んでみたのが下の写真。

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 回してみると、蓋は簡単に開く。新品のペットボトルでも問題なく開くだろう。
 25mmの蓋が、このブッシングゴムをかぶせることで約50mmの蓋に変身した。つまり、開けるための力は半分で済むのである。握りはゴムなので手にしっかりと吸い付く。柔らかいので素手で痛くないし、手袋をしていても滑ることがない。実にうまくいった。

 次回の実家訪問の際に、良いプレゼントになりそうだ。(笑)