理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

父に守られた記憶

薬剤師Y子です。

今から40年以上も前のこと。Y子は薬学部に入学するのと同時に念願の一人暮らしを始めることになりました。

来月から住む部屋を決めて最寄り駅のホームに一人で立った3月の肌寒い日。

どこまでも続く線路を見ながら味わった開放感と高揚感を、よく覚えています。

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ところが同じ3月の末、公務員だった父に、なんと私が入学する大学と同じ市にある職場への転勤辞令が出ました。

「もれなく官舎に住む権利がついてくる職種」だったので、もし単身用ではなく家族用の官舎に空きがあったら、きっと私も父と一緒に住むことになるんだろうな、それまで束の間の自由を楽しもう、と決意しました。

 

結局、私の一人暮らしは大学1年の夏休み前までで、その後は父、母、祖母と私の4人が狭い公務員住宅に住み、しかも住み慣れた場所から知り合いのいない場所への引っ越しを余儀なくされた祖母が認知症かつ寝たきり老人になってしまうという、笑えない結末となりました。

 

今なら「祖母の寝室の無臭化」や「母の介護負担の軽減」も当時よりは容易ですが、その頃は情報も少なく、皆が我慢することで何とか毎日を乗り切っていました。

 

 

そんな暮らしの中で私は一度、「父に守られている」と、はっきり感じたことがあります。「住所、電話番号、自分の顔写真、交際中の男性(今の夫、M)の顔写真」等の個人情報を満載した私の「落とし物」を拾った男性が「預かってますよ。お渡しするので、○○駅の、この場所に来て下さい」と電話してきた時のことです。

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まだ携帯電話を持ってなかったので、鳴ったのは自宅の黒電話でした。「受け取りに行かない」という選択肢はなく、私が外出の支度をしていたら、ちょうど父が勤め先から帰ってきて「そういうことなら、自分も一緒に行く」と言い出したのです。

 

「え? 一緒に来る?」と思いましたが、確かに、知らない男性に呼び出されて会いに行こうとしている娘に父親が同行してくれれば、この上なく安全です。父と一緒に駅に向かう途中で、私は、電話してきた男性がスリ等の犯罪者である可能性に気づきました。誰かの貴重品を拾ったとき「普通の善良な人」は、相手を呼び出すのではなく警察とか駅とか商業施設とかの「係の人」に届けるはずだ、とも思いました。

 

駅舎が見え、線路が見え、指定された場所が見え、そこで私を待つ男性を特定することが出来たとき、父は「他人のふりして直ぐ後ろを歩いて行くから、まずY子が一人で近づいて挨拶してみた方が良い」と言いました。

私は歩くスピードを速め、その男性の前に立つと、思い切り丁寧な言葉で、お礼を言いました。そして短いやりとりによって、証拠は全然ないけれど彼が「親切な人」ではなく「犯罪者」であるということを確信してしまった時、それまでは偶然そこに居合わせた他人を装って気配を消していた父が私の隣に並び、「この子の父です。このたびは本当に、ありがとうございました」と、周囲の人が驚いて一斉に私たちを見るような大声で言いました。

男性は泣きそうな顔になり「いいえ、そんな」と言うと、すばやく体の向きを変え、人混みの中に消えていきました。

 

お父さん、私、あの時のこと、忘れていません!

感謝しています!

そして、いま私が誰かを守れるかも知れない、守るべきだ、と感じたら、あの時のあなたのように行動します!