理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

メジロ押し とは云うけれど・・・

Mです。

大川(隅田川)沿いの地域で梅が咲き始めた。まだ香りを楽しめるほどではないが、春のきざし。とはいえ、ここ2週間で都内には三度も雪が降った。最上級の寒気団がウロウロしているのだから、実感は ”春まだ遠し” といったところ。

 

息子たちが小さかった頃には、寒いから上衣を着せたいY子と、春の光に誘われ身軽になって走り回りたい彼らとの間で小競り合いがあったのが、この季節である。

そして今は2歳の孫と、同じように「着る・着ない」のやり取りをしている。

子供にとって外遊びは重要なので、暑くも寒くもない服装で思いっきり遊ばせてやりたいものである。

 

梅が咲くと連想するのがメジロ。こどもの頃は、庭の梅の木にやってくるメジロを観察するのが好きだった。生きものは何でも好きだったのだが、鳥は空を飛べるということでやや別格の存在だった気がする。

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小学生の時に鳩を飼いたくなったのも、自分で飛べるわけでもないのに鳩を飼えば何となく空に近づける気がしたのかも知れない。イキオイで屋根の上に鳩小屋を作ってしまったのも、少しでも高いところにいたかったからなのかも。

 

まだ霞が関ビルもない時代。高いモノといえば山をのぞけば東京タワーくらいしかイメージできなかった。鳩小屋を設置した3メートルくらいの高さでも、気分的にはかなりの高揚感だった。

 

さてメジロ。よくウグイスと間違われるのは、むかしの絵師が梅にウグイスなんて描いたからだろう。ウグイスもたまには庭の梅に来ることもあるが、それはごくごく希なこと。警戒心の強いウグイスはなかなか目に付くところにはやってこない。声はすれども、で、植え込みの中や葉の陰になるところで素早く移動している。それに比べて、メジロは何とものんびりしている。


ツバキの季節には、顔を黄色の花粉だらけにして頭を突っ込むほどに蜜をなめている。少々近くに行っても、どうせ捕まらないと思っているのか、蜜なめ優先。梅に来るときも、チョコチョコ移動しては蜜をなめまくる。そんな姿が、実にかわいいのだ。

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そんなメジロの習性をもとにした言い回しに ”メジロ押し” っていうのがある。けれど、実際にそんな光景は一度も見たことがない。2羽ほどが同時にやってきて同じ梅の小枝を動き回っているときも、2個体が連れだっている、とは一度も感じたことがない。むしろ、相方とは思っていないらしく、避けるようにしてお互い蜜なめに専心している。押し合うほどにメジロがたむろする場所なんて、想像もできないのだ。

いっぽうで、スズメのお宿、ならしょっちゅう出くわした。夕方遅くなって家に駆けて帰る途中、竹藪や笹塚のような場所で、塊のように集合してチーチー、チュンチュンうるさい様子を見たことは何度もある。まさに団子のようになって小枝に、あるいは一列になって電線にとまっている様子こそ  ”スズメ押し”  という感じ。でも、そうは云われていない。

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やや大きめのムクドリも、夏の夕方ものすごい数の集団で宿に帰り、着いた先での騒々しさは弩級である。騒音プラス糞害でよくニュースにもなるほど。

 

はてさて、メジロはどんな場所に集まるのだろうか? そもそも、押し合うほどに集まることがあるのだろうか?

どなたかそんな状況を見ることができたら教えてほしい。

 

屋外で鳥を見ながら子供や孫と過ごす時間は、親や祖父母にとっても、子や孫にとっても、大事な時間である。ただ鳥を見ながら、鳥の話をする。そのうち子供の方から別の話を始めたら、とことん聞くのが大人の仕事である。

 

余談だが、生まれ故郷にメジロならぬスズメと名の付く土産がある。小鮒の開きを串に刺して焼いた代物で、すずめの丸焼きに形が似ているからこの名称になったとか。子供の時分、父親を訪ねてきた人が手土産に持ってきてくれて、ときどき食べた。焦げがほろ苦くて身は甘辛。どんぶり飯が食えてしまう味付けだった。最後に食べたのはいつだったか。ざっと、半世紀前かも・・・

食べてみたい方は「すずめ焼」で検索してみて下さい。