理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

「バラす」は「なおす」のはじめナリ

 Mです。

 ガラクタいじりは、こどもの習性のひとつだ。

 ゴミ置き場に捨てられていたオモチャや電気製品を拾ってきては、分解してみる。そして、それをもう一度組み立てなおしてみる。うまくすると、動かなかったものが動くようになったりすることも、ごく稀にだが起こる。そうすると、その子にとってはこの遊びが捨てがたいものになってしまう・・・

  などというのは、モノがあふれていて使わなくなったらどんどん捨てていく現代では、ほとんど見られない光景だろう。

 Mのこども時代は工業製品自体が概ね高価で、動かなくなれば「まず修理」と考えるのが当然だった。街の電気屋さんは家電修理業でもあったわけで、ラジオが鳴らないとなれば、真空管トランジスタを交換して再生する、とうのが役割のひとつだった。テレビなんぞはその最先端で、その場で治ることは期待薄だったから、1週間預かります、といって代替え機を貸してくれる、なんていうこともあったのだ。

 そんなことを目にしているから、捨ててあるモノが工業製品だと、こどもはその中身がどんな風になっているのか観たくて仕方がない。石で叩いて壊し、中を観る、なんて乱暴なことをする輩もいたが、それは下衆というもの。本当に興味を持っているこどもたちは、家にあるドライバーを持ち出してきてネジというネジを外して分解した。よく判らないくせに、さまざまな部材の形や色を観て判ったような気になるのが嬉しかった。ごく稀に配線が外れていたり焦げていたりを発見してそこに手を加え、元通りに組み直して持ち帰る。電池を入れたり、プラグを差したりして、動いたり鳴ったりしたらもう有頂天。まるでいっぱしの技術屋になった気分で、鼻高々だった。

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 そうなると、もう止まらない。遊びがてらにゴミ捨て場を回ってめぼしいものを見つけることが日課になってしまう。なんて時代があったのだ。

 そんな時代に育ってきたMだから、三つ子の魂なんとやら、で、今でも壊れたモノを捨てるのはだいぶ先。部材を取り外して使えるものをより分けては保管し、ガラになってから捨てる、のがMにとっての「ふつう」なのだ。ただ、その時間がなかなかとれないから、分解待ちの機能停止品が順番待ちしている、という状態が起こってしまう。いくつかの部屋が、解体業者の倉庫のようになっているという現実。どうにかしなければ、である。

 とはいえ、できあがっているものを分解するという行為は、こどもに限らず、おとなでもなかなかに面白い作業であることは間違いない。こどもと違って、それなりの知識も蓄えてきているし、調べればおおよそのことはすぐに判る時代だから、ただ分解するというレベルをはるかに超えている。分解する目的が、不具合の探索であり、その先に復活させるという目的まであるのだから、実利的でもあるのだ。

そんな風に考えると、高機能&コンパクトで、とても分解など出来なくなっている昨今のデジタル機器は、なんの面白みもない。そもそも、それらの機器は修理という概念さえ失っている。機能不全に陥れば、代替え機に交換か新型に買い換えするのが当たり前で、なおすということはメーカー側の対応に含まれていないのだ。事実、修理が不能なほどに機能部品が集積されていて部分交換など出来ないし、可能としてもその作業の方がコストフルなのだ。だから、ダメになったものはレアメタル資源としての意味しか持たない。

 とはいえ、電気製品のなかにも、モーターで動くものやライト、冷蔵庫や洗濯機、などなど、コントローラーはデジタル基板でも動作部品や変圧部品などが動作の元になっている機械はたくさんある。それらは、今でも分解修理可能だ。部材の交換だけで生き返ることが期待できるのである。PCでも、デスクトップ型はその範疇になる。

 ↓ HDがおかしくなったら、まずは取り外して機能チェック、の様子。

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 IoT時代で、スマホスマートスピーカーと会話して電化製品をコントロールする世の中がすぐそこまで来ている。でもその一方で、コントロールすべき相手は、通信機能を追加されてインターネット経由の指令を受けてはいても、中身は従来の動作機器であることも忘れてはならない。情報だけで支配できるのは、命令だけなのだ。本体がトラブったら、やはり修理できるものは修理すべきだし、それがエコでもある。その精神だけは、忘れない方がよいと思っている。

 孫が育ってきたら、自身のこども時代のように、いろんなモノをバラしては組み直す、という作業を一緒にやってみたいものだ。

バラすは、なおすのはじめナリ、だ。
かれらは、それを解ってくれるだろうか?
いや、解ってもらえるようにしなくてはならない、と思っている。