30代の息子が2人、乳幼児の孫が2人、自身と夫がアラウンド還暦の、薬剤師Y子です。
「愛犬Lの物語 その1 出会い」にも書いたように、息子たちが学齢に達する前に迷い犬だったLが家族の一員となり、わが家の日課に「犬の散歩」が加わりました。
当時の私たちが住んでいた家は「がんばって東京に通勤・通学することも出来る、某県の地価お安めの住宅団地」の中にあり、そこには、平屋か二階建ての建て売り住宅、やや大きめの注文住宅、それに空き地が混在していて、庭や空き地で犬を飼っている家も多かったです。
バブル景気が崩壊する前の1980年代後半、昭和が終わり平成が始まった頃、わが家の周辺では、自宅の近隣に囲いのない空き地があれば勝手に自家用車を置いたり、子供を遊ばせたり、洗濯物を干したりするのが普通でした。そして自分が勝手に使っている空き地の草刈りは、もちろん、使っている家の人がしていました。
「空き地に雑草が繁茂して、外から来た誰かが何かを不法投棄しても分からない状態になってしまうよりは、近隣住民が空き地を『有効利用』する方が良い。空き地の所有者が自分の土地を使われたくなかったら、フェンス等で囲えば良い」という共通認識が、この団地の住民の間にはありました。
広めの空き地では、平日の午後に子供たちがサッカーボールを蹴ったり、土日に親子がキャッチボールやバドミントンをしたりする姿も見られました。
この写真のLも、わが家に隣接する空き地にいます。空き地の真ん中に大きな松の木があり、その下に出来る広い日陰が、晴れて暑い日のLの居場所になっていました。
Lが来たばかりの頃は、まだ息子たちが2歳と4歳ぐらいで、Lの散歩には必ず大人が同行する必要がありました。おかげで当時の私は、運動不足とは無縁でした。
散歩が大好きなLと一緒に、早朝でも昼でも深夜でも、一人でも家族と一緒でも、時間が許す限り、とにかく歩き、家族と一緒の時には沢山の会話を交わしました。
仕事、育児、家事、保育所の皆さんとの付き合い、ご近所づきあい、冠婚葬祭を含む自分や夫の親族との付き合い。当時は「お通夜・お葬式」を葬儀場で行うことが一般的では無く、自宅や自治会館で執り行われる際に親戚や近隣住民が仕事を休んで「お手伝い」するのが普通でした。
夫Mと私も「自治会の班長」を回り番で引き受けていた年には、自分たちの仕事を休んで「班のメンバーの通夜と葬儀」を手伝いました。
楽しいことばかりではない日々の暮らしの中で、Lと歩いている時間だけは、人間同士の感情の行き違い、些細なトラブルなどを忘れ、どんどん心身が健康になっていくような感じを味わうことが出来ました。
どこかの誰かに捨てられたのか、相手も自分を探していたはずなのに会えなかったのか、そのことさえも私たちに伝えられないLが、わが家を自分で選んで居ついてくれたこと、一家4人すべてに対して全身で親愛の情を示してくれることに、大きな喜びを感じることが出来ました。
子育て中、孫育て中の皆さん、犬と一緒でも、人間だけでも、子どもが起きていても寝ていても「ただ外を歩く」のって、いいですよ!
外に出るだけで危険な台風の時(天気予報やニュースで「不要不急の外出は避けましょう」と言っている時)などを除けば、雨の中や風の中を歩くのも、オススメです。バシャバシャ、ヒューヒューという自然の音を聞き、揺れる木々を見ながら歩けば、自分たちも自然の一部であることを実感できます。
「子や孫に小言を言いたい。でも、冷静に考えたら言わなくても済む程度のことかも知れない」と思ったら、その小言を言う分の時間を、一緒に、あるいは一人で外を歩くことに使ってみましょう。歩きながら「やっぱり言うべきだ!」だと思ったら、外で、あるいは帰宅後に言うのも良いと思います。
ちょっと散歩。気分転換に今から、いかがですか?