「子育て・孫育て中こそDIYを!」と、ときどき大声で言いたくなるMです。
「物差し」つながりで、以前から興味があった”差し金”についてググッてみた。
大工さんが使っている長くて直角に折れたそれが、子ども心にカッコ良かった。
腰に下げた道具袋から尻を出しているスコヤ(直角出しに使うピストルのような定規)もカッコ良かったが、60cmくらいあって鈍い銀色に光っている差し金は、鑿(のみ)、鋸(のこぎり)、鉋(かんな)と四天王を張っていると感じていた。
↓ スコヤはこんなの
玄翁(げんのう=かなづち)も釘打ちに必須だが、長さを測ったり角度を取ったりできる差し金あっての大工仕事だから、釘打ちは二番手だったのだ。
この”差し金”、形から曲尺と書くことの方が多い。ドイト店なんかでは、まずこちらである。場合によっては直角定規なんて分類で置いてあったりする。指金、指矩(矩は、矩形というように直角の角を持つ形の意味)、とも書かれることがあるから、同じ物なのかどうか迷ってしまうアイテムだ。
全くの余談だが、「テメエ、誰のさしがねで親分を狙いやがったんでぇ!!」というような場合の”さしがね”は、芝居小屋で蝶の型紙なんかを離れた位置から操ったりする道具のことだそうだ。棒の先にくぎを打ったり針金をつけたりして、そこに物を引っかけて使ったとのこと。ただ、大工の棟梁が指矩で指図したからだ、という説もあるらしい。
いずれにしても、この差し金、カッコ良さの理由はいぶし銀の姿にあるのではない。大工さんが、その裏表を器用に使って色々な墨付け(材木の上に線を引くこと)をする作業が、子ども心に<エキスパート>を感じさせたのである。
その大工さんは我が家を建ててくれていた遠い親戚筋の親方で、小学生だったMが見ていると、大工道具を色々説明しながら使ってくれた。その中でも差し金の説明は秀逸で、単なる物差しではなくて、角度も作れれば算術計算も簡単にできる魔法の道具だとわかった。
↓ 今様の差し金 (短手の内側目盛りが丸目、長手内側目盛りが角目)
学校で使う物差し(Mは線引きと呼んでいた)のように長さを測るなんて最低限で、裏返すとそこにはへんてこな目盛りが振ってあって、それを使うと角材から6角柱や8角柱が簡単に作れるとか、丸目という目盛りを使うと丸い物の周が判るとか、角目で計ると丸材から切り出せる最大の角材寸法が判るとか、それはそれは算数好きのMにとっては魔法の道具に思えたのである。
丸目が円周率倍された目盛り、角目が√2倍された目盛り、ということをちゃんと理解したのは中学になってからだが、大工仕事の奥深さを実地体験させてくれたアイテムこそ、差し金だったのである。
差し金の裏目盛りはどうやって作られたのか、それを考えるといにしえの人の知恵はすごいなあと思う。
考えてみれば、ピタゴラスさんたちがいろいろな算術法を考えて利用していた知恵がひろまっただけではなく、同じような天才、秀才がそこここで生まれて独自に同じ結果に辿り着いていたというのも当然なのかも知れない。和算と呼ばれていた日本の算術も、子どもの頃読みあさった百科事典のなかで、光り輝く解説に見えた。
こういった道具たちは、そういういにしえの知恵が形になった物で、すべてアナログ世界のアイテムだが、それを使いこなせる人間は、決してAI社会になっても光が翳ることはないと思う。デジタルのアイテムにはできない微妙な工夫も、アナログアイテムだから出来るのである。
しばらく前にブームになったかに思えた ”ものづくり” という言葉が、最近あまり耳に届かなくなった。寂しい限りだ。
子どもにスマホを与えるのも良いが、その一方で、アナログアイテムの底深さを楽しく教えられる人も養成した方が良い。
だって、今のAI化社会の根元も、それまでのアナログ技術から生まれたのだから。