Mです。
またまた”物差し”つながり。
差し金=矩金=曲尺・・・とあった中で、尺という長さの単位が現れる。
この単位は、現在でも和裁の世界では使われているし、古老の大工さんに薫陶を受けていた人たちは、いまでも柱は ”4寸だぞ” とか尺貫法の表現を使っている。差し金も現在はJIS規格で寸表示はなくなっているものの、12センチ角とはいわずに4寸角と言った方がイメージしやすいのかも知れない。 そして、現実に使っている長さの単位は、ちゃんと製品として生き続けているものもある。
↓ 寸目盛り付きのコンベックスもあるんだ!
尺という長さの表し方は、やはり中国に起源を持っている。ただ、中国の尺は、開いた掌の親指から小指の先までの長さだったそうだ。それで基準になるのか?と疑問にもなるが、たとえばその時代の皇帝の掌を基準にして原器でもつくってしまえば、公認の長さになったのかも知れない。(そんな記載は見たことがないので完全な想像です。)
中国とは全く別個に、ギリシャ時代には、肘から中指の先までを身体尺として使っていたというから、人がモノの長さをイメージするとき、自分の体の部分を使って大まかに計る、というのはごく自然だったのかも知れない。
事実、Mはメジャーがないとき自分の右手を基準にして計ることがよくある。目一杯伸ばすと21.5cmとわかっているから、これでだいたい用が足りてしまうのである。
そんな長さの単位である尺に、大工用の差し金(曲尺:かねじゃく)の尺と、和裁の物差し(鯨尺:くじらじゃく)の尺の2種類あるなんて、50代未満のほとんどは知らないのではあるまいか。
大工さんの尺と、先ほど書いた和裁の尺とでは、同じ単位のようで実は違うのだ。曲尺の尺はおよそ30cmだが、鯨尺の1尺はおよそ38cm。実は、だいぶ違うのである。
ちなみに子ども時分のMが折って怒られたのは鯨尺だ。
↓ センチ目盛りと尺目盛りが振ってあるタイプの長いヤツ(3尺もの)を折った!
なぜそんな違いができたのかに興味があったのだが、ちょっと調べてみただけではわからなかった。継続調査中である。
この両者の基準を決めたのは明治時代で、それまでの曲尺と鯨尺をメートル法に則って定義したということだけは確かだ。10/33メートルを曲尺の尺と決め、その1.25倍を鯨尺の尺と定義したのだという。そして、後者は反物(たんもの)の世界だけに認めるとした。
ちなみに、鯨尺という名前は、もともと鯨の髭を素材にして裁縫の物差しを作ったことから来ている。江戸時代の捕鯨誌を見ると、有名な捕鯨地である土佐での捕獲対象はマッコウクジラとセミクジラだったようだ。マッコウクジラは歯鯨だから、セミクジラの髭が鯨尺になったのだろう。
そういえば、釣り竿も尺か間で長さを言い表していた。こちらは曲尺の基準で、竿の長さは2間とか、2間半とかで言い表していた(1間=6尺)。利根川中流域で釣りばっかりしていたMは、グラスファイバー製の2間半竿を買うのに、お年玉で買えると思っていたら、それでは足りず、ちょっと遠い街場までのお使いで駄賃を貰う約束を取り付け、何回もお使い働きをしてようやく目標額を獲得した、という経験がある。今の釣り竿はカーボンファイバーでだいぶ軽くなったが、ズッシリとした感触のグラスファイバー製が何とも懐かしい。
ほんとうに知りたかったのは尺の起源なのだが、こちらも、今のところギブアップ。あわせて継続調査中である。
と、ここからはMの完全な想像なのだが・・・
まず、鯨尺に関しては ”身体尺” に関係しているのだと思うが、どうだろう。
鯨尺の場合、着物の寸法に使ったわけだから、たとえば誰か超大物(天皇?)の肘から手首までの距離を1尺と決めたとかではないのかと思う。
そうすれば、袖丈は2尺でちょうど手首までとか、アナログ的に実に効率的に思える。ちなみに、肘から手首の前腕を構成する2本の骨のうち小指側のものを尺骨と呼ぶ。
これは江戸時代に大槻玄沢さんという杉田玄白さんの弟子が、師の解体新書の続編を作った時に命名したのだそうだ。が、その理由はよくわからない。
一方、曲尺の場合は家を作るための寸法なのだから、こういうのはどうだろう。
まず、大柄な大人ふたりがすれ違える幅を家の間口にした。それを一間と決めた。からだを前から見れば頭と両肩で3部分。だから、一人分を3等分して、それを1尺にした。1間はその二人分だから1間=6尺。と思うわけ。ついでに、これが基準になると、身の丈6尺の偉丈夫でも、横になれば3尺×6尺の長方形で収まるから、それを畳の基準単位に、なんてことではないのかなぁ、と想像するのである。
えっ、間尺に合わない?
こりゃ、失礼いたしましたぁ~~~(笑)