理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

今様アナログ回帰はホンモノ?  その2;アナログ礼賛とアーティストの変化

Mです。
その1からのつづき。

ハードオフでアナログレコードを漁るオヤジがうごめくなか、ここ数年、カセットテープでアルバムを作ったり、レコード盤でアルバム発表するアーティストが現れだした。アナログ音源の音質が良いと、アーティストの側が気づいたということらしい。

なにをか言わんや、である。

もともと、人間の耳は連続したアナログ音しか聴いていない。世の中全ての音が、空気の振動として伝わってくるアナログの連続波なのだから当たり前だ。

ひとが創り出した音楽を多人数が別々に楽しめるよう「記憶媒体」を作り出したとき、その媒体もアナログだった。エジソンの蝋引きや錫引き円筒のレコードがその始まりだ。アナログ波形そのままを、ラッパで集めた音をその元に装着した針の振動として筒表面に溝として描き込んだのである。その後、電気技術が進歩して記憶媒体が磁気を使う方式に変わっていっても、そのデータ自体はアナログな連続データだったのである。だから当然、それらの記憶媒体から再生される音は、再生精度がどこまでだったかは別として、やはり元の音に忠実なアナログ音だったのである。

しかし、その後のコンピューター技術の進化で、あらゆるデータをデジタル情報として保存することが出来るようになった。そして、コストパフォーマンスを追求する機器の開発者にとって、デジタル信号で全てをまかなえるデジタル化音源の方が有利だったし、あとからデータの脚色も自由に出来るという利点もあって、音の本質云々よりも汎用性重視でCD、DVDの世界に邁進してきただけである。そして、音は櫛状の不連続音に変わってきたのだ。もちろん、人間の耳には不連続音としては聞こえない。くっきりとした音として聞こえてくる。

 ↓ 音のデジタル化イメージ(チーム170282 作『音のカタチ』より転載

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ところが、当初から、アナログ派な人々はいたわけで、同じものならアナログレコードの方が臨場感がある、微妙な音色がわかる、云々と、アナログ礼賛論はCD出現初期から展開され、少なからずずっと継続してきた。しかし、何しろ世の中の流れに逆らっていたのも事実。どうせ人間の耳なんてそんなに高尚なものじゃないし、聴き分けられるという人だけこだわればいいじゃないか、で済まされてきたといえる。

私自身、それで良かったのだと思っている。こだわる人はこだわれば良いのである。

そんな中で、CDの世界にも変化はあった。高音域をおよそ20,000Hzでカットしていたのをさらに高音域に拡張したスーパーCD(SCD))なるものの出現だ。音響機器メーカーもCDデッキ市場が落ち着いてしまうと次の手がない。だから、メカでCDの次のステップにしたかったのだろう。高音質のCDとその再生機をペアで売り出した。SCD機が売りだされると、普通のCDでもSCD機で聴いたほうが音質が上がる、なんていう「まやかし」も流れた。理屈で考えればそんなことはあり得ない。ただ、SCD機はデジタル信号の再生プロセッサーを高性能にしていたので、再生性能が一般CDデッキより数段優れていた。そのため、同じアンプを通して聴いた時の音が向上していた可能性は高い。それがあのウワサにつながったのかも知れないと思っている。

アナログ派がCDの世界に不満を持っていたのを感じ取った音響機器メーカーとソフトメーカーが、CDでもより高い世界があるのだ、と言いたかったのだろう。

一方、アーティストはユーザーと全く立場が異なる。自身の作品をできる限り良い状態でユーザーに届けたい、と思うのは彼らの本能でもある。その彼ら自身がアナログ音源の優位性に気づいた、となると話は変わってくる。

有名なアーティストが、ソフトメーカー(レコード会社など)がウンと言わないなら自分で作る、とまで言い始めると放ってはおけない。受諾するメーカーが出てきたら、アーティストが移籍してしまうってことにもつながる。
そんなこんなで、いろんなアーティストたちがアナログ版リリースをやり始めた、という流れなのだと思う。

→ その3につづく