薬剤師Y子です。
もう20年も前のことですが、私の大切なママ友の一人が2人の子供たちを残して肺ガンで 亡くなりました。
Y子は、まだ彼女が「仕事にも子育てにも意欲的で、とても元気な人」に見えていた若い頃に何度か、彼女が運転する車の助手席に乗せて貰い一緒に移動したことが あります。当時まだ彼女と私の子供たちは幼児で、私たちは30代になったばかりでした。
初めて助手席に乗った時、彼女専用の可愛い車の内部に、しっかりとタバコの 香りが染みついていることに気づき、彼女が決して人前でタバコを吸わない人だったこと、彼女の夫が「吸う人」だとY子も知っていたこと(当時は、禁煙と明記されていない場所に喫煙者が集まって楽しそうに会話しながら吸うのが普通でした)から、「同居の義両親の前では話しにくいことを、この車の中で夫婦で話したりするのかな。それにしても、妻の車をタバコ臭くしてしまうなんて、困った夫だ」と思ったのを、奇妙なほどハッキリと覚えています。
Y子はタバコの香りの中にいるのが苦痛なので、彼女のことが大好きだったのに、彼女の車に同乗することは出来るだけ避けるようになりました。
でも子供同士が仲良しだったので彼女の子が私の家に来て私の息子たちと一緒に遊んだり、子連れで外を歩いている時にバッタリ会って短い立ち話をしたり、「夫の母に昨日こんなこと言われちゃったの」と打ち明け合ったり、とにかく彼女と私は互いに「子育てや結婚生活に関して困ったり迷ったりした時には真っ先に相談する相手」でした。
すくすく育っている子供たちを見守りながら信頼できるママ友と話をしていると、何があっても一緒に前に進んで行けそうな気がしました。
「初めて彼女の車に乗った時」から10年ほど後、あれは確か私たちの第一子が地元の公立中に入学した年だったと思います。
PTA活動のため何人かが何度も集合して共同作業を行う機会があり、Y子は自転車で少し早めに、彼女は車で集合時間ぎりぎりに到着する、ということが続きました。
到着したばかりの彼女の服や髪からは、いつもタバコの香りが漂い「あ~、吸ってるのは彼女自身で、しかも、かなり依存の度合いが 強いな。時間ぎりぎりまで、どこかに車を停めて脳が欲しがるニコチンを補給してるんだな」と「絶対に知りたくないことを知ってしまったような気がした」のも、よく覚えています。
でも、その喫煙習慣のせいで彼女が死んでしまうなんて、その時は想像もしていませんでした。
さらに時が過ぎ、彼女が体調を崩して入院しているらしいと聞いたときも、義両親との同居生活でストレスを感じていると知っていたので「入院しないと、ゆっくり休めないのかも」などと軽く考え、「お見舞いに行かないと二度と会えなくなる」なんて思いもしませんでした。
それなのに、別のママ友から「Y子さん、もう知ってるよね、◯◯さんの件。明日どうする? 一緒に行く?」とかかってきた早口の電話は、退院の知らせではなくて訃報。彼女の通夜と告別式に関する詳細情報でした。
早すぎたママ友の死。
本人の耳には決して届かないと分かってから皆(特に彼女の地元の友達)が語り出した「高校生の頃から隠れて吸ってたよね。子供たちに、お母さんがタバコ吸うのは内緒だよって、口止めしてたらしいよ」等の噂話。
「呆然とするって、こういうことなんだ」と感じました。
最近、あの頃のことを冷静に振り返り「私は一体いつ何をすべきだったのか」と、よく考えます。
つらくて長い夢の中で、汗だくになって考えていることもあります。
そして「たとえ嫌われても『あなたの車、あなたの服、あなたの髪から、私は強いタバコの香りを感じ、あなたの車に乗るのを避けていた。あなたが禁煙するのなら、私はママ友として薬剤師として全面的に協力する』と、出来るだけ早い機会に彼女に伝えるべきだった」という同じ結論に、いつも達します。
だって、まだ間に合ったのかも知れないから。
ちょっと嫌な雰囲気になるとか、一時的に疎遠になるとか、そんなこと、大切なママ友が肺ガンで死んでしまうことに比べたら、ど~でも良い!
私の言動を決めるのは、私。
同じような後悔を二度としたくないので「言うべきことを言うべき時に、ちゃんと伝わる表現を選んで、確実に言う人」として、これから残りの人生を生きていきます!