理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

狂い咲き

Mです。

毎年、同じサクラがほぼ似た時期にポツポツと狂い咲きするのを見てきている。必ずそうなる樹を2本知っていて、今年も10月30日、31日とそれぞれを確認することになった。

一本は、樹高4mほどの比較的若い樹で、国道4号線バイパス下り車線で元荒川を渡る手前の神社にある樹。

 ↓ 30日 信号待ちの際に携帯撮影。画像のショボさはご勘弁。

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去年は11月に入ってからだったが、この様子だと、たぶん1週間前頃から咲いていたらしい。そこそこの数咲いているのだが、春になると、こんなものではなくしっかりと満開になるから、ごく一部の花芽だけがマチガッてしまうらしい。周りの樹々がもみじ色に変わっていく中で、ここだけ場違いで、かえって物寂しい景色だ。とはいえ、花そのものは、なかなかに可愛く綺麗なのだ。

もう一本は、江戸東京博物館北側のサクラ並木の中にある。日大一中・高の入り口側から少し入ったところにあり、しっかりと太い年季の入った壮年の樹。こちらは全体に咲くのではなくて、下の方の枝だけにいつも少しだけ咲く。10月31日の朝、北斎通りを東から進んで並木に突き当たるT字路で、信号待ちしていて気付いた。こちらはほんの数十個だから、咲いて間もないらしい。咲く期間はせいぜい1週間ほどで、数もまばら。まだ枯れ落ちていないサクラの木の枝に花があるというのも、なかなかに興味深い。

サクラの狂い咲きは、量が多いとそれだけでニュースになることがある。ソメイヨシノに代表される春咲きのサクラが、冬になろうとする頃、あるいは真冬まっただ中に咲いていると、それだけでニュース性を持ってしまう。

狂い咲き自体は、むかしからよく観られている現象で、植物学の見地からすると、花芽が休眠出来ずにいた場合に起こる、と判っている。そんな休眠できないでいる花芽は、一旦寒さに晒されたあと数日暖かい日が続くと、春の訪れと勘違いして目覚めて咲いてしまう、という現象とされている。

ではなぜ休眠できないかというと、休眠ホルモンと名付けられている化学物質が不足してしまうから。このホルモンは、夏場に葉で作られて花芽に送られる。その量が十分あれば、翌春までの休眠に入れるのだが、足りないと休眠が不確定になって、同じ枝の花芽であるにもかかわらず、眠れた芽と半寝ぼけの芽が出来てしまう。後者は、気候条件が揃うと冬でも咲いてしまう、ということだと説明されている。晩秋から初冬にかけては、必ずと言っていいほど一旦寒くなってもみじが色づき始める。そしてその後、しばらく暖かかったりすることが毎年起こる。その時期が、狂い咲き、の時期に当たるのだ。

この休眠ホルモンが足りない、という事態は、なぜ起こるのか?

その原因はいくつかあるが、ひとつはアメリカシロヒトリなどの幼虫が起こす食害。

つまり、夏場に葉が食われてしまって、ホルモンの製造工場が疲弊してしまった場合である。毎年ではないが、やはり狂い咲きすることの多いサクラ並木を知っていて、そこを5年ほど観察してみたことがある。狂い咲きするときはかなりの数の花が咲いてしまい、近くのゴルフ場に来た客が冬場の花見をするほど。その並木の場合、狂い咲きする樹が同じ樹ではないのが気になって観察していたら、7~8月にかけてアメリカシロヒトリが大発生し、駆除できずに丸裸になってしまった樹は、必ず12月までに咲くと知った。それでも、翌春にはちゃんと満開に見えるのだから、いかに花芽がたくさん出来ているのかと、それはそれで驚きだった。

もう一つは、野分の被害。つまり台風などによる秋口の落葉である。花芽は夏の時期にできあがっているが、休眠完了するのは秋が深まるまでの間とのこと。だから、普通に落葉するまではホルモンの生産と供給が続いているわけで、それが秋半ばまでに台風で途絶えてしまうと、花芽によってはホルモン不足で眠りに入れない、ということなのだ。

とはいえ、毎年見続けている2本は、この説明では理解しがたい。いずれの樹も、葉がちゃんと付いているのを夏場から秋にかけてちゃんと見ているし、今年のように台風に晒されたからといって、他の樹も同じ条件だ。なのに、2本だけ必ず毎年狂い咲く。

きっと、この2本は遺伝的に花芽の休眠機構に緩みがあるのだろう。欠陥ではない。個性である。

ただ、江戸東京博物館脇の樹については、特定の枝だけ狂い咲きしているようなので、もしかすると、その枝は継がれているのかも知れない、とも思っている。

晩秋から初冬にかけて、ヒトの目を楽しませたいのか、あるいはからかいたいのか分からないが、見る方は「おお、また咲いた」と喜んでしまう。

個性派の役者は、貴重だと思うのだ。