理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

歳を経て まるく なる

Mです。

 持論を振りかざして、ガンガン攻めて来る。学生の頃はそんな印象だったのに、何十年か経って久しぶりの同窓会で会ったら、ビックリするほど穏やかで聞き上手になっていた。なんてこと、耳にしたり、あるいは実際に経験することがあると思う。あいつも、ずいぶん丸くなったよなぁ、と離れた席でつぶやく人も、同じように物わかりの良い初老のグレーエイジだったりするのだ。

 自分の世界を作ろうと肩を張って頑張っていた時期から、仕事の世界に入って揉まれ、いろいろな相手と接して世渡りしていくうちに、物事をまとめ上げていく手練手管を身につけてくる。その結果、押すだけでなく引き技を身につけて「大人」になった、というのが「丸くなった」ということなのだろう。

 「歳を経て丸くなる」のは、人間だけではない。動物たちも、きっと同じような変化を起こしているはずだが、カタチとして見た目が丸くなるのが、植物だ。
 一年草のように毎年生まれ変わってしまう植物では起こらないが、何十年、いや何百年も生き続ける樹木には、そんな変化を見せてくれるものがいる。
 例えば、イチョウの葉もそうだ。若木の頃は切り込みが深くて大振りだったのに、樹齢が増していくうちに、葉はむしろ小振りになっていき、端の切り込みが浅くなっていくことが多い。
 生まれ育った地域に大きな神宮があって、その境内にある大イチョウは、秋になるたびギンナン拾いに出向いた場所だった。最近そこを訪れてみたら、ガキの頃に見た葉と比べて大木の葉は、だいぶ小さくなっていた。東京都のマークほどにもくびれておらず、なかには団扇のような形のものも混じっていた。ほんとに丸くなっていたのである。

 だが、そんなもんじゃないほどの変化を見せるものもいる。ヒイラギである。

f:id:otto-M:20200410184241j:plain Wikiさんから拝借

 節分に、鰯の頭とセットにして鬼除けに使われる、あの棘だらけの葉っぱが特徴の木だ。
 泥棒が入りにくいからという理由なのか、農家だった母方の実家近くでは、生け垣に結構使われていた。ただ、歩いていて触れただけでも痛いから、さすがに生け垣全部がヒイラギという家はなくて、門近くだけとか、敷地裏側だけとか、特定の場所に植えられていた。常緑で育ちが遅いから、ミッシリと枝を密にして塀のように刈り込むことが容易なのだ。隙間から手を入れることも出来ないほど、とにかく痛くて嫌な木だった。

 ただ、この樹の花はとても良い香りがする。

 だいぶ後になって知ったことだが、キンモクセイの仲間だったので、さも有りなんだ。年末近くになって咲く小さな白い花は、目立たないが、その香りは人を引きつける。木偏に冬と書いて「ひいらぎ」とされているのは、この花の時期を言い表しているのだろう。
 そのヒイラギ、古木になると全く棘が無くなってしまう。見ただけでは、ヒイラギと判らない。
 実は昨年の11月末、行動範囲の中に、その古木があるのを発見したのである。
 場所は、台東区鳥越。由緒ある神社、鳥越神社の鳥居脇に、その古木はある。

f:id:otto-M:20200410185020j:plain 下の色の濃いのがヒイラギ

 小さな濃い緑色の細かな葉を付けた、3mほどの細い木。存在は知っていたが、何の木だろうと思っていたが判らないままだった。覆うように茂っている梅の木の下に、ひっそりと居る。
 発見のきっかけは、夕方鳥居脇で信号待ちしていたときに、ふわぁ~~っとキンモクセイに似た香りが漂ってきたことだった。あれ?このあたりにキンモクセイはなかったはず、とキョロキョロ。信号が変わってしまったが、気になって香りがする方に移動して探すこと数分。なんと、キンモクセイとは似てもにつかぬ樹型の古木に白い花がちらほら。においは頭上から降りてきていた。近寄って枝を引いてみてようやく判った。ちょっとだけ棘のある葉も混じっているから間違いない。ヒイラギが咲いていたのである。キンモクセイほど強烈ではない落ち着いた芳香が、白い花から漂っていた。
 よく観てみても棘のある葉はごくわずか。殆どの葉は小振りな茶の葉を平らにしたような形で、柘植(ツゲ)の葉を大きくしたような感じがする。とにかく、見た目には全然ヒイラギじゃないのだ。

f:id:otto-M:20200410185313j:plain つるんとした丸い葉ばかり

 

 よくもこんなに「まるくなる」ものだと思う。
 なにもかも達観してしまったカタチなのかも知れない。まさに、神社にふさわしい変化だと感じた。

 ググッてみたら、特徴的な葉の形態が全く異なるカタチに変化する現象を、植物学では「異形葉性」と呼ぶのだそうだ。植物体が自身の成熟を関知した結果、それまで抑制されていた異形葉性をもたらす遺伝子群が活性化し、そのはたらきが強まって新しく出来る葉の形を変化させるのだという。だから、成熟を関知した植物体から枝を切り取ってしまったりすると、そのあとに出てくる若い枝からは、幼若期のようなトゲトゲの葉っぱが生えてくるのだそうだ。

 ◆日本植物生理学会の解説ページ(東大大学院 塚谷さん)は、ココ
→ https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=4479&key=&target=

 そんな仕組みを知ると、人間が歳をとって丸くなる、というのも、案外同じような仕組みがあるからなのか、と思ってしまう。
 成熟して来ると、無駄な行動を抑えて命を長らえる方向に有利な遺伝子群の発現が高まり、脳の活動が穏やかに変化していく。ということではないか、と想像するのだ。
 若い頃の急進的な発想と行動が歳と共に減弱していくとき、筋力・持久力の低下が伴っている。そんな状況で激しい行動をすれば、生命維持の面からはデメリットになる。だから、危険な行動を避けさせ、延命させるための自己防衛手段が、まるくなること、なのかも知れない。

 一方で、老いてもなおアグレッシブなアーティストなどは、身体が成熟していることを脳が無視して、まるくなる遺伝子群の活性化を起こさせないのかも知れない。
 バタッと逝ってしまうかも知れないが、最期までガンガン生きていく。それはそれで、羨ましいことでもある。

 平凡な人間ほど、丸くなってゆっくりと老いていく。ヒイラギ人生こそ、平穏、ということなのだろう。
 
 そう言いながら、オレは嫌だ、と言っている自分がここにいる。
 COVID-19への政府対応の鈍重さといいかんげんさに、心底立腹しているここ数日。とても「まるく」なんてなれない!!