理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

柑皮症と私

薬剤師Y子です。

今日は、温州みかんの季節になると必ず思い出す出来事について書きたいと思います。

 

10年ほど前のこと。私は某ドラッグストアの薬剤師として都内で働いていました。

年末のある日、店内で何度か見かけたことのある上品な男性客が何度も私の近くを通り、私に話しかけるかどうか迷っている様子でした。

そういう時、私は「いらっしゃいませ。何か、お探しですか?」と、明るい感じで声をかけます。その時も当然のように、そうしました。

すると男性は意を決したように「実は、あなたの顔や手が黄色いので、私は心配なんです。黄疸ではないですか?」と、私の顔ではなく手を見ながら、一気に早口で言ったのです。

 

あ~、そうだったのね。ご心配おかけしちゃって申し訳ない!

私は大声で笑いたいのを我慢し、男性の目を真っ直ぐに見つめ、感謝を込めて丁寧に「いま私の皮膚が黄色いのは黄疸ではなく柑皮症なんです」と話し始めました。

f:id:Yakuzaishi-Y-co:20201213114524p:plain

白目が黄色くないし、肝機能も他の検査データも正常であること。温州みかん、野菜ジュース、海苔、かぼちゃ、ニンジン等が好きで多く摂りがちな私は、体内でビタミンAに変化するβカロチン(カロテン、プロビタミンAとも呼ばれる)の血中濃度が高まって皮膚が黄色くなる「蜜柑や柑橘の柑、皮膚の皮、症状の症と書いて柑皮症」になることが何年かに一度あり、今回も「それなりに注意してたのに、なってしまった」こと。そして私の場合は温州みかんのシーズンが終われば自然に治ることを説明しました。 

すると男性は「そうですか。よかったなあ、安心しましたよ~。本当に、言ってみて良かったなあ」と言いながら、笑顔で去って行かれました。

その後まもなく私は転職し、その方に会う機会はなくなってしまいました。

 

柑皮症に関しては、この「豆知識」が分かりやすいです。

藤井寺市医師会 豆知識

 

こちら「レジデントノート」の記事では「白目がある意味」に関する記述が面白かったです。

www.yodosha.co.jp

  

お子さんの皮膚が黄色くて心配な方には、こちらの小児科医院のサイトをオススメしたいです。 

肌の色が黄色い:柑皮症(かんぴしょう)|こどもの病気|杢保小児科医院(小児科・アレルギー科・予防接種) 

 

私の話に戻ります。

みかんの季節、中高生の頃の私は1日に5個ぐらいの温州みかんを食べていましたが、当時は日焼け止めを塗る習慣も直射日光を避ける習慣もなくて肌が褐色だったし、徒歩で学校に通い、体育の時間が好きで、帰宅後は飼い犬と散歩する(田舎道を1時間ぐらい。しかも全体の半分くらいは走っていた)「運動量が多めの少女」だったため、血中の脂質量が低めで「脂溶性の黄色い色素の血中濃度が高くなって皮膚が黄色く見える」ことがなかったのだろうと思います。

 

高校卒業後、実家を出て「大人」になった薬学生の私は、夏も冬も日焼け止めを塗り、褐色の肌に別れを告げて「色白の人」になりました。また、犬と一緒に田舎道を走るという習慣がなくなったので運動量が減りました。

その頃から、父の末の妹である叔母が年末年始に会ったときなどに「ちょっとY子、なんか顔が変に黄色いけど大丈夫なの?」と言うようになりました。

確かに、しっかり白塗りしている叔母と比べれば、スッピンの私の皮膚は黄色く見えます。でも生意気盛りの薬学生としては、ど素人である叔母に言いがかりをつけられたままにしておくことなど出来るはずがなく、まだインターネットは使えなかったので大学の図書館で理論武装して、いつでも「これは大丈夫なの!」と答えられるようにしておきました。

 

その後、就職して、結婚もして、子供を産んで、子育てが終わってから働いていたドラッグストアで出会ったのが、冒頭に登場した上品な紳士です。あの方に即答できたのは、若き日の私をムッとさせた叔母さま、あなたのおかげです!