Mです。
総武線浅草橋駅の東口を出て、江戸通り(国道6号)を浅草方面に歩くと、銀行が対面している十字路がある。江戸通りと交差する都道を西に折れると、道の両側に大きめの葉を付けた街路樹が続く。そのまま歩いて、しばらく行くと再び太めの道路と交差するのだが、同じ樹が今度は南北にも分かれてしばらく続く。そして、これらの通りが、マロニエ通り、と呼ばれているのだと知った。
パリのシャンゼリゼ通りの街路樹としてシャンソンにも現れる、あのマロニエである。
マロニエの葉の形状は、サイズこそ小さめだが、日本のトチノキによく似ている。木肌はややひび割れが細かいが、見た目はトチノキと近い。さもありなん、日本名はセイヨウトチノキである。
今年もコロナ禍で中止になってしまったのだが、この通りでは「マロニエ祭り」という催しがあり、マロニエの花の咲く頃、賑やかに行われるのだという。稼ぎ時のゴールデンウィークを日本中が棒に振ってしまった緊急事態宣言のなか、通りの樹々には、巫女さんが振る神楽鈴のように咲く赤と白の花が、こんもりとした葉の間から花柄を伸ばしていた。所々に「マロニエ祭り」と印刷されたビニル提灯が吊されていた場所もあったが、残念ながら、中止が決まって早々と撤収されてしまった。
ところでこのマロニエ、通りを歩いていて気づいたのだが、幹に妙な特徴があった。段つなぎしたような特異な格好をしているのである。
段つなぎの様相と程度は樹によって違うのだが、左上写真のように、根本付近で全く違う太さのつなぎ目になっていたり、中上写真のように、だいぶ上の位置で上下で太さの異なるつなぎ目が見えたり、いろいろなのだ。なかには、右上写真のように、太さがほとんど変わらずに、目立たない継ぎ線の上下で木肌が違っているものもある。いずれにしても、100%接ぎ木された樹木なのだとわかる。そして、段々になってしまっている樹の割合がかなり高い、というのが気になった。
調べてみたら、マロニエ(=セイヨウトチノキ)は、日本の風土に合わず育ちにくいのだという。そのため、病害にも強い日本のトチノキを台木にして、接ぎ木をして育てている。その結果が、マロニエ通りの段つなぎ街路樹になったわけである。
とはいえ、どんな時期に接ぎ木をしているのだろう。
普通は、まだ樹がまだごく若い時期に台木の根元近くで切り、そこに接ぎ穂を差し込んで癒着させる。台木の太さに対して接ぎ穂は必ず細くなるのだが、癒着して生長するにつれて接ぎ穂の太さがどんどん増していき、大きな樹になる頃には継ぎ目はわかるものの、ほとんど一体化した幹に見えることが多い、と思っていた。上手くいくと、右上写真の様な感じになるのである。
そう考えると、このマロニエ通りのように、明らかに太さの違う接ぎ部分がわかるものが沢山あるというのは、意外だったのである。
なぜこんな異様な形になるものが多いのか?
苗木とは言えないほど太くなってしまったトチノキを台木にして接いだとか、何か特殊な理由があったのだと思う。
生産者側からすると、マロニエの需要に合わせてガンガン接ぎ木を行ったものの、幹の太さが段々になってしまったとか、曲がってしまったとかで価値の低い樹も出来てしまうが、数を求められれば、ユーザー側の了承を得た上でそれらも売ってしまった・・・
そんなことなのかもしれない。
それにしても、植物という生き物の寛容さには、常々驚かされる。近縁とはいえ、別個体と完全融合して生長できる強さには、感動すら覚える。
およそ5億年前に誕生した原始植物からどんどん種を分けて増えてきた植物たちは、大隕石衝突で絶滅したとされている恐竜時代の大異変もなんのその、現在に至るまで遙か昔の姿のまま生き延びてきている。以前触れたセコイアなどは、3億年前から地球上に生き続けている。植物界のラチメリア(シーラカンス)である。
温暖化が急速に進んでヒトが滅びてしまっても、植物たちは平気の平左で生き続けるに違いない。なにしろ、光と水と空気さえあれば生きていける。
羨ましい限りである。