理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

藤の天下取り それは危険なシグナル

Mです。

 今年の東京近辺では、3月半ばにソメイヨシノが咲き始めて一気に咲き進み、4月には既に桜吹雪が舞っていた。
 かつての入学式祝辞の定番に「サクラもほころび」という言い回しがあったが、少なくともこの10年は、その言い回しが卒業式用に横滑り採用されて来たように感じる。温暖化というけれど、そんな変化を見てくれば、確かに日本は暖かくなっていると思わざるを得ない。

 その流れの中でも、今年はことさら暖かい日が多い3月だった。4月になるともう5月を思わせる日が何度も訪れたから、草木はそれに応じて一気に芽ぶき、花を咲かせた。
 なかでも、郊外の野山をパッチパークのように色づかせた野生の藤が見事だった。
 4月半ば、仕事で走った成田近辺の里山のそこここに、淡い紫の花がいくつもの群落を作っていて、100Km/H越えで突っ走る窓から何度も眺めることが出来るほどだった。通常は5月初旬に満開、というのが記憶の中の藤だったから、ソメイヨシノと同様に半月以上早く咲き誇っていた、ということになる。

  

   ↑ 野生の藤 Wikiさんより拝借

 きれいだなぁ、と思いながら見ていたのだが、ふと???の疑問符。
 何であんなにたくさん群落があるんだろう、と気になったのだ。むかしから、関東地方の野山には藤があった。が、大きく繁殖していることは少なくて、野山のそこここに小さな薄紫の塊がちらほらと見えているのが普通だった。たまたま大きなものがあっても、次の年には切り取られてなくなっていたり、少しだけ残されている、ということが多かった。
 つまり、野山の管理者から見ると、藤は増やしすぎてはいけない植物なのである。

 葛藤 ということばがある。
 くず と ふじ。 どちらもつる性の植物で、ほかの木々の体を支えに使って繁茂していく。実際は葛と藤が生長争いすることは少ないのだが、互いに譲らず争い合う、という意味合いで、これら2者が戦うかのように使われている。実際の戦いは、むしろ葛あるいは藤と、彼らが絡みつく相手である灌木や喬木との争いで、絡まれた側は、日光を遮られて成長が妨げられるからやっかいである。
 ことに藤の場合は、数年もするとツルが太く固くなって絡みついた木の幹を絞りつけて食い込んでいく。先端はどんどん上を目指すから、たとえば高さ10mを軽く越える杉だとて、てっぺんまで藤に覆われてしまう。そうなっては、太い幹の木であっても栄養不足と幹の物理的な損傷のダメージから、数年もすると弱り、ついには枯れてしまうのである。

 それがわかっているから、里山の管理者は、林や森の健康を保つために行う下草刈りや枝払いの際に、木に絡みついている藤を除去してきた。完全除去は不可能だが、少なくとも必要な木の生長に影響しないように切り払っていた。それでも、翌年には外から見てわかる程度にきれいな花を咲かせていたのである。

 ということは、見事な藤の群落をきれいだと感じさせた今年の風景は、里山管理が一気に貧弱化してきたことを意味している、と考えることが出来る。
 まだ里山が目覚めきらない中で一気に花を咲かせたからいつもより目立った、という可能性もある。ただ、杉一本を覆い尽くすほどの大きさで花が咲いていた箇所がいくつもあったことや、まだ芽吹いていない落葉樹が、まるで藤のディスプレイ用の支柱であるかのようにすっぽりと覆われていた状況は、考えてみれば異常なことだった。

 関東の野山、里山は、春には山菜採り、秋にはきのこ採りで賑わったものだった。下草が刈られて明るい野山だからそれが出来たのだが、今現在は、ほとんどのところがススキや笹が繁茂していて入ることも出来ない状況になっている。おじいさんは芝刈りに、なんて今ではほとんど死語だろう。

 野山が荒れると、産廃を含む違法廃棄物の捨て場所になってしまうことが多い。
 きれいな景観を守る意味だけでなく、環境の保全、という観点からも、里山を適切に管理していくための知恵を絞らなければならない。

 藤がきれいだ、と喜んではいられないのだ。