理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

つま 長すぎるじゃろぉ~~~!

 Mです。

 日本人の多くは刺身好きだと勝手に思っている。
 世界各国から訪れてくれる観光客の皆さんにも、この国独特の食習慣と言っても良い生魚料理「SASHIMI」はかなりの人気だ。
 かくいう小生も好きだが、Y子はさらに数段刺身好きだ。

 そんなY子が、最近よく嘆いている。というか、怒っている。
刺身のつま大根が長すぎる~~~! と。

 先週もそんなことがあって、もの知らずのMは、「つま」について初めてちゃんと調べてみた。
 と、なんと、これまでずっと「刺身」を夫に見立ててその支え役、引き立て役として「妻」なのだと思い込んでいたことが全くの的外れだったことを知った。「妻」ではなく、「褄」だった! そしてこの字は、端の意味もあって、添えるモノを意味していると知った。

  

   ↑ 絶妙な褄と刺身の盛りつけ ;小田原みなと食堂さんの画像を拝借

 

 そんな「褄」について、クラシルさんの解説がとてもわかりやすかったので紹介させていただく。
  下記サイト参照。
  https://www.kurashiru.com/articles/9f6088d7-e9cc-440d-8beb-b95baa3a0d8c

 それによると、褄は、刺身の横や手前に添えられるものの総称、なのだそうである。そして、褄にも「敷き褄」と「立て褄」があって、千切り大根のように刺身の下に敷くモノと、穂紫蘇のように刺身に立てかけて見た目を引き立てるモノ、という役割分担があるのだそうだ。さらにまた、大根の辛み成分であるイソチオシアネートが殺菌作用を持つため、傷みやすい生魚を安全に食するためにも敷き褄は重要だったのだ。
 江戸のまちに銚子や野田の醤油がやってくるようになって一気に広がった刺身文化は、考えようによっては後の ”大根の敷き褄”に支えられて発展してきたのかも知れない。主役の傷みを抑制するとともに、どうしたって生臭さがある海産物を食べるときの箸休めとして、さっぱりとした食感と味で食欲をそそる役目を果たしているのである。

 なのに、である。
 昨今のスーパーで売られている刺身パックは、この大根褄の役割を単なる「敷物」としてしか見ていない。
 過去の大根褄は、程よい長さに切られていて、ひとつまみずつ巻かれていることさえあった。ひと切れの刺身の後でひと箸の大根褄。このセットが、口直しを挟んだ箸運びとなって、刺身というメニューを確立させたと言っても過言ではないと思う。
 ところが単なる敷物となってしまった大根褄は、もう箸休めの役を果たせない。とにかく長い! 大根一本は30~40cm程度である。この前見たパックに敷かれていた大根褄は、優に30cmを超えていた。つまり、大根一本をそのまま千切りにした感じ。ここまで長いと、一箸で救うなんてできないし、そもそも、その長さの褄が束になって敷かれているのだから、食べ物じゃないぞ!とでも言っているかのよう。どうやってあんな長い千切り大根を作るのかに興味もあるが、今回は主眼が別なのでまたの機会に。
 とにかく、もはや、食べる物ではなくなっている。
 魚肉の腐敗防止としての役は果たしているのだろうが、大切なもう一つの役割である食材としての刺身の相棒役を放棄してしまったのである。

じつに寂しい。

 Y子もそうだが、Mも千切り大根をつまみながら食べ進める刺身が大好きである。30cm超の褄をどうにか挟みあげては食べるけれど、どうにもやりきれない。やはり、ちょこっとつまめる工夫を捨ててほしくないものである。

 ファミレスのテーブルに残されたものを見て驚くことしきりなのだが、メニューの皿に野菜だけがそっくりそのまま残されていることが増えている。どうやら、野菜、特に生のものは食べる必要が無いものに分類されてきているらしい。
 我が家の家族は、すこぶる野菜好きである。だいぶ前の話だが、とんかつ屋さんで千切りキャベツおかわり自由の店を見つけ、家族4人で何度もキャベツおかわりをお願いしてビックリされたことがある。きっと、そんな客はもう居ないのかも知れない。

 そのうち、レストランの皿には野菜の写真がプリントされていて、生野菜なしで見た目を整えたメニューが並んでいくかも知れない。それどころか、3D プリンターで野菜を載せた状態の皿を作って、そこに焼き肉やハンバーグをのせる店が現れるかも知れない。

ここのところ野菜が高値続きだが、それでもやはり、野菜は食べたい。

大根褄は食い物だぞ~~! スーパーさんよ。