理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

アスファルト路面の涙 鉄片混入じゃね?

Mです。

 多分今年になってからだと思うのだが、毎朝歩くアスファルト舗装面に奇妙な茶色のシミがたくさんあることに気がついた。

 

 このような茶色いシミがいろいろな路面で見られて、なかには路肩に向かってゆるく傾斜している路面を、長く尾を引くように流れ広がっているところもある。
 この現象が気になってから、いろいろなアスファルト路面を眺めて歩いているのだが、幹線道路ではまず見かけない。ほとんどが、狭い路地や駐車場になっている舗装面などばかり。なかには、路面に貼り付けられている白線の裏側から錆色が滲み上がってきているところもあった。

  

 色合いといい、水で流れるように尾を引いているところといい、感覚的には鉄錆としか思えないのである。

 今ではだいぶ見かけなくなってきたが、トラックの荷室壁が鉄板だった頃は、年数を経たトラックの箱には、ビス周りに鉄錆が発生してそれが雨水で流れて茶色の筋を引いているのをよく見かけた。最近は、ハコ車(扉つきの箱形荷台のトラックのこと)の外装がほとんどアルミ製になったので、錆が出ることも少なくなってほとんど見かけない。白い塗装のトラックが多くなったのも、年配の修理屋さんたちによると、「錆の涙」を流さなくなったからだそうだ。車体のビス留め部位から発生した錆が流れるのを、涙、と呼んでいたのである。

 今回の茶色の路面しみは、まさに、この鉄錆涙そのものに思えるのである。

 最初の写真を見てわかるが、このシミが発生している周りの石粒は、かなり大きさにばらつきがある。それで気がついたのだが、これまで観察してきた路面シミがあるところは、どう考えても本格舗装をするほどの場所ではなく、水道工事、下水工事云々でたびたび掘り返されては舗装し直されているような場所が多い。ということは、大きなコストがかけられない安普請の対象箇所なのではないか、と考える。そんな場所だから、使っている砕石が程度の低い材料で、鉄片も入ってしまう建築廃材の破砕物も使われているのではないかと想像した。

 そこで、道路舗装に関する国土交通省の規定を調べてみた。
 下が、舗装の構造に関する技術基準 ( 国土交通省)で、使用する砕石のサイズに関しても細かく規定していることがわかった。
  https://www.mlit.go.jp/road/sign/pavement3.html

 ところが一方で、サイズの規定などはしっかりと行われているものの、その原材料に関してはきちんとした規定は見つからなかった。できあがった舗装の強度に関しては守るべき価を示しているものの、それを誰が確認するのかについてもまた、この文書だけでは不明だった。たぶん、認可団体のチェックに任せるのが現実的なので、そのような規定が別途設けられていて実施されているのだろう。 
 そんな団体かな、と思われたのが「一般社団法人 日本アスファルト協会」。
 その団体の解説資料を見つけたのが、下記である。
  http://www.askyo.jp/knowledge/08-1.html

 ここでは、アスファルト舗装の構造も含めて基本的な解説が行われていて、舗装表面の材料も示されている。さらに、施工順序を示した解説図があったので拝借してきた。

   <一般的な舗装構成と施工の順序>

  

  この図で上から三層目までが、アスファルト舗装路面の上層に当たる。言葉から判断すると、この層は粒度を調整した砕石が使われていることになる。第一、二層は、コート材料だから、あのアスファルトの黒々とした結着成分が第三層の砕石を覆う、ということだろう。図の第四層にあるクラッシャランという聞き慣れない言葉があったので調べてみると、これは、建築廃材で出たコンクリートを破砕して再利用するもので、最終的にはふるいにかけて粒度を調節して使う、と説明されている。いろいろな解説を見てみると、建築廃材には当然鉄骨が含まれるので、それは除かれて残ったコンクリートの塊だけを破砕している、とされていた。

 どうやら、このあたりに謎を解く鍵があると感じる。

 協会さんの舗装構造図では、クラッシャランは表層の下で路盤を強固にするために使われている。しかし、赤さびのようなシミが出来ているアスファルト路面の写真では、確かに天然石らしい石が多数詰まっているものの、その大きさはマチマチでとても粒度調整した砕石だけが使われているとは思えない。もし、上層路面が薄くて下層のクラッシャランが顔を出してしまうような施工が施されていたらどうだろう、と考えた。
 鉄骨は除いている、とはいえ、細かな鉄片まで完全除去するほどの手間はかけられないはずだから、当然、クラッシャランと呼んでいる路面材料には小さな鉄片くらいは入っていても不思議ではない。また、表層から二層はアスファルト混合物をのせて平らにする操作らしいが、よく見る舗装面修理作業では、熱々のアスファルト混合物を山盛りにしたところをレーキで均してから手操作の機械で打ち付けて平らにしている。そのとき押し固められている表層の厚さはごく薄く、押し固めるときにより下層のクラッシャラン層の砕石も浮き上がってくることがあってもおかしくない。その結果が、幹線道路に比べて表面の凹凸や隙間が多い簡易舗装面の最終形態なのであって、そうなれば、コンクリート破砕物が表面に顔を出しても何ら不思議はない、ということになる。

 そんなことを考えながら歩いていたウォーキングの途中で、ガソリンスタンドの歩道部分でも、コンクリート舗装面に赤さびのシミを見つけた。下左図では、白っぽい部分がガソリンスタンドが自前で行ったコンクリート舗装で、下の黒三角は公的歩道のアスファルト。右は、傾斜面のコンクリート舗装にあった流れシミである。

    

 結局、最終的に砕石をつなぎ合わせて平らにする素材がアスファルトかセメントの違いはあっても、中に含まれる砕石層の表面に鉄材料が顔を出せば、舗装完了から数日もすればそこが錆び始めるのだ。アスファルトやセメントの成分が初期のうちは鉄片などを覆っているのでわからないだけで、タイヤや靴に踏まれて皮膜がはがれれば、一気に錆び始めるのは当然のこと。そのさびが雨などで周囲に広がって茶色のシミを作っているのだと確信した。

 日本の高度成長期に、都市部の道路や建物の材料、高速道路網の建築素材として、地方の山や川から大量の砂や石が掘り採られた。それらが東京などの先進的な都市景観を作ってきた。生まれ育った田舎では、そうやっていくつもの山がなくなってしまった。そしてそのうちに、天然の砂や石が枯渇して建築材料高騰が始まった。
 一方で、高度成長期を過ぎて経年劣化で建て替えられる建物や橋、道路が現れると、今度はその廃棄物としてコンクリートの塊がどんどん増え、リサイクル、という「まやかし」っぽい言い方で廃材処理業が生まれ、それが再利用されることで資源の循環だととらえられてきている。この流れ自体は悪いことではないし、そうせざるを得ないことでもある。気になって調べてしまった今回の「舗装面の涙」も、資源再利用の流れの中に現れた、ほんのちょっとしたシミなのだろう。

 ただ、一つだけ肝に銘じておかなくてはならないことがある。
 モノを作る者は、その堅牢さ、確実さを決して軽んじてはいけない、ということだ。

 以前、急速な建築ラッシュに沸いていた中国の都市部で、建設後間もないマンションの壁が崩れ、中から家庭ゴミが大量に混ざった廃棄物が見つかったという話があった。これは極端な例としても、本来、堅牢であるべき建築物の中に、その堅牢性を将来的に損なうような「混じり物」が入っているのは許されない。今回気になっている鉄片だろうと思われる舗装材料の混入物も、それが錆びて水に流れてしまうと、そこにはうつろな空間が残る。現に、路面のシミでは、茶色の中心部が穴になって凹んでいる部分が多い。
 舗装面のように表層のごく一部なら実際的問題にはならないものの、建物のコンクリート壁の中に使われる砕石の代わりにコンクリート破砕物を使い、そこに鉄片も混じっているというようなことが起こったらどうだろう。当然のことながら、その量が多ければ、将来的にそのコンクリート建造物の壁強度に影響を及ぼすことにつながると思うのである。
 
 以前は気になっていなかった路面の茶色シミ。
 もしかすると、きれいなタイル面に覆われた高層マンションの壁の中にも、そんなシミが発生しているのではないかと勘ぐってしまう。

いつもと違う2022蝉ごよみ

Mです。

 我が家の梅雨から梅雨明けは、ニイニイゼミの声がひとつの指標だった。これまでの経験からニイニイゼミが鳴き始めるとそろそろ梅雨明けかな? がフツーだったのである。 ところが、2022年は完全に裏切られている。さっさと梅雨明けが報じられてしまい、6月末に酷暑モード。かとおもったら、7月に入ってから梅雨時よりもっと梅雨らしい天気が続いている。気象庁さんが、やべぇ早まった、と内心思っているんじゃないかと思わず笑いがこみ上げてくる。
 さて、例年は梅雨明け前のイベントだと感じているニイニイゼミだが、今年どうだったのかというと・・・
 実は、6月中には全く鳴かなかった。例年だと、6月20日前後には聴いているあの何とも控えめな ジュィ~~~~~~ という音が待っても待っても聞けなかった。ようやく耳にしたのは、なんと先週の水曜日。予想よりおよそ3週間遅れだった。
 イヤ待てよ、もしかして、これって梅雨明けがまだだと言っているんじゃないだろうか? 春先のひどい寒さが続いた関東では、草木と同じく、地温の積算で目覚めが促される蝉などの虫たちにとっても、2020年の覚醒カレンダーは後ろにずれ込んでいるかもしれない。関東のソメイヨシノは、開花が昨年より1~2週間遅れていた。同じように、ニイニイゼミの覚醒カレンダーも遅れている、と考えて良いのかもしれない。

ニイニイゼミWikiさんより拝借)

 ニイニイゼミの声を聞いたと思ったら2日後、別の場所だが、なんとミンミンゼミが鳴いていた。ところが、それから1週間経つというのに、関東の夏の王者アブラゼミはまだその姿を見せていない。
 6月末の酷暑到来とその後の長雨。気象庁さんは、エルニーニョがどうとか、いろいろと理由付けをしていて大変そうだ。要するに、「富岳」を使って予想したところで、結局は過去のデータをベースにしたシミュレーションをするだけなのだから、規模の大きな地球表面の気象予測を的確に行えると思うこと自体、自然という構造から見ればチャンチャラ可笑しいぜ、ということなんじゃないかと思うのである。
 地震予測は出来ません、と発表したに等しい地震予知連さんもそうだが、予知できればいいなぁ、と思っている人間たちの希望は、今のところ単なる期待であって現実はそう甘くない。
 自然災害に対して、予報に多大な期待を持つのは止めて、起こってしまったらどうするか、ということを真剣に考えておくしかないのかもしれない。

 それにしても、これまでの経験が裏切られている2022蝉カレンダーは、どうなっていくのだろう。例年なら、ニイニイ→2週間→アブラ→1週間→ミンミン、ヒグラシ、ツクツク、というMの蝉順が、今年どうなっていくのかとても興味深い。

ADSL回線 ついに終了!

Mです。

 東京の棲み家に、ネット回線変更のお知らせが来た。ヤホー じゃなかった! ヤフーさんからのお知らせ。ついに、ADSL回線終了が迫ったのである。

   

 いつからADSL回線にしたのかはっきりとは覚えていない。ただ、なぜADSL回線だったかというと、そこには「ものがたり」がある。

 この回線にする前は、もともと電話回線を使っていなかった部屋だったので、当時売り出し中だったUQ WiMAXを契約してWiFi回線でPCを使っていた。
 そのUQ WiMAXの機種が新しくなるとのことで WiMAX 2への更新を勧められ、ポケットWiFiの機種を変えた。ところが、そのとたんに通信が出来なくなった。アンテナが立たなくなってしまったのである。
 変更を勧めてきた窓口に相談し、指示に従っていろいろ操作を繰り返すも全く改善無し。電波受信自体が出来ていない可能性があると思い、機器を手にして周辺を歩いてみると、とんでもない現象が判明した。居住マンションを含む一辺200m程の正方形地域が、アンテナが立っても1本まで、という極めて電波状況が悪い「電波の影」に入っていると判った。その端から道路を隔てた側に行くといきなり4本立つ。何が障害になっているかわからないが、とにかくWiFi電波が来ないのである。
 そういえば、ガラケーの受信も若干悪く、アンテナマークも2本と3本を行ったり来たりしている状況だったから、電波障害物があるのだろう、くらいには感じていた。とはいえ、先代のポケットWiFi機器ではどうにか問題なくネット受信できていたのである。
 それらのことをもう一度相談窓口に申し出て、元の機種に戻して欲しいと頼んだが、それは不可能だ、という。
 実際のところ、窓口になっているのはUQ本体から委託された実務会社であって、機器の斡旋と送付、説明等はするが契約には絡んでいないという。だから、一旦解約された旧機種の契約を元に戻すには、契約主体に新契約をキャンセルして、旧機種契約をやり直すしかない、というのである。しかも、通信障害の報告はなく、良好なエリアに入っている地域なので勧めた自社に責任は無いと突っぱねる。じゃあ、実際に来て調べて対策してくれるのか、と問えば、そういう立場に無いと逃げる・・・

 結局、アタマにきてキャンセル料を払ってUQ WiMAX とおさらばしたのである。無駄にした経費は3万円近かった。アホらし!!

 そんなこんなで、やっぱり通信は有線だ、と思い直して有線ネット契約に突き進んだ。 かといって、当時はまだ光通信はやや高額だった。使うのはPCだから、通信速度はソコソコでも十分に機械側で対応できる。そこで、まだまだ健在だったADSL回線局を検索してみると、地理的にごく近い場所にあることが判った。ネットで回線速度を調べてみると、ADSL12M契約で下り6~8Mbps程度出ているらしい。十分だ、と判断して急ぎ最も安価だったヤフーさんと契約したのであった。

 電話は使っていなかったが回線だけは部屋まで引き込まれていたので、ブランクは2週間ほどでネット社会に復活できた。

 そんないきさつを思い出すと、それほど前のことではないのに、ずいぶん昔のような気がする。一昨年ぐらいから、もはやADSL回線は用無しになりつつあり、数年後には廃止されると知ってはいたが、ついに通知を受ける状況になってあらためて時代が変わっているのだと実感した。

 考えてみれば、現在の有線ネット料金は、光回線でも以前のADSL料金にだいぶ近づいている。それだけ、ユーザーの規模が大きくなって、光回線のコストが下がったということ。代わりに、銅のアナログ固定電話回線を使っていたADSL通信は、ニーズがなくなったということだ。そもそも、固定電話を持っていても、光回線でネット契約している場合は、カタチだけは以前のままの固定電話でも、実際上はすでに光相乗りの光電話に代わっていて、すでにIP電話になってしまっていることが多いと思う。家屋に電話線が昔のまま残っていたとしても、中の銅回線は使われていないのである。だから、この銅線を利用していたADSLシステムが終了するのも当然のことなのだ。

 ところで、いま、ジリジリジリジリッと鳴る黒電話を使っている人は、日本中でどのくらい残っているだろうか。黒電話(グレーや肌色もあった)は、パルス通信という通信方式を使っているアナログ電話元祖の仕組みで、この回線はダイヤル回線と呼ばれる。その後、プッシュボタン式の電話機が生まれ、同じアナログの銅線を使うのだが、通信方法は従来のパルス通信とトーン通信(こちらはプッシュ回線と呼ぶ)のいずれかが選べるようになった。一般家庭では、つながるまでの時間が短いプッシュ回線にほぼシフトしたはずだ。その後の、光やWiFi全盛期になっても、これらのアナログ回線はちゃんと温存されている。なにしろアナログ回線自体は停電でも機能して、特に黒電話なら停電でも全く問題なく話が出来るからである。
 消防署など、停電時でも電話がつながらないと困るところでは今でもこれらのアナログ回線は現役。自家発電でプッシュ電話機の電源さえ取れれば同じくアナログ回線を確保している相手とは電話がつながる。さすがにパルス通信だけが使える黒電話タイプは無いだろうとは思うが・・・

 とにかく、情報量が膨大になった現在、その通信手段は有線、無線に分かれてはいるものの、ほとんどすべてがデジタル回線に置き換わってきた。
 アナログは、どんどん遠くなっていく。Mの脳みそはアナログなんだけどなぁ、と言ってみてもはじまらない。

 さて、ADSL終焉後はどうしようか。
 ヤフーさんからのおすすめは、AirWiFi)と光の2択。当然である。
 やっぱり、無線はコワイよな、と思う。値段もソコソコに落ち着いているので、やはり光に乗り換えることになりそうだ。

ヒトの設計図 ついに完全解読

Mです。

 4月はじめ、アメリカの科学雑誌「Science」に、ヒトの遺伝子解析が完了したという報告が上がった。5月3日の朝日新聞科学面に、そのわかりやすい解説が載った。ログイン出来ないと一部しか読めないが、電子版アドレスは下記である。
  https://www.asahi.com/articles/ASQ4X5WWLQ4TUTFL00M.html

 生き物の設計図である遺伝子(DNA)は、4種の核酸という分子の連なりで出来ていて、その並びがアミノ酸を決定し、それを繋げることでタンパク質が作られる。生き物の身体を作っている中心がタンパク質だから、遺伝子は身体の設計図だ、という理屈になる。

 1980年代にこのDNAを構成している核酸を順繰りに読み取っていく技術が開発されて、90年にヒトのDNAをすべて読み取ろうという計画が世界的な共同プロジェクトとして始まった。それぞれの生き物の基本となるDNAセットをゲノムと呼ぶ。つまり、生き物の設計図=ゲノム、である。そこで、このプロジェクトは、ヒトゲノム計画、と呼ばれた。そして14年かけて、サンプルとしていた白人のDNA読み取りが完了したと宣言された。2013年のことである。

 とはいえ、これは核酸の並びが解読された、という意味であって、その並びの意味するものが解明されたということではない。ただ、読めた、ということ。解読作業と並行して生物学者、生化学者たちは、その核酸の並びがどんなタンパク質に対応しているかを必死に探っては発表するという競争を続けてきたのである。
 その流れの中で、特定の病気が特定の遺伝子配列の乱れや変化によって起こっていること、身体の中で病気と闘っている仕組みを特定の遺伝子が担っていること、などがいくつも解明され、医学や薬学の分野で画期的な進歩を生み出してきた。読み取りが完了したという段階で既に具体的な成果につながってきたのは、ゲノムプロジェクトがいかに人間社会に恩恵をもたらしてきたかの証拠といえる。

 そんな優れた業績なのだが、新聞解説に示されているように、実は、2003年の解読完了宣言時には、モレがあった。
 長大なヒトDNAの各所にある「繰り返し配列」が厄介だったのである。
 当時の解析装置では、同じ塩基の連なりが単位となって同じ配列が何度もつながったり、異なる配列単位が入れ子になりながら繰り返したりする領域については、繰り返している、ということは分かるものの、どういう順番なのか、どんな組み合わせで繰り返しているのか、までは読み切れなかったのである。
 技術進歩は企業レベルで飛躍的に進む。その結果として、科学論文に現れない進歩として、解析技術の躍進が生まれる。そのおかげで、同じ繰り返しばかりで「いったいどうなっているの?」状態だったモレ部分が徐々に解明され、ついに完全解読に至った、というのが今回のScience報告である。

 報告された雑誌の表紙が上の図だが、右下から始まってぐにゃりと曲がりながら右上に向かっている短冊模様が、ヒト遺伝子のかたまりである染色体を表している。数えていただければ判るが23本ある。中学校の教科書にあるのだと思うが、これがヒトの細胞すべて(成熟赤血球では消失)に備わっている設計図のセット。23本がそれぞれ対を作っているので、細胞の中では、染色体本数としては46本になる。(ただし、ヒトのオスでは、性染色体の片方がY染色体なので、最後の1対は長さの異なるXYのでこぼこペアであることは注意が必要)上の図は、極端に短いY染色体が無いようなので、多分女性のサンプルが使われていたのだと思う。
 余談が長くなってしまった。
 重要なのは図の短冊にランダムに現れている赤い線の部分だ。ごく狭いものからだいぶ長めの赤領域までいろいろだが、この赤い部分が前述の「繰り返し配列」領域で、全体から見るとおよそ8%に相当していたという。2003年以降の技術革新によって配列の確定手法が進歩し、ついにこの赤い領域すべてについて塩基の配列が確定した、ということなのだ。

 「そりゃあ、ご苦労様でした。まだ意味づけがともなわないのに、よくぞそこまで根を詰めて仕事をされましたね。頭が下がります・・・」と皮肉を言う研究者もいるだろうが、それは違う。解読された配列を元にわかりやすい研究に突き進んで早めの成果を上げることも有意義だが、とにかくすべて解読するまで諦めない、と地道な研究を続けるのも科学全体から見れば非常に重要なことで、今まで解明されていない「繰り返し」の意味するものを、これでようやく研究できる地盤が整ったのだ、と捉えれば、今回の成果は実に大きな進歩なのだと思う。

 これからは、人種によるゲノム配列の差を解析するなど、今回の成果を「基本パターン」にした比較研究が一気に進んでいくのだろう。さらに、個人個人で異なる遺伝特性が詳しく解析できるようになって、病気の遺伝子治療分野が一気に加速していく可能性もある。一市民として、大いに期待が膨らむ。

 そんな期待を抱く一方で、日本の科学研究の実情を見るにつけ、華々しい成果にはすぐに結びつくことの無い地道な基礎研究を進め続ける西欧の底力を羨ましく思うのは、私だけでないだろう。基礎研究では食えない、と50年以上言われ続けている日本の科学界は、これから先いったいどうなってしまうのだろうか。この前ノーベル賞を受賞した真鍋さんも、日本では出来なかった基礎研究を米国で地道に続けた方だった。基礎研究があってこその応用研究。太っ腹な科学教育体制が無いと、優秀な頭脳はみんな外国に流れてしまうかも知れない。

 

アナログカメラ と スマホ がくっついて・・・

Mです。

エッ という記事に出会った。
 アナログカメラの裏蓋にアタッチメントを付けて、スマホとカメラをドッキングする、というアイデアだ。J-CAST トレンドからのニュース配信で、4月10日18時のものだ。

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  ※ https://news.infoseek.co.jp/article/jcasttrend_20222434949/

 紹介されている画は、多分1970年代を代表するカメラの一つNikon F2だろう。重厚感がありながらシャッターが軽くて使いやすい人気機種だった。ボディーのみで7万円超した代物で、欲しくてたまらなかった機種だが、懐具合がどうしてもそこまで到達せず、断念した機種だ。結局Mは、より小型で野外撮影に好適なOlympus OM-1を落とし処にした。こちらは、標準レンズ付きで5万円台だった。当時の一般奨学金が1.2万円とかだったから、自炊でケチった金を貯めて、1年がかりでどうにかOM-1に到達したという懐かしい思い出だ。

 それ以来、デジタルカメラが主流になるまでにアナログカメラを3台使ってきたが、そのほかに、以前紹介したステレオカメラを含めていわゆるレトロなカメラを5台ほど所有している。面白い機能を持ったカメラばかりで、知人から譲ってもらったりハードオフのジャンク棚で見つけてきたもので、いくらか手を加えて修理し、すべて現役である。
とはいえ、今ではアナログ撮影自体、よほどのこだわりが無い限り手が出ない。
 いまアナログ撮影しようとすれば、フィルムの入手も結構な金額になるし、撮影後の現像期間と代金も考え合わせると、撮った画像を目にするまでのコストは、結構な”道楽”の領域に入ってしまった。何しろ、デジタルカメラで撮った画を見るまでにかかるコストはほぼゼロなのに、アナログカメラの画を見るまでには、フィルム代と現像代だけでも1,000円以上かかるのに加え、プリントするとその代金もかかる。しかも、1週間は撮った画の出来映えが判らないまま待たなくてはならないのである。Mの場合は、現像&プリントのセット料金が格安だったジャンボグループをよく利用していたが、それでも36枚撮りで画を受け取るまでにおよそ1,000円かかっていたと記憶している。どんな画になっているかとワクワクして待っていた時間が楽しかった、という側面もあるものの、時には思っていた画に遙かに及ばず、ガックリときたこともある。
 いま想えば、アナログ写真には、そんな悠長なところがあって、それが良かった。

 ところが、デジタルカメラが世に出て来て、あっという間に銀板写真(アナログ写真)の質に追いついてしまった。当初は、プロはやはりアナログ、みたいな雰囲気があったものの、10年しないうちにそんなのは流行らない世界に突入して、プロ仕様の機種と解像ソフトが登場し、後加工も自由自在になっていくと、もはや世の中の写真はほぼすべてデジタルになってしまった。何しろ、現場写真がほぼリアルタイムでネット送信出来るのだから、もはやアナログの出番は無いのである。PCの進化とインターネットシステムの進化が、カメラの世界を根本から変えてしまった、という流れだ。

 とはいえ、そんな時代になっても、アナログカメラの機械には、相も変わらず一部のマニアからの熱い視線が変わること無く注がれてきていた。それは何かというと、レンズの特性である。
 アナログ時代のカメラには、各メーカー毎に特徴的なレンズの癖があった。特に伝説的なのはライカのレンズで、同じ被写体を同じ露出、同じシャッタースピードで撮影しているにもかかわらず、撮れた写真を比べると誰が見ても判る差が現れた。特にレンズを解放絞りで撮ったとき、写真周辺の微妙なボケ具合が何とも柔らかで心地よい絵に見えた。レンズに詳しい大先輩に教わったところによると、その特長を産み出していたのはドイツ産の土(つまりガラス原料)にあり、クッキリし過ぎずかといってディテールはしっかりと表現できるレンズが出来たのだという。さらに加えてライカ独自の特殊研磨技術があり、レンズの最大の難点である周辺収差という画像のゆがみを、消しきらずに程よく残したのがライカレンズの特性だったそうである。日本メーカーのカメラも世界的に高評価だったが、画の味、という説明できない特長ではどうしても届かなかった、と聞かされた。
 
 そんな流れがあって、デジタルカメラがどんどん進んでいく中で、昔のアナログカメラのレンズが使える、という触れ込みのデジタルカメラも生まれてきた。アナログユーザーは、結構交換レンズに凝っていたので、近接から望遠まで3~5本くらいの交換レンズを持っている人々が多くいた。それらのレンズは、それなりに特長を持っていたわけで、それをデジカメにも使いたい、と思うのは当然のこと。それに応じて、焦点距離を調整してデジカメにも使えるようにしてあげよう、という流れが生まれたのである。
 とはいえ、これはあまり上手くいかなかった、と受け止めている。結局のところ、フィルムに像を結ぶためのレンズ特性と、デジタル受光素子に光を届けるためのレンズ特性は、同一では無かった。無理矢理くっつけたアナログ時代のレンズは、デジタルカメラという箱では、想像したほど昔のレンズ特性を再現してはくれなかった、というオチ。何とも悔しく、残念な結末だった。

 では、今回報じられた新手法はどうだろうか?
 詳しい仕様が示されていないので判らないのだが、簡単な説明によると、今回の発想は、レンズを活かしたいという前段の発想とは異なり、アナログカメラという機械そのものを
そのままのカタチで活かす、という発想だ。つまり、無理矢理焦点距離を調整するとかは行わず、カメラの命であるレンズからフィルム面までの鏡胴部分をそのまま温存し、フィルムの代わりにデジタル受光素子面を裏蓋として装着するというものらしい。しかも、撮影は連結したスマホに行わせる、という仕組みだ。この部分がまだ良く理解できないのだが、スマホアプリの性能次第、ということなのだろうか。だとすると、その性能は随時更新、進化していくだろうから、アナログ機械部分とデジタル解析機能の合体、という観点で見ると、新しい展開が訪れるのではないかと期待が膨らむのである。

 価格も、アタッチメントセットで2万円台前半。是非試してみたい、と思う。

 ただ、最大の問題点は、Mはガラケーしか持っていない、ということ。
 このままでは、試すことが不可能なのだ!!
 しかたがない、Y子のiPhoneを借りようか・・・

そこで呼ぶなよ! タクシー待ちは、場所を考えてくれ!!

Mです。
 
 事実上、毎日、最低40分は東京23区内を車で走る。チャリでは月~金5日間で総距離50Kmは、こぎ巡っている。
 そんな中、いちばん往生するのは左車線を走るタクシーの幅寄せと直前停止だ。客を見つければ止まるのは当然、商売だもの!と云われれば確かにそういう面もあるだろう。が、毎日のようにヒヤッとさせられる側のことも考えてくれ!!、と叫びたい。

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 田舎でタクシーを使うのは、鉄道の駅から目的地や自宅への手段、自宅からの病院通い、お年寄りが友達同士で乗り合いショッピング、などだろうか。いずれにしても、道路でタクシーを拾う、というスタイルはごくまれだろう。そもそも、タクシーが一般道を流しているなんてことはあり得ない。燃料の無駄遣いである。

 ところが大都会は全く違う。年齢にかかわらず、急いでいる人々が幹線道路にはウヨウヨいて、彼らは目的地へと向かう手段にタクシーを多用する。バスや電車では降りてからさらに移動しなければならないから、効率が悪い。だから、今居る場所から目的地へと直接向かうことの出来るタクシーを選ぶ。カネはかかるが、効率的かつ安心な移動手段として理解できる。雨の日など、特にその便利さは捨てがたいだろう。
 オリンピック用に大量導入されたTOKYO TAXIと呼ばれる濃紺の背高タクシーが、オリンピックが無観客で行われることになったため、当初の目論見から大きく減ったであろう収益の穴を埋めるべく、1分1秒を惜しんで客を探しまわっている実情もまた、理解できる。客を見たら即停車! ごもっとも。

 とはいえ、である。もう少し、拾う側、乗せる側双方とも、都会の幹線道の交通状況と安全確保を考えてもらいたいのである。

 毎日記録しているわけではないが、交差点や横断歩道付近でタクシーがハザードを点滅させていきなり停車する、という状況に最低でも5回は出くわす。特に朝方と夕刻にこのパターンが多く、それでなくても混んでいる時間帯なので、この客乗せや客降ろしがさらにクルマの流れを阻んで混雑が悪化しているように思う。

 道路交通法を引き合いにして物言うつもりはないが、止める場所をもう少し考えて欲しいのだ。
 なぜなら、、交差点や横断歩道といった駐停車禁止場所ほど、タクシーの急停止が頻見されるからだ。

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(参考)道路交通法第44条
 車両は、道路標識等により停車及び駐車が禁止されている道路の部分及び次に掲げるその他の道路の部分においては、法令の規定若しくは警察官の命令により、又は危険を防止するため一時停止する場合のほか、停車し、又は駐車してはならない。ただし、乗合自動車又はトロリーバスが、その属する運行系統に係る停留所又は停留場において、乗客の乗降のため停車するとき、又は運行時間を調整するため駐車するときは、この限りでない。
一 交差点、横断歩道、自転車横断帯、踏切、軌道敷内、坂の頂上付近、勾配の急な坂又はトンネル
二 交差点の側端又は道路のまがりかどから五メートル以内の部分
三 横断歩道又は自転車横断帯の前後の側端からそれぞれ前後に五メートル以内の部分
四 安全地帯が設けられている道路の当該安全地帯の左側の部分及び当該部分の前後の側端からそれぞれ前後に十メートル以内の部分
五 乗合自動車の停留所又はトロリーバス若しくは路面電車の停留場を表示する標示柱又は標示板が設けられている位置から十メートル以内の部分(当該停留所又は停留場に係る運行系統に属する乗合自動車、トロリーバス又は路面電車の運行時間中に限る。)
六 踏切の前後の側端からそれぞれ前後に十メートル以内の部分

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 上記の文面中太字の部分が、まさに、毎日出くわすタクシー急停車場所そのものなのである。

 はてさて、それじゃあ、誰に問題があるのか?
 Mとしては、タクシーの側よりも、タクシーを拾う側に問題があると感じている。

 仕事で流しているタクシー運転手は、客を乗せてなんぼの商売をしている。だからどんな止め方をしてもOKと言うのではないが、もし自分が止まらなくても、すぐまた後ろから来るタクシーが止まるだろうことは明らかで、ならば自分が乗せてしまおうと思うのも仕方がない。そういう行為に対して、警察官ならNGを出せるだろうが、一般人にそれを求めるのは酷である。事実上、黙認せざるを得ないと思う。

 一方、拾う側はどうか?
 どうしてわざわざ、横断歩道や交差点でタクシー待ちをするのか?
 これが、はなはだ疑問なのである。
 道路交通法を遵守して、などという気はサラサラない。むしろ、道路の安全な場所でタクシーを拾う方が自分にとって安心なはずだから、事故が起こりやすくみんなの迷惑にもなる場所を避けてタクシー待ちをする、という単純なことをなぜ考えないのか、と思うのだ。
 個人的観察なのだが、面白い現象がある。少なくとも西欧人が交差点や横断歩道でタクシーを拾うという例は見たことがない。東京駅周辺などのようにタクシープールのある場所は限られている。それ以外の太い道路で西欧人がタクシーを拾う光景はよく目にするのだが、彼らは何もない場所、つまり、クルマがただ直進すれば良い場所で手を上げ、タクシーを拾う。これはごく自然なことで、流しのタクシーはどこでも拾えるわけだから、拾う場所はむしろ無限にある。なにもわざわざ特定の場所として交差点を選ぶ必然性はゼロなのだ。渋滞中でなくとも、スムーズに流れている直線路なら、前方でタクシーが客を拾いそうだという情報は、後続車両の側で難なく関知できる。なにしろ、交差点のようにいろいろな方向に注意を払う必要がないので、前方情報に集中できるからだ。減速するにしろ、追い越すにしろ、後続車側に余裕があるのだ。
 ではなぜ、毎日のようにヒヤッとさせられる「交差点タクシー拾い」が多いのか?
 思うに、タクシーが速度を落とす場所だから止めやすい、と考えているからではないだろうか。もしかすると、日本人は、タクシー運転手に「親切」だと思って交差点付近でタクシーを拾っているのかも知れない。
 だとすると、それは大間違いだ。
 確かに、タクシーの側も止まりやすいとは思う。乗せるのは道路左側なのだから、交差点で左折レーンにいればノロノロになっていて止めやすい、かも知れない。横断歩道なら、横断者が居るうちはどうせ止まっていなくてはならないから、そのときに乗ってくれればラッキー! ということ。でもちょっと待った! 止めやすい、止まりやすい、なんて論外である。タクシー運転手は運転のプロなんだから、どこでも安全に止まる術(すべ)を持っているはず。いちばん交通を滞らせる場所で客乗せなんかするんじゃないよ! と言いたくなる。
 客が交差点付近でタクシー待ちをしていても、タクシーはその場で急停車せずに直進または左折して少し進んだところで止まる、というのが本筋だろう。
 ごくわずかではあるけれど、そういう例を見たことはある。

 どこでも拾えるタクシーなのだから、利用する側には、利用者としてのマナーがあってしかるべき。交通状況をちゃんと見て、他のクルマにも、自転車にも迷惑になりにくい場所を選んでタクシー待ちをして欲しいと思う。
 結果として、その方が、自分自身にとっても安全なのだから。

スティック型SSD 進化してるね!

Mです。

 だいぶ前に、ポータブル型SSDに耐衝撃性を持たせたG-Shockみたいな製品について書いた。2019年秋のことだった。

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 その製品は今でも結構売れているらしい。それから1年して、同じ容量レベルで驚異的なサイズダウンを施したUSBスティック型SSDが世に出た。BuffaloさんやSandiskさんらが、見た目はUSBメモリーそのものの製品を発表して、同様スタイルの製品がいくつものメーカーから次々に登場し、今では店先でチラ見しただけではUSBメモリーなのかUSBスティック型SSDなのか、よく判らないほどになっている。
 そんなUSBスティック型SSDを、毎日のようにメールで新製品紹介してくれるソースネクストさんが、何日か前に紹介してきた。

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 見れば、22mm×67mm×9.5mm(幅×長さ×厚さ)と、いま手元で使っているUSBスティックメモリーとほとんど変わらない。ちょっと厚みがあるかな、程度である。

 上図は256Gbだが、512Gb、1Tbも、本体サイズは全く変わらない。動作温度は、256Gbは0~70℃なのに対して、512Gb以上のものは0~55℃となっている以外、転送速度をはじめ仕様上の差は見当たらない。大容量タイプで動作温度範囲が狭くなっているということは、極小化したことでどうしても熱発生が防ぎきれない、ということを意味しているのだろう。 以前、64Gb程度のUSBスティック・メモリーでも、使用中に表面がかなり熱くなるので、大昔にバイクの空冷エンジンの襞にアルミの洗濯ばさみを付けて熱放散を補助したのと同じように、メモリーにアルミ洗濯ばさみを付けると温度上昇がだいぶ抑えられることを書いたことがある。たぶん、このスティック型SSDにも同じ手法が通じるのではないだろうか。 

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 スティック型SSDの紹介を一昨年に見たときは、さほど興味がなかった。価格も高かったし、そこまで大容量のポータブル・メモリーを必要としてもいなかったから。しかし今回、価格的にUSBスティック・メモリーの大容量クラスと同等か、場合によっては数段安い製品も出てきたことを知ると、あながち無視も出来なくなってきた。
 
 見方を変えて、なぜ外付けSSDをこんなにまで小さくしてきたのか、と考えてみた。
 一昨年秋ごろ、ポータブルSSDが数多く出回ったとき購入を検討したのは、USBメモリーではちょっと難しい大量のデータ移管に使えると思ったから。ただ、持ち運びを考えると、落としたりぶつけたりと物理的衝撃でデータが損傷しないかとかが気になった。そんなときにG-ShockのようなポータブルSSDが現れて、だいぶ興味をそそられた。それでも結局購入していない理由の一つが、USB3.0コネクタでPCと接続できるのは楽なのだが、どうしても直接PCに繋げるのではなく、短いながらもケーブルで繋ぐというスタイルが気に入らなかったから。ケーブルまで含めると、バッグの中でそれなりにかさばるのだ。胸ポケットにポンと入れる、というのは無理。そんな感触を持っていた人が、多分たくさんいたのだと思う。
 ただ、いきなりタバコケース程の大きさのブロックをPCに繋ぐのは危険だ。重さでコネクタが外れるかも知れないし、コネクタ自身が歪んでしまうかも知れない。だから、短い連結ケーブルを使うしかなかった。
 そこで、SSD本体を極力小さくしてしまい、USBスティックのサイズにまで落とし込んでしまえばいいじゃないか、ということだったのだろう。

 こうなってしまうと、もはやUSBスティック・メモリーとUSBスティック型SSDは、いったい何が違うのだ、ということになる。
 実際、データを保管してPC間を行き来させるためなら、問題は必要な容量だけの問題である。どちらも記憶素子自体は同じ仕組みを使っているから、もはや従来型USBメモリーは不要で、みんな大容量のSSDにしてしまえば良いではないか、ということになる。値段は、1Tb以上のものになるとむしろUSBスティック・メモリーの方が高額だ。そもそも、そんな大容量は必要としていなかったのがUSBスティック・メモリーだったのだ。


 簡単に挿したり抜いたりできる記憶媒体、というメリットがUSBメモリーの最優先課題だった。PCのOS側から見て、USBメモリーはあくまでもリムーバブルディスクであり、CD、DVDなどのディスク、MOディクス、さらに遡ればフロッピーディスクと同類の捉えられ方なのである。それら外部記憶媒体を、USBコネクタという統一規格に落とし込んで、ただ差し込めば良い、というスタイルにしたことで、いまでは、CDやDVDさえも必要ない状況を生み出している。何しろ、それまでのディスクは、どれも専用のドライブを必要としていた。デスクトップPCならどうにでもなったものの、ノートPC、タブレットPCと小型化していく中で、ドライブ装置自体がPCサイズの足かせにしかならなくなってしまった。回転駆動というモーター装置はどうしても厚みを伴うから、それをすべてなくす方向で現在の小型PCは成り立っているのである。


 そんな中で、それまでPCの主要記憶装置だったHDDに代わってSDDが生まれ、いまではSDD主体のPCが主流になりつつある。MのようにデカイデスクトップPCを重宝しているような輩はだいぶ減っている。ゲーミングPCはその性能重視の観点からデスクトップのデカイものがいまでも主流だが、メインの記憶装置はもはやHDDではない。転送速度がHDDよりも数段速いSSDに取って代わられている。つまり、大容量のデータを速く読み書きできる記憶装置こそが、いまのPCの主要部分なのだ。となると、これまで外付けHDDを使っていた人も、外付けであってもSSDの方が便利になる。なにしろ、速度が速い。いくつものゲームソフトをため込んだSSDを持ち歩ければ、渡り歩く先で同じ仕事、同じゲームを構築することも簡単だ・・・ という流れで、SDDの小型化が進んできたということだ。
 そしてこれこそがキモなのだが、SSDは、USBメモリーと根本的に違っていて、リムーバブルディスクの扱いではない。ローカルディスクとして認識されている。つまり、PCでマイコンピューターを開いたときに現れるメインディスクの仲間で、いわばPC本体の主要装置扱いなのだ。だから、パーティションを区切ることも出来るしダイナミックディスクに変換することも出来るなど、PCを動かす側の装置としての機能を備えている。だから、場合によっては、USBコネクタに差し込んだスティック型SSDでPCを駆動することも簡単にできる。言い換えるならば、スティック型SSDはデータ持ち運びのツールというより、PCの主要臓器にもなる記憶装置、ということなのだ。
 単なるデータ持ち運びツールか、あるいは、それに主要記憶装置の意味合いを持たせるか、その使い分けがUSBスティック・メモリーとUSBスティック型SSDの分かれ道だ。

 512Gbクラス、一度試してみようかな、と思っている。

 どんどん小型化が進むPCパーツは、そのうち腕時計のようなPCを生むのだろう。
 眼鏡型スクリーン、Bluetoothイヤホン、手指装着型キーボード、などでウェアラブルPCを操る世界が、もうすぐそこに来ているのかもしれない。
 キアヌリーブス主演のマトリックス士郎正宗さんの攻殻機動隊のような電脳空間SFモノは想像上の世界だが、こっちは本物のように思う。