理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

ChatGPTは 天使? 悪魔?

Mです。

 おさわがせ超資産家マスク氏が「開発を半年止めろ!」と発言するなど、驚異的な浸透をみせているオリジナル・テキスト作製AIツールChatGPTが、AIと人間の今後に波紋を広げている。

   

   ところで、開発を半年止めることにどんな意味があるのか?
 その間に人間社会を侵食しない仕組みを作れるはずもなく、一度野に放たれてしまったネズミを完全駆除することなど出来ないと思う。いつか起こるはずだったAIと人間の共存危機が、無料のアプリで幕を開けた現実は、むしろデジタルネイティブの年齢層にこそ闇をもたらす可能性が高いと想像している。
 そもそも、止めろと言っているマスク氏自身がChatGPT開発を行っているOpenAI社の設立に出資したわけで、今更になってちょっと待った、と言うのは、開発の先に何が起こってくるかを想像していなかったことになり、恥ずべきことだと感じる。そんな彼に、「待った」発言をさせるほどに、あまりに簡単にいろいろな応用が利いてしまう無料アプリChatGPTの広がりはすさまじい、ということなのかもしれない。

 このアプリについては、下記の解説がなかなかうまくまとめてくれているので、一見の価値がある。

    https://www.gizmodo.jp/2023/01/chat-gpt-openai-ai-finance-ai-everything-we-know.html

 高度の文章作成を行う分野の人ほど、このアプリの被害を受ける可能性が高い、という分析も、なかなかゾッとするものがある。たとえば、取説文書、行政文書などは当然のこと、文学作品でさえ条件設定すればそれなりのオリジナル作品ができあがってしまうだろうから、それを土台にズブの素人がいっぱしの小説をネット配信、なんてことも簡単にできてしまうはずだ。それをネタに、グループを作って応援配信を種々の形で行い、評判をあおってフォロワーを増やして有料アイテムの供給者に育てて行ってしまう。そんなことも想像できる。

 そんな流れが進んでいったとき、ネット情報は果たしてどうなっているだろうか、と想像してみる。
 現状でさえ、モノの価値を一般ユーザーの評価ということで積み上げて行く手法が多い。実際はたいしたものでもないのに、超売れ筋であるかのように作り上げてしまうのは容易だ。TVショッピング、新聞広告も含め、どこを見ても、小さく個人的意見ですと言い訳しながら、とても良い商品でもう手放せません・・・的な褒め言葉をまき散らしては期間限定でお届け、などと消費者の購買欲をかき立てる手法はごく当たり前。そこにChatGPTの手助けが加わるとなると・・・ たぶん、ネット上の情報は、ほとんどAI頼みの”だまし”になってしまう気がする。

 これは困った! となるのかな?
 
 よく考えてみれば、そうなったところで、今とそれほど差は無いという気もしてくる。 結局は、見る側、読む側が、どこまで本筋を見極められるかにかかっているわけで、表面的な部分で引きつけられてしまう人は、ChatGPT時代になろうがそれほど変化はないようにも思うのだ。
 要は、目に見える情報をどこまで信じるのか、どうやれば信じられるのかを判断するための個人スキルを磨くしかない、ということだと思う。とはいえ、みんながそれを出来るわけではない。

 ならばどうする?

 ChatGPTが先行するAI社会には、情報の信憑性を精査するためのツールが必要になるのだと思う。それがアプリなのかそれとも人が行う組織なのかは判らない。というより、どちらも必要だと感じる。スマホ常駐のウソ発見アプリ、それを開発提供するとともに実際に深い探索を請け負う調査組織、そんなAI情報ガーディアンズがビジネスとしても成り立つのではないかと感じる。

 それにしても、これから先のビジネスはものすごく大変になると思う。相手の本質を見極めるための情報自体が、相手の思惑で作られた高度なAI作品だという可能性もある。それも前提にして見ていかないと、大木だと思っていたのがじつは空洞のハリボテだった、なんてこともあるだろう。
 コロナ禍で敬遠されるのが習わしになってしまった”対面”折衝が、あらためて見直されていくように思う。

 とにもかくにも、世の中にあふれる情報は、ほとんどウソだと思うくらいに割り切ることが大切だろう。それを、子供たちにどうやって教えていくか、それが一番の課題だと思っている。