Mです。
マッチといっても、最近ちょっと話題にのぼっていた近藤真彦クンではない。近頃ほとんど見かけなくなってしまった、点火ツールのマッチ棒のこと。
先週半ば、打ち合わせで錦糸町付近に出向いた。
JR錦糸町駅南口を出て、京葉道路を両国方面に歩いた。江戸の地図では横川という南北に流れる川があったが、今は埋め立てられていて大横川親水公園という親水緑地帯になっていて、北のスカイツリーまで続いている。その元横川を渡る格好の江東橋を歩いている時、歩道と車道の境目にある鎖を渡した柱の形に目が行った。 あれっ? なんだ、これ?と思ってよく見ると、四角い柱のてっぺんがちょっと伸びた丸頭になっている。・・・あっ、マッチじゃん! なんと、焦げ茶色の柱は、懐かしいマッチ棒だったのだ。
打ち合わせ先についてその話をすると、ああ、あの辺りが日本最初のマッチ工場だったんだそうですよ、と教わった。確か、近くの両国高校のフェンスの内側に石碑もありましたよ、と聞いた。
そこまで聞かされては、その記念碑も見ないわけにいかない。
小一時間の打ち合わせを終え、両国方面に戻ろうとしていたところを変更して、もう一度錦糸町駅まで引き返すことにした。
江東橋で、もう一度マッチ型の柱を観察した。
なるほど、どう見てもマッチだ。いちばん東側の一本は、まるで一度擦ったかのように頭の色がはげ落ちている。何か固い大きな物がぶつかったのだろうが、痛々しいよりもおかしみがあって笑った。
信号を渡るとすぐに南側が両国高校で、歩道沿いの薄暗いフェンスのなかに、聞いていた記念碑があった。マッチ発祥の地、とある。
へぇ~、東京っていうのはこういう細かな文明の利器の加工場でもあったんだなぁ、と妙な感心をしながらガラケーでパチリ。
東京駅のすぐ近くに平将門の首塚があったり、両国駅近くには吉良上野介が頸を刈られた屋敷跡があったりと、東京というのはやはり面白いところだ、と再認識させられた。
時代小説で知るいろいろな地名や名所が、ビル群の隙間にあったり、下町小家屋の群れの中にひっそりと隠れん坊している。それを見つける楽しみは、なかなかのものだ。
でも、探して見つけるのではなくて、今回のように何の気なしに出会ってしまうのは、もっと面白い。
チャリで走り回る速度をちょっと落として、こんな出会いが増える工夫もしてみようと思った。