薬剤師Y子です。
わが家には14年間ほど、愛犬がいました。イニシャルはL。今は30代になった息子たちが確か4歳と2歳の時、当時の私たち一家4人が住んでいた狭い借家の庭に迷い込んで来て、隅に植えられていたツツジの木の根元に座り、疲れきった様子で体を休めていました。
- 首輪をしてない雑種犬が、庭の隅に!
- ぐったり座り込んで、たまに上目遣いで私を見てる!
- もしかして、捨て犬?
- あ、目が合った! 可愛い!
そう気づいた日の私は、ずっと家にいたのですが色々と忙しく「すご~く気になって、なぜかドキドキして、とてもソワソワして、ツツジの根元を頻繁にチェックしていたはずなのに、いつの間にか犬の姿が消えていた」ことに心底ガッカリしました。
そして「もう会えないかも知れない。仕方ない。諦めよう」と自分に言い聞かせ、保育所から帰った息子たちにも仕事から帰った夫にも、初対面の可愛い犬のことを話しませんでした。
ところが翌日のこと。また同じ場所に同じ犬が座って、前日と同じように気弱な視線を私に向けているではありませんか。
「昨日より弱っているような気がする。もう、うちで飼うしかない!」と思い定めた私が「お腹すいてるよね? 牛乳のむ?」と声をかけた、それが、この物語の始まりです。
その夜、夫M、長男C、次男Jと話し合って、満場一致でLの名前が決まりました。
犬小屋は夫Mの手づくり。「オスなのに、しゃがんでオシッコしてる。だから2歳のJよりも年下だ!」と夫が宣言し、月日が経って3代目か4代目のM特製犬小屋の中で天寿を全うするまで、雨の日も風の日も、Lは私たちと一緒にいてくれました。「推定享年」は、15歳ぐらいです。
愛犬Lが私たち家族の一員になった後で、近所の何人もの人たちから「その犬、この辺り一帯を何日間もフラフラ歩き回っていたんだよ。でも近づくと逃げたり吠えたりして、誰も手を出せなくてさあ。そのくせ、またフラフラ来るから迷惑がられて。そっか~、お宅で飼うことにしたんだ~。よく懐いたねえ。飼い主が決まって本当に良かったよ~」というような声をかけられました。
イヌとヒトが一緒に暮らす時、多くの場合は人間が犬を選び、犬は飼い主を選べないと思うのですが、Lは自分の意志で「わが家」を選びました。
そして、オスなのに「片足あげてオシッコ」をすることが出来ない若輩者の時期から、どんどん成長して次男Jを、次に長男Cを追い抜いて逞しい「オトナのオトコ」になり、やがて、よせばいいのに私たち夫婦まで追い越し、老いて弱って死ぬところまでを、家族4人に包み隠さず見せてくれました。
私たち4人、特に子供だった息子たちは愛犬Lから、言葉では表現しきれないほど多くのものを与えてもらいました。何があってもLは味方ですし、打ち明け話を決して口外しません。その上、ちょっとオバカでドジで、よく笑わせてくれました。
長男Cは小学校高学年から高校2年ぐらいまで、学校から帰ると真っ直ぐLの犬小屋に向かい、しばらくLにだけ何かを話してから「ただいま!」と家のドアを開けていました。
愛犬Lが他界したのは、その長男Cが第一志望の大学に合格し実家を出てから季節が巡り、たまたま帰省していた冬の日でした。
Cの帰省によって久しぶりに家族が全員そろったので、皆が好きだった店で外食し「Lへの土産」を手に帰宅して犬小屋を覗いたら、出かける時には尻尾を振って送り出してくれた老犬Lが、もう全く動かなくなっていました。
命日は2月22日。なぜ日付まで正確に覚えているかというと、その日が「にゃんにゃんにゃん、ネコの日」だからです。
もうLったら、命日まで可笑しいんだから。笑い過ぎて、涙が出ます。
「千の風になって」という曲を秋川雅史さんの声で初めて聴いた時から、私は朝の鳥の声や秋の光の中に、Lの存在を感じるようになりました。
そんな愛犬Lの物語、出会いから別れまでを、これから少しずつ書いていきます。