理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

久々の襲来 帯状疱疹からの脱出

Mです。

 自分ではいつのことだか忘れてしまっている幼少期、身体じゅうに紫色のチンキを塗られたことを、今でもはっきりと覚えている。大人たちが紫チンキと呼んでいたそれは、水疱瘡の発疹につけて痒みをおさえ、掻きむしってしまわないようにする塗り薬だった。その後とんとお目にかかっていない薬で、もう存在しないのかも知れない。今なら、やはり抗ウイルス剤入りの軟膏の出番だろう。

 その原因ウイルスVaricella-Zoster Virus(ヘルペスウイルスの一種)は、いちど水疱瘡というかたちで感染症状を現すと、その病状が治まっても完全に駆逐されることなく、脊髄神経節などに棲みついて休眠状態で隠れている。それが、何年、何十年も経った頃、宿主であるヒトが体力低下(免疫系の活性および機能の低下)を起こすと、思い出したように眠りから覚めて少しだけ暴れ出す。滅多に重篤な症状に陥ることはないが、とても不快な症状を起こして、数週間のあいだ宿主を悩ます。これが、帯状疱疹だ。

 Mは、30年ほど前に左胸部背面に発症した。下着が触れるのも痛みに繋がる状態で、精神的にしんどかった。快癒までは2週間かからなかった。発疹が出始めたときに帯状疱疹であると判断できたので、クリニックに行くでもなく薬を使うでもなく、自らの免疫系に頑張ってもらって2週間足らずで治まった。仕事場の人たちには話していないので、誰も知らないままだった。

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  (オムロンヘルスケア さんから拝借)

 その後、20年ほど前に左肩後ろに2度目の発症があった。前の場所から脊椎骨で3個ほど上がった位置で、VZVのヤツら、頭部を目指しているのか?と思った。そんな目的はあるはずもないが、とにかく、棲みつく神経節が変わったことだけは確かだった。 2回目は、皮膚感覚が鋭敏になってなんかオカシイと感じたとき、帯状疱疹かな、とは推測していた。数日その状態が続き、ビリビリと強く痛み出すと、それから1日経ったくらいで見事な赤い斑点がボツボツと現れた。発疹発現から5日ほど痛みに悩まされ、その後、快方に向かった。このときも症状が消えるまでは、およそ2週間だった。モノの本には、発症から2~3週間とあるが、「いつから」というポイントがつかみにくい疾患なので、普通は確定してから2週間以内に快癒する、という感じの病気だ。

 幸いにして、2回とも神経痛が残るなどの後遺症もなく、スッキリと快癒した。

 そしてこの年明け、そいつは、左側頭部に現れた。

 1月5日の日曜日、PC作業していたら左耳の後ろから後頭部中央付近にかけての領域に、チクチクした感覚が生じた。触ってみると、右側に比べて皮膚が少し厚くなったような弾力を感じた。左側頭皮にだけ、表面に薄いゴムを被せたようなちょっと抵抗感のある感触で、指先に触れる毛髪の基部が痺れる。ついぞ忘れていたこの感覚。うわっ!これ、帯状疱疹じゃないの!? と思い、経過観察することに。
 違和感は徐々に増していき、6日になると、ゴム化した皮膚部域→首筋→左背胸部へと連なる” ひとすじ ” のズキズキ痛が短時間発生しては治まる、ということを繰り返し始めた。その痛みはレベルが少しずつ上がっていき、同日夜には鎮痛剤を使わなくてはならないレベルに達した。鎮痛剤には、自分に一番合っているものとしてエキセドリン錠を使い続けていて、それを飲むと痛みは軽減する。が、無くなることはない。痛みの度合いが増していくし、頭なので何をやっても集中できない。仕方なくエキセドリンを飲む間隔が短くなっていき、7日になると6時間置きに飲む始末。本来、一回2錠、一日2回が用法。8日にはさらに痛みの度合いと頻度が増して2錠飲んでも4時間くらいしか保たなくなってしまった。

 そんな様子を観察していたY子は、薬剤師としてそのまま放置できないと判断し、帯状疱疹に対する効果的な投薬方法を探ってくれて、それを試すことになった。

 帯状疱疹にはアセトアミノフェンの単剤投与の方が効くらしい、ということでタイレノールを購入して試してみた。しかし、残念ながらMにはあまり効果が無く、結局はエキセドリン一本で、Y子の管理下、投与量を注意しながら飲み続けることになった。

 こう書くと、その間は何も出来なかっただろうに、などと同情されるかも知れないが、実はそんなことはなく、痛いけれども原因は解っているので本人はいたって安穏。痛みさえ我慢すればなんということはない。ニット地のネックカバーという名称で売られていたものを見つけて、それを左側頭部から後頭部を保温するように被っていると、だいぶ痛みが薄らぐので、そのまま仕事していた。

 この症状のさなか、孫むすめをジジババで一日預かる予定が入っていて、11日がその日だった。エキセドリンを4時間毎に服用している時期で、この予定も、ちゃんと乗り切ったのである。面白いもので、肩馬が好きな孫を載せていると、痛いところが全て覆われてしまうのですこぶる調子がよい。痛みが起こりにくいのである。かといってずっと肩馬しているわけにも行かないから、滑り台で遊んだり丸太渡りをしたりと色々なことをして一日を過ごした。

 その日の夕方にはさすがに痛みの頻度が上がり、かなりしんどかった。身体的疲労で、免疫系がウイルスに押されていたのだろう。

 結局、今回の帯状疱疹は、発疹がほんの数個出たかな?くらいでそれ以上進むことはなく、痛みが徐々に引いていって17日にほぼ治まった。オカシイな、と気付いてから13日。ほぼ2週間の戦いだった。

 実は今回、帯状疱疹かな、と気付いたとき、アシクロビルという抗ウイルス薬を通販で買うかどうか迷った。

 この薬は、抗ヘルペス薬として20年以上使われ続けている信頼できる薬で、クリニックに行けば帯状疱疹と確定された段階で処方してもらうことが出来る。帯状疱疹向けの軟膏は市販されているが、内服薬は処方薬なので、医師の判断が前提である。しかし、確定判断は発疹を確認してからなので、帯状疱疹が出てからクリニックに行った患者のことを考えると、ウイルスの増殖阻止というこの薬本来の目的からすると、既に後れを取っている。医師の診断を受けるまでに、ウイルスは充分に増えていて、そのせいで発疹が出来ているのだから、本質的にはもっと早くに投薬すべきなのだ。けれども、医師の診断には発疹の発現確認が欠かせない。なぜなら、発疹が出ていない段階では、他の原因がいくつも考えられるわけで、安易にアシクロビルを処方するわけにはいかないのだ。採血して抗ヘルペス抗体価を測るということも手段としてはあるだろうが、殆どのヒトは抗ヘルペス抗体を持っているし、その濃度は疾患にかかっていなくても高めになっていることは考えられる。感染状態はざらにあるのだから、抗体陽性だからアシクロビル処方、とはいかないのである。

 というようなことを思いながら、左側頭部がチリチリしてきた段階で、ネット通販を探してアシクロビルを買ってしまおうか、と考えたのである。

 が、結局はやめにした。

 これまでに2回経験していて、痛いだけでそれ以上のことは起こらないことを知っているし、もし重篤な症状に繋がる兆候が出たら、その時は、よりしっかりした対応をしなくてはいけないことも知っている。しかも、現実的な問題としてネット販売している米国製の製剤が結構高いのだ。もちろん保険が利かない実費である。

 疱疹が出てから飲み始めたとして、1錠あたり150円程度のものを、一回4錠で一日6回、それを1週間続ける、というのが一般的な用法。つまり、1日あたり3600円を7日である。そんなことをするなら、我慢してクリニックに行った方が安上がりだ。とはいえ、クリニックに行くには発疹が出てからでないと処方箋が出ないかも知れない、というのも現実だ。

 要するに、自分で帯状疱疹であると確信しているMとしては、痛みを我慢できるかどうか、だけが判断基準だったのだ。

 アシクロビルの通販サイトの書き込みに、安心のために帯状疱疹に備えて買っておいて良かった、というコメントがあった。

 う~~む! 備えあれば憂いなし、というような頻度で帯状疱疹になる人がいるのだろうか? だとしたら、そんな頻度で発症する要因の方が問題なのではないか。

 Mの人生3回目の帯状疱疹騒ぎは、結局、出たか出ないか程度の疱疹で終幕となった。

 ところで、今回の発症場所は、20年前の場所から更に上に移ってついに頭部に達していた。ヤツら、やはり上昇志向だったのだ。Mが生きているかどうかの方が問題だが、次回はどこに現れるのだろう。

 それにしても、今回、発疹が殆ど出ないで完治したのは、孫のおかげかも知れない。肩の上で首周りを暖めてくれていた孫むすめのおかげで、じいさまの免疫系がガンバッタ結果なのではないか、と思っている。(ジジバカ!)

 孫は偉大である。