理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

抗オミクロン カクテル療法断念の報 だけど・・・

Mです。

 26日の朝日新聞に、トランプさんが「使えるコロナ治療薬」として発言し、事実それなりの効果をもたらす結果も得られながら、日本国内ではほとんど注目されなかった抗体カクテル療法について、今回のオミクロン株に対する治療法として推奨しないと決定した、という記事があった。ちゃんと探さなければ見つからない程度の小さな欄で、朝日新聞社としても「効かないのだからニュース価値は低い」と感じる扱いだった。その他報道機関の報じ方も似たり寄ったりだったと、ネットサーフして知った。
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 ↓12/26 朝日朝刊より転載
  厚生労働省は、新型コロナウイルスの治療薬として承認されている抗体カクテル療法の「ロナプリーブ」について、変異ウイルス「オミクロン株」の感染者への使用を推奨しないとする通知を都道府県などに出した。有効性が弱まるおそれがあるためで、専門家による部会で審議して決めた。
 ロナプリーブを開発した米リジェネロン社による実験で、オミクロン株に対して感染を防ぐ力が大きく低下すると示されていた。11月末時点で全国でロナプリーブを使用された人は、約3万7千人。
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 感染者の重症化を防ぐ手段として、人工的に作った抗コロナ抗体(モノクローナル抗体)を複数種混ぜてクスリにしたものが今回報じられたロナプリーブ。そしてこれは、つい最近、中外製薬が承認されたと声高に発表していたものだ。

中外製薬;抗体カクテル療法「ロナプリーブ」、新型コロナウイルス感染症の発症抑制薬として適応追加の承認を取得(2021.11.5)
https://www.chugai-pharm.co.jp/news/detail/20211105160000_1161.html

 デルタ株までの新型コロナウイルスに対して、発症防止あるいは重症化抑止効果があると認められていたもので、せっかく承認にこぎ着けたと思ったら、オミクロン株には効かない、と断じられてしまった格好。なんとも寂しい顛末だ。

 その一方で、中国では、独自の抗体カクテルを作ったぞ、とつい最近発表しているように、この療法自体は決して軽視されるようなものではなく、論理的に正しい手法であることも間違いない。

中国独自のコロナ「抗体カクテル療法」を初承認(2021.12.21)
 https://toyokeizai.net/articles/-/476776
  
 抗ウイルス抗体の多くは、病気を起こすウイルス表面に直接くっつくことでウイルスが細胞にひっつく邪魔をする、という実に単純で直接的な防御方法である。ウイルスは、細胞に入り込めない限り何の害も成せない。まずは細胞表面にくっついて細胞膜に自分の膜を融合させ、遺伝物質(コロナウイルスの場合はRNA)をヒトの細胞の中に送り込む。だから、この細胞膜の融合を邪魔してしまえば、ウイルスの中身はヒトの細胞に入り込めず、結果として感染が成り立たない、ということなのだ。

 現在大問題になっている新型コロナウイルスだが、以前から風邪のウイルスとしてごく普通にとらえられていたウイルスの変種だということも、今一度確認しておく必要がある。下の表は、感染症研究所の解説文にあったコロナウイルスの比較表で、コロナウイルスの仲間が最近その姿を変えては、新たな病気として注目されてきた流れがよくわかる。

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↓ 出典
NIID国立感染症研究所コロナウイルスとは
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/9303-coronavirus.html

 表からも判るように、厄介な症状をもたらして脅威になっているコロナウイルスの仲間として、しばらく前に話題となったSARSとMERSがある。MERSはまだ終息していないかも知れない状況で、2年前から新たなCOVID-19が現れたのだ。そして、そのウイルスの変身の度合いが一気に進んでオミクロン株が現れた、という流れなのだ。
 
 このように考えると、単一のウイルス表面タンパク質(スパイクタンパク質)にだけ反応する単クローン抗体を複数種ミックスして使おうという「抗体ミックス」製剤は、変身していく敵ウイルスのスパイクタンパク質変化が少ないうちは効果があるが、変化が大きくなったり全く違う形になってしまったら抗体として作用しなくなる、というのは当たり前のこと。だから、デルタ型までは変化が小さかったので効果が認められていたものの、大きく姿形を変えてしまったオミクロン株に対しては、抗体の結合性が低くなってしまったために重症化抑制効果が出なくなってしまった。結果として、オミクロン株に対しては使用を推奨できない・・・、となってしまったのである。
 
 ならば、もう「抗体ミックス療法」という手法は意味がないのだろうか?
 実は、そんなことはないのである。中国が新たな抗体カクテルを開発、といっているのも、意味があると考えている証である。

 抗体ミックス、という用語が示しているのは、複数、あるいは、いくつもの種類の反応性を持った抗体を混ぜてある、という意味だ。ところが、いま話題になっているミックス抗体製剤は、人為的に作った単一反応性のモノクローナル抗体を数種混ぜただけのもの。つまり、特定の相手にだけ反応する抗体をいくつか混合することで、結合する相手であるスパイクタンパク質が少し変化してもくっついてくれるだろう、という予測のもとに使われている。ただし、当然のことながら、混ぜた抗体の反応性の数だけしか”見えない”。
これが人為作成抗体ミックスの弱点といえる。

 一方、我々の体の中で起こる免疫反応によって作られる血中抗体は、相手(ウイルスの表面構造)のどこに反応するかはランダムだ。さらに、ヒトの個体ごとに抗体の作られ方にも個体差があるから、同じ相手に対して作られていても抗体の種類と量は様々となる。同じコロナウイルスが体に入ったとしても、AさんとBさんでは、作られてくる抗体の種類も量も違うのである。もちろん、反応性が共通する抗体もある一方で、共通しない抗体も存在するはずなのだ。
 とすれば、そんな多種類の抗体を混ぜた方がより効率的だ、と考えるのは当然のことだ。
 これぞ、本来の「ミックス抗体療法」だと思うのである。

 このことについて、以前、独自の献血制度を確立している日本なら、これが可能なはずだ、と書いた。

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 新型コロナ感染症から回復した患者さんたちから血液を提供してもらい、上述の多種類の抗体を含んでいる血漿成分を集め、滅菌消毒操作を行ってクスリにする。その技術と施設を持った日本赤十字社なら出来るはずなのだ。
 
 このような、コロナ感染症から回復した患者さんたちからの血液を使った抗コロナ治療については、細々ながら国内でも試みられてきている。一部の医師たちが発案して動かしている例もあるのだ。

朝日新聞アピタル;コロナ治療に回復患者の血液成分 ルーツは北里柴三郎(2020.5.31)
https://www.asahi.com/articles/ASN5Y5TH6N5WPLZU004.html

Yahoo!JAPAN;新型コロナから回復した人の血液で「治療薬」開発するプロジェクト 感染を経験したアナウンサーも研究に参加できる? (2021.10.8)

 伝え聞いたところでは、コロナ報道でもしばしばTV画面に登場している医師も、この試みを進めているとのことだ。ただ、国の機関が協力することはなく、民間企業の協力を得ているものの、その量はまだわずかにとどまっていて事実上ストップしているという。

 医師が個人的に試みられるのは、あくまでもその医師の責任範囲内のことで、患者さんとの合意の下で行われる個別治療である。だから、それを大々的に公表出来るとは思えない。おおっぴらにしたら、医師個人が責任を負える範囲をあっという間に超えてしまうからだ。
 病院などの組織レベルでも限局されてしまうのだから、世間に「回復患者由来抗体カクテル療法」として広めるまでには行けないのである。

 効果はあるのが判っていながら踏み出せない、というのは、何とも悔しい限りだと感じる。幸いにして、大騒ぎにはなっているものの、オミクロン株の毒性は低い可能性が高く、重症化率が低いまま推移している。もしかすると、COVID-19は、こののちごく普通の風邪ウイルスに落ち着く可能性もある。また、そうなって欲しいものだ。

 とはいえ、いつまた強毒性の変異株が現れないとも限らない。
 メルク社の飲むコロナ薬が話題になっているが、マイナーとはいえ、直接的にウイルス本体をがんじがらめにして感染できなくしてしまう方法があるのだから、抗体療法を軽んじることなく、出来る対策はとっておくのが国の姿勢ではないかと思う。
 そのためにも、国有組織の色合いもある日本赤十字社には、いまからでも是非一肌脱いでもらいたいと思う。
 たぶん、ワクチン屋さんに支払っている金額を遙かに下回る額で、安全な専用治療薬の開発が出来るのではないかと予想するのだが、どうだろうか。

アイドリングストップ 一般道走行時の40%以上は停車してるんだっ!

 Mです。

 昨日、仕事で浅草付近から埼玉県春日部市まで往復した。ほとんどの行程が国道4号線。通り慣れた道で、交通の滞りもいつもと同じ。片道およそ40Kmを、目的地までの下り方向は85分、帰りの上り方向は65分で走った。
  先週から、自分の車がトラブルで整備工場入りしているので、軽のレンタカーを借りて動きまわっている。車種はNISSANのDAYSで、ちっちゃい。ODOメーターを見ると、軽としてはもうご老体だろう、と思える7.5万Kmを指している。借りている期間中にThe Endにならないことを祈るばかり。

 Mは、洒落た機能の付いているクルマに乗ったことが無いので未経験だったことが、このクルマで経験できた。自動のアイドリングストップ機能が装備されていたからだ。

 これまでも同装置が付いた代車を使ったことはあるが、いつもOFFにしていたので使用経験が無かった。交差点で止まるたびにエンジンを切るのは、燃料消費は確かに減らせるだろうがバッテリーの消耗が進むので、代車でバッテリー上がりになるのはイヤだ、ということから使わないでいた。なにしろ、都内の運行では、しょっちゅうエンジンが止まってしまうからだ。
 今回のクルマでも、その条件は同じだが、昨日は幹線道路だし渋滞の状況もひどくないことを経験的に知っていたので、停まるのは信号待ちだけだろう、という予想で「アイドリングストップ機能」を試してみたのである。

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 その結果、予想以上の累積ストップ時間にビックリ。行程あたりのアイドリングストップ時間が累積計測されているので、それを面白おかしく観察しながら走ったのだが、なんと、行きの85分中41分(約48%)、帰りの65分中28分(約43%)が停車時間と出たのだ! 信号待ちは1/4くらいの時間かな、なんて思っていたのだが、そんなもんじゃなかった。予想の倍近く停車していたと判ったのだった。

 幹線道路の交通でこれだけ多いのだから、都内走行の場合は、半分以上の時間止まっているのではないかと感じた。しかも、信号が青でも動けないことがままある。トロトロ動いているときも走っていないのと変わらない、と考えると、ちゃんと走っている時間の2倍くらい「ほぼ停止状態」にいるのかもしれない。

 この事実を見せつけられると、クルマでの移動はまさに無駄の積み重ねなのだとわかる。
 ドック入りしている我が家のハイエースには、アイドリングストップ機構は付いていない。これからは、長い信号待ちがわかっているときくらいはエンジンオフしよう、と考えている。

 ところで、クルマ社会は無駄ばかりと判ってしまったものの、現実を思えば、公共交通機関を使って大荷物を持ち歩くことは出来ないわけで、走っているクルマがみんなで無駄をしているとは言えない。
 トラック輸送が事実上のメインになっている社会状況は変えようが無い。コロナ禍で在宅ワークが定着したため、その輸送手段はさらに重宝がられ、家で仕事、買い物はネット宅配、移動は個室で安全なタクシー、・・・で、生活の多くの部分がクルマに頼った社会構造になってしまっているのだ。

 エコ推進≒CO2削減の世界的な掛け声の下、エンジン車を廃して電気自動車化を推し進めてはいるけれど、その多くは自家用車クラスの話である。世の中の物流はほとんど大型車両の運行に頼っている。大量幹線輸送は鉄道や船で行ったとしても、最終目的地に移動させる部分はトラック輸送に頼らざるを得ない。そう考えると、総走行時間の半分近くを占める停車状態の間、エンジンを停めてしまうという発想はとても重要なことだとわかった。とはいえ、ガソリン車と根本が違うディーゼルエンジン主体の大型トラックでアイドリングストップを採用するのは、実用面でハードルが高い。       

 市中を走り回る宅配のトラッククラスなら、エンジンが小さく排ガス浄化装置も単純でなので、アイドリングストップ機能を付けたクルマは既に多く出回っている。しかし一方、幹線輸送に使われている積載量10tクラス以上のトラックは、ドイツで開発され世界中で使われている尿素を用いた排ガス浄化システムを搭載していて、このシステムは頻繁にエンジンストップをするとトラブルの元になる。また、エンジン始動に大電力を使う大型ディーゼルエンジンは、それでなくてもバッテリー負荷が大きく、アイドリングストップ機構は、搭載しているバッテリーへの負荷が厳しすぎるのだ。

 電気自動車化を進める流れは変えようがない。ただ、世の中の幹線物流を支えているトラック輸送を考えるとき、現状のディーゼルエンジンを廃止するのは現実離れした発想だと思う。そうではなくて、軽油燃料に頼ってきたディーゼルを、より排ガスがクリーンな液化天然ガスや濃縮天然ガスで動かす方向に変えて、排ガス処理装置の簡略化が大型車両でも取り入れられるようにし、バッテリー強化でアイドリングストップを使えるようにする努力は必要だろうと思う。

 当然、国主導の作業になるのだと想像するが、近いうちにエネルギー産業の大転換が起こるだろう。石油業界、ガス業界、電力業界、の3者が協同で総合エネルギー企業として再編されていくと思うのだ。そうしないと、社会インフラである給油、給ガス、給電システムが、自動車産業の変革に添えなくなってしまう。日本中にどれだけあるのか判らないが、ガソリンスタンドがエナジースタンドに模様代わりして、液体、ガス、電気のどれでも補給できる設備に変わっていくのだと想像するのである。
 そんな社会が、もうすぐそこに見えている気がする。

ハードディスクの健康診断

Mです。
 仕事で使っているデスクトップの1台が、システムエラーを起こして立ち上がらなくなった。デスクトップを常に2台並列させていて、現在メインに使っているのはIntelXeonマシン。
 去年の末までメインだったIntel core i7マシンが、夏の盛りにメモリースロットのトラブルを起こした。12Gb載せている物理メモリーのうち4Gb分(2Gb×2枚)が見えなくなってしまったのだ。マザーボードの基板に亀裂が入ったのかも知れない。それでも、動作上は特に問題は無いので、そのときサブだったAMD製CPU PhenomⅡマシンの中身を除けてXeonマシンに作り替え、メインに昇格させた。メモリースロットのトラブルを抱えたcore i7マシンが、サブに降格となっていたのである。
  何でわざわざデスクトップを2台も動かしているのかと言えば、仕事で使っているデータをはじめ、通信記録などを含めてすべての情報をダブルで保管していくためだ。
 ハードディスクを複数台パラレルに繋いでデータの同時並列運用を行うシステム(RAIDシステム)があるが、同一規格のハードディスクを複数台載せてマシンを動かすのは、コストがかかる割にメリットが少ないと思っている。たとえば、並列して3台のハードディスクを載せていても、実質的には1台分を3つ並べているだけで、結局は1台分のデータしか入っていない。2台はあくまでも予備であり、クローンである。ハードディスクは、確かに突然壊れる。だから予備がある方が良い。とはいえ、一つのマシン内に複数コピーを置くのなら、別のマシンに同じ情報を常に並列して蓄えていくという方法でも良い。しかも、マシンとして壊れることもあるのだから、1台より2台の方が安心だ、と思っている。たしかに、データを必ず両方に共有させておく手間はかかるが、データが壊れていないか確認しながら共有作業を施す程度のことは、安心のための一手間だと思っている。

 そんな方法で2台を並列使用していたが、月曜の朝立ち上げようとしたら、そのサブがBios画面でハードディスクにエラーがあるとコメントして止まってしまっていた。Biosに入ってどのハードディスクのエラーなのか探ってみると、なんとシステムの入ったハードディスクだった。
 これを見て、正直、やっちまったな、と思った。
 実はこのcore i7マシンを組むとき、システムをインストールするハードディスクをどれにしようかと考えて、容量的には問題ないからと、以前Win7マシンでシステムに使っていたハードディスクを再フォーマットして使ったのだった。320Gbモノで、製造年は2012年の東芝製。東芝製は定評があるので、日立製、WesternDigital製とともに愛用している。とはいえ、既にその当時で6年モノだったし、しかもシステム用に使っていたものだから、常にリードライトを繰り返していたディスクである。同じ年数でも、データを読み出しては書き戻すくらいの動作しかしないデータ用ハードディクスに比べれば、格段に仕事している。当然、発熱も多くて熱劣化が進んでいたはずだ。 
 それなのに、また、システム用に使ってしまったのである。

 今更ながら、とは思いつつ、そのハードディスクを取り出して、外付けマウントに入れて調べてみると、外見上はすべてのファイルが揃っていて、読み取り出来ない、という状況ではなかった。ディスクエラーチェックをしてみてもエラーはない。しかし、マシンに戻して動かそうとすると、やはりディスクエラーが出てSMART情報に異常があると表示される。要するに、データフォルダーはすべて揃っているが、ディスクとして起動するための設定情報の領域にエラーが発生していて先に進めない、ということらしい。
 となると、新しいハードディスクを用意してもう一度最初からインストールをやり直すか、正常な同規格のハードディスクにクローンコピーしてみるか、の2択だろう。
 一から作り直すのはしんどい。最終的にそうなったら仕方ないが、とりあえずは、土日にクローンコピーで上手くいくかどうかを試してみることにしている。

 こんないきさつの中で、ひょんなことから面白いソフトを見つけた。
 ハードディスクの現状診断を簡単に行ってくれるCrystal Disk Infoなる無料ソフトを見つけたのである。

 ◆ダウンロード等はこちら → https://crystalmark.info/ja/software/crystaldiskinfo/

 このソフトは、マシンにインストールしてタスクバーにピン留めしておけば、好きなときに繋いであるハードディスク等の診断を行ってくれる。正常なら青丸。ちょっとエラーが発生していると注意の黄色。問題ありが明らかだと異常の赤色。問題点が何なのかも細目表示してくれるので、ハードディスクの健康診断ツールとして重宝する。
 面白いと思ったのは、ハードディスクの起動回数や累積動作時間も表示してくれるところ。普段は気にしていなかったこれらの情報は、そのディスクをどんな風に使ってきたかの履歴になっているので、ハードディスクの使い回しをする際には、起動回数の少ないモノをシステムに使う、とか、累積動作時間の短いモノを大事なデータ保管に使う、とかいろいろ工夫できそうである。
 とは言っても、表示されている評価項目の中身をどう解釈すれば良いのかがまだ良く飲み込めていないので、さらに調べてみなくてはならない。宿題である。

 秋葉原のジャンク屋さんで中古のハードディスクを買ってくる事が多いから、これからは、買って帰ったらすぐにUSBマウントに繋いで、ディスクの動作履歴を見て使い方を判断するのが良いな、と思っている。なにしろ、購入の際に「こちらは、動作保証のないジャンク品ですが、よろしいですか?」と、毎回ことわりをいれられているMである。
まずは、健康診断してから使おう、と思う。

下は、このソフトで診断した例である。なかなか面白いので、皆様もお試しあれ。

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高速道路情報って、こんなもの?

Mです。

 これまで、さほど気になっていなかった高速道路での道路交通情報の仕組みに、びっくりするほどの不備を経験した。

 11月10日の11時前に、外環道(東京外かく環状道路)外回りを使って、埼玉県三郷市から千葉に向かった。ところが、いつもどおり三郷中央入路の坂を上っていくと、上り詰める前でゲートに車が何台も入れないまま止まっているのが見えてきた。右を見れば、本線のフェンス越しに大型車の屋根が何台も見えていて、それらも停止状態。すでに高速入路に入ってしまっているので、バックするわけにはいかない。あたりまえだが、Uターンして逆走するわけにもいかない。
 いったい何なんだ?と、高速情報ラジオを聞いてみた。流れていたのは情報ラジオ三郷で、まさにどんぴしゃのエリア。ところが、止まってしまっている三郷付近から先の外回りルートの情報が全く入っていない。首都高川口線の渋滞や外環内回りの大泉方面の渋滞などを繰り返すだけで、目の前の状況に対する情報が全く含まれていないのだ。ということは、この停滞状況は発生して間もないもので、まだ情報が放送局まで渡っていないことになる。情報ラジオは5分間隔ほどで内容更新するはずだから待つしかないな、と思いながらジワジワと進んでゲートをくぐり高速本線に入った。
 クルマの流れ具合は、動くには動いているものの、平均すれば自転車がどうにか倒れないで進める程度。時速2Km程度だろうか。後ろを見ると、同じように入路を上ってきてしまったクルマたちが、坂道を埋めてしまっている様子。それを見たクルマは、今頃、高速に入るのをやめてそのまま一般道を進む選択をしただろう。あと10分遅ければ、自分もそうしていたに違いない。今更嘆いても遅いが、何とも悔しい。

 ジワジワと動きながら再び情報ラジオをオン。・・・さっきと同じ内容だ。時刻更新されているのに内容は変わっていない。まだ情報が行っていないのだろうか? いったい、この渋滞がいつ始まったのかもわからない。

 実はこの道路、三郷で入ったクルマは、千葉県の松戸市に入らないと出ることができない。その間はずっと高架で、松戸市内からトンネルになって市川ジャンクションまでモグラである。ということは、松戸の出口より手前に渋滞のネックがあるのなら、そこまでは我慢するしかない。そこから先は走れるはずだから、とにかくジワジワ進むしかないということだ。

 一方、ネックがトンネル内だとすると、松戸で一般道に出てしまうか、それでも我慢でトンネルに入るかを選択しなくてはならない。残念なことに、松戸の出口で一般道に降りてしまうと、慢性渋滞地域があるため、目的の千葉市に行くには2時間かかってしまう。それを考えると、たとえトンネル内に渋滞の原因があるにしても、少しずつでも進むのなら、そのままのルートを選ぶ方が得策なのだ。

 とにかく、ネックが何なのか分からないことには、その判断もできない。とにかく、情報が欲しい!!

 カーナビのVICS情報も見ていたのだが、そちらにも一向に渋滞マークが出てこない。(VICS一般財団法人 道路交通情報通信システムセンター=Vehicle Information and Communication System Center)
 この時点で、三郷中央入口を入ってから30分経過していた。それなのに、情報ラジオもVICS情報も、この渋滞を無視し続けていたのである。

 そんな状況にいらだっている時、後方からサイレンの音。しばらくして、路側帯を道路公団(現NEXCO)の黄色いSUVトロールカーが走って行った。ということは、この渋滞の原因がまだ特定されておらず、それを確認するために公団車両が確認に走ったのだと考えた。警察車両も救急車も走っていかなかったということは、事故ではない。たぶん故障車がいるのだ。なるべく近いところであってほしいと念じつつ、ジワジワ、ジワジワと・・・・

 さらに30分経過。通常ならすでに目的地に到着している時分だが、まだまだ道のりは遠い。なにしろ、普通なら一般道でも15分で10Km先の江戸川を渡ってしまうのに、1時間で数kmしか進んでいないのだ。しかも、何度も内容更新した情報ラジオがまだこの渋滞を報じていない。いったい何なんだ!!

 そうこうしているうちに、ジワジワだった進み方が、腸の蠕動運動のように、数百mだけ時速20kmほどで動いては停まる動きになった。先頭の状況が少し改善したということだろう。この動きを繰り返しているうちに、どうにか江戸川を越え千葉県内に入った。松戸の出口近くになって迷ったが、状況が改善しているようなので一般道に出ずにそのまま進むことを選択。

 この時点で、1時間半経過し、トンネル区間に突入。トンネル入り口の表示板には、「トンネル内渋滞」とだけ表示されていた。原因不明である。

 トンネルに入っても同じような動きで進んでは停まるを繰り返してさらに15分ほど経って、ようやく原因が判明。トンネル内2車線のうち右側に大型トレーラーが止まっていて、公団の大型レッカーが移動準備をしていた。ずいぶん前に横を通っていたSUVトロールカーがその後ろにいて、職員が交通整理で赤色LED棒を振っていた。

 渋滞のネックまでほぼ2時間。ようやく頚木が解かれて自由の身になれた!

 そこから先は何の障害もなく、30分ほどで目的地に到着。途中で遅くなることはあらかじめ伝えてあったので、先方も了解済みだったとはいえ、打ち合わせの約束からは
1時間近くの遅刻だった。ごめんなさい。

 それにしても不可解なのは、あれほどの渋滞を起こしているのに、結局のところ、最後までその情報が表示板、ラジオ、VICSのいずれにも公にされていなかったという事実だ。
 NEXCOのパトロールカーとレッカー車が故障したトレーラーに到達していたのだから、その情報は当然のこと、情報ラジオ局、VICSセンターのどちらにも伝わっていなくてはいけないはずだ。それなのに、2時間もの間、全く情報が現れてこないままだった。あの後、レッカー車が故障車を移動させたとして、やれやれ動いたよ、動いたからまっいいか、で済ませてしまったのだろうか?

 高速道路は、利用者が使用料金を払って時間を買っている。それなのに、渋滞してしまっている状況を公にしないまま、入ってくるクルマに何の情報も与えないのは、悪く言えば詐欺行為に等しいと思う。
 鉄道のように元々事故が起こりにくい設備とは異なるので、渋滞したのが道路のせいだから金を返せ、とはならない。ただし、ほとんど進まない渋滞状況なのにその原因と場所を知らせずに入路閉鎖もしないでいたのは、走れないのを知っていて使用料金だけ徴収していた、ということだ。渋滞の情報がしっかり分かっていれば、高速を使わないことにした人も居れば、途中で一般道に降りたいドライバーもいたはずである。そうなっていなかったことで、渋滞に巻き込まれてしまった人もいただろうと思うのだ。
 
 VICS情報の仕組みはどうなっているのかと疑問になったので調べてみると、実施主体である先記の財団(一般財団法人 道路交通情報通信システムセンター)HPの説明は以下の図だった。

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 つまり、情報の元は、今回の場合、埼玉県警または千葉県警NEXCOということになる。今回、警察は出動していなかったから、NEXCO東日本が情報元だということになる。だとすると、出動したSUVパトカーもレッカー車も、状況報告をVICSセンターに上げていなかったということになる。ならば当然、交通情報ラジオ局にも伝わっていなかったのだろう。
 こんなことが常に行われているはずはない。現に、毎日のように沢山の渋滞情報がラジオで報じられているし、ネットで示されてもいる。カーナビの画面にも赤やオレンジの線が何本も現れては消えていくのだ。

 はてさて、今回のいきさつはどんなことだったのだろうか?

 ちなみに、スマホアプリの進化が激しい昨今、高速道路の渋滞情報は画面でその都度バッチリ確認できる。知り合いの大型ドライバー諸氏は、常にスマホアプリで確認しながらルート選びしているそうだ。残念ながらMは、ガラ携よりはちょっとましなガラホで、その手のアプリは使えない。だから、高速情報ラジオとナビのVICS情報が欠かせない。

 今回の渋滞のなか、多くの人はスマホで状況をある程度把握していたから、おとなしくジワジワ動きをガマンできたのかも知れない。

 とはいえ、所々にある道路の表示板情報が、ただの「渋滞発生中」だけだったし、「故障車あり」のメッセージが無かったのも事実だ。自分の目で見るまで原因さえわからずに耐えなければならなかった要因は、適切に情報開示しようとしなかった管理者側の姿勢にあると思うのだ。

 現場職員の怠慢なのか、それとも、NEXCOの内規に従った「正しい」処理だったのか、大いに疑問が残った。

 高速料金を払って通常の3倍の時間を要したユーザーとしては、納得のいかない一件だった。

チョコットで良いから、野性に帰ろう!

Mです。

 都市生活というやつは、人間たちを無防備な「いきもの」に変えているんじゃないかと思う。

 山野を歩いているのなら、周囲に注意を払いながらでないと何が起こるかわからない。目、耳、鼻の感覚を動員して辺りに異変がありはしないかと気にかけながら動く。ガサっと音がしたら、動きをとめて様子を探る。音の続きを聞き取り、その要因を探ろうとする。何かが視野の端で動いたら、やはり動きを止め、場合によって身をかがめて動きのあった方角をジッと探る。フワッと獣のニオイがしたら、風上に何か居ないかと目をこらす・・・・
 まあ、いろんな状況があると思うが、いずれにしても障害になるモノに注意を払いながら生きるのが、生き物としての人間本来の姿であるはず。

 ところが、都会の人の波に囲まれて生活していると、自分の周りに異質なモノなど居ないはずだという先入観があって、人間は「ひと」になっている。間が抜けてしまうのである。注意力の欠落だ。

 その中でも最近いちばん気になっているのが、もう普通になってしまった「モグモグ歩き」だ。10年くらい前なら、「あれま、あの人ものを食べながら歩いてるよ! 」と、すごいなぁと思いながら眺めていた。それが今では、その光景が至極当たり前になってしまっていて、その光景に慣れてしまった自分にも驚いている。

 今日も夕方、比較的広い道路を青信号が点滅を始めているときに、ハンバーガーの包みを左手に、ドングリで頬をいっぱいにしたリスのような口でモグモグ歩くお兄ちゃんを見た。もうすぐ赤になるだろうに、横断歩道から離れて斜め横断して行った。クルマが止まってくれるのは当たり前だと安心しているのか、たいした度胸だと思う。

 動物は、モノを喰っているときが一番無防備である。喰うという行動は生きるための必須行動だから、そのときは食餌に集中してしまう。ましてや腹が減っていて食いものが目の前にあったら、むしゃぶりついてしまうから、その瞬間を狙って敵が襲ってきたらまず逃げられない。喰われる側にいる生き物の場合、集団生活をして、食餌時も誰かが廻りを警戒して群れとしてこの食餌時の無警戒さを防いでいる例もある。下の画像のように、ライオンなどの肉食獣に常に狙われているインパラは、喰っている仲間たちが居るときに近くに必ず警戒する係も居て、その役割を短時間で交代しながら生きているのである。

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  ↑pakutasoさんから拝借

 そんな厳しい世界と人間社会が違うのは当たり前だ、と言われるかも知れないが、本当にそうだろうか?

 北の国から、で描かれたようなド田舎でかつ街から離れた山の中に棲んでいるとしたら、その人はインパラのように周辺に注意を払いながら生活するのが当たり前になっているだろう。そして、そういう生活をしていた人は、たぶん都市生活にはなかなか入れないだろう。怖くて生きていけない。なにしろ、知らない人間がウジャウジャ居るのだから、誰が外敵なのかわからなくて精神が疲弊してしまう。
 ところが、それでもガマンして何年か経って都市生活に溶け込めると言うこともあるかも知れない。良かったね、と思う反面、大事なモノを失ってしまったのだな、と気の毒にもなる。Mは田舎育ちだから、どうしてもそう思ってしまうのだ。

 どうでもいいんじゃない!?と思われるかも知れない。でも、敢えてひとこと言いたい。
「人混みだって結構危険なんだよ。いつ暴漢が出現するかも知れないじゃないか。そんなとき、モグモグしながら歩いてたら、周囲がサッと避けても察知できないよ!」、と。

 スマホを見ながら歩いていて自転車に衝突する人は、何人も目にしている。さすがにクルマに当たる人は見たことがないが、見方を変えると、大きなモノの動きはスマホを見ながらでもある程度わかるが、小さなモノの動きは捉えられていないということだろう。無差別刺傷事件を起こす輩が、脇からナイフを突きつけても判らないんじゃないだろうか。
 スマホ見ながらハンバーガーをモグモグ、なんて最悪だろう。

 グチっぽいけれど、廻りに迷惑になるような行動は避けるべきだし、最低限、自分の身を守る注意力を払って生活する、という習慣が、都市人にも必要なのではないか。そしてそれが、人混みを避けられない都市生活の中でおたがいを守ることにもなると思っている。
 インパラの群れの所々にいる見張り役を、人の群れの中で無条件に期待するのは無理だ。時には自分が見張り役にもなる気構えを持っていれば、人の群れはだいぶ安全になる。
 だから最低限、モグモグ歩きだけはやめて欲しい。
 安全なところで食おうよ。せいぜい10分でしょ!

ヨメナ復活!!

Mです。

 ほぼ1年前、秋葉原付近の総武線高架下で、ヨメナが数株咲いているのを見つけたことを記した。

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 その場所は、清洲橋通り総武線が跨いでいるガード東側の北面。以前見たときには路肩のコンクリート縁石が凸凹と乱れ、わずかな土が線路からの雨水でいつも湿っているという、狭小ではあるものの湿った土に何種類かの草が生えている場所だった。ところが、その記事を載せて数日後、そのわずかな環境が、縁石修理が行われて土は削り取られ、代わりに砂利投入で整地され、草が生えにくくされてしまった。当然、咲いていたヨメナは跡形も無くなっていたのである。

 それから半年あまり。21年春には、その砂利面にいつの間にか少しずつ砂や泥がのっかって砂利の隙間を埋めてきていた。

 そして8月。ついに、除去されてしまったはずのヨメナが、砂利の下から芽吹いて伸びてきているのを発見した。

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 その場所が以前見た位置から1m程離れているので、茎が刈り取られて残った根から伸びてきたのではないと思う。多分、去年Mが種取りをした時に残しておいた花から落ちた種が、整地作業で砂利にまぎれて移動していたのだろう。

 さすがのヨメナも、貧相な土しかない場所ではどんどん伸びていくことはできず、ヒョロヒョロと少しずつ成長してきていた。通りかかる度にそれを観察するのが、なかなか楽しい。9月になると、3株ほど伸びてきている株の一つにつぼみが付いた。そして9月半ば、最初の花が一つ咲いたのだ。

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 さらに10月半ば、一番遅くにつぼみを付けた株でも開花した。

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 以前の記事で、しぶとくて可憐、と書いたが、本当に強い。この場所では、去年は何種類もの草が生えていたのだが、今はヨメナの他に生えてきている草がほぼ無い。それほど、痩せた土なのだ。そんな場所に生えてきたヨメナは、お世辞にもしっかりした茎とはいえない細い針金のような姿なのに、しっかりと花を咲かせたのである。徐々に株を増やしていくのだろう。観察を続けるのが、また楽しくなる。

 コロナ禍でジリ貧の世相が続いている。
 ゼロに近い環境で芽吹いて花を咲かせるヨメナを見ると、オレも生きているんだから前を向かなくては、と思わされた。

ホタルガ(蛍蛾) そのシックな装い 

Mです。

 人の感性はマチマチだ。
 窓にピタッと貼りついて動き回っている灰緑色のヤモリを、かわいいと見とれてしまうMのような輩もいれば、同じ姿を目にして大声を上げて逃げてしまう人もいる。人々が集まる牡丹園の鮮やかな光景を見て、なんてハデハデしいんだとそっぽを向き、道ばたのヨメナの方を愛でてしまうのも、また同じ。ひねくれる、と言ってしまえばそうなのかもしれないが、そもそも、興味の対象が根っこから異なっているから、ものの評価も当然変わっていってしまう。ただ、それだけのことである。

 Y子が、道で通り過ぎた女性の服装を見て、ホタルガみたいに綺麗だ、と言った。そしてすぐに、そんな風にいったら嫌がられるかもね、と言を引っ込めた。思わず笑ってしまったのだが、Mは、Y子の言う綺麗さが実によく理解できる。落ち着いていてコントラストのはっきりとした色使いのシックな装いだったのだろう、と想像できた。Y子の見て取ったイメージと全く同じなのかどうかは分からないけれど、遠く離れてはいないと思っている。

 人は、固定概念を持ってしまうことが多い。そして、それが感性の判断基準に組み込まれてしまうことがある。蛇は忌み嫌うもの。よく分からない虫は怖いもの。にゅるにゅるしたミミズは汚いもの。びっしり毛が生えた毛虫はおぞましく気味の悪いもの。などなど。そして、それらをひっくるめて、分類学を完全無視した「蟲」なんていうなんだか分からない語を作ってしまったほどである。要するに、なんだか分からない得体の知れないものたちを、好まざるもの、として纏めてしまったのだろう。平安時代に得体の知れない恐ろしいものを鬼という名で括ってしまったように、魑魅魍魎と同列に、気味が悪いと多くの人が感じるモノたちを、日の当たる世界から隔絶してしまったのだと感る。

 ところが、である。その姿形だけを見れば、アートにしか見えない色模様を持つ生き物はこの世の中にたくさんいて、分類してみれば、それらの生き物が、一方では嫌われているものとごく近縁だ、などということがままある。ホタルガもその一つだ。
 蛾、と言うと、多くの人は、夜間に明かりに集まって鱗粉を飛ばす茶色や灰色の昆虫をイメージするだろう。昼間に見る蝶は、綺麗な昆虫として例えるくせに、夜に現れるごく近縁種のことを綺麗だという人は滅多に居ない。社交界の着飾ったおねえさんを夜の蝶などと呼ぶが、Mに言わせれば、蛾の方が適切だと思う。夜飛ぶ蛾には、まさに女王と言っても良いと思う姿形の蛾がいる。オオミズアオという大型の蛍光色のような白い蛾を見れば、綺麗だと思わない人はいないのではないか。オオミズアオの対局には、クスサンという蛾もいる。もう何十年も出会っていないが、色目は華美とはほど遠く、むしろ荘厳さを感じさせる茶系統の複雑模様をまとう厳めしい姿で、オオミズアオが女王なら、こちらは魔王の感覚だ。多くの人が、夜その姿を目にしたら、思わず背筋がのびるのではないかと想像する。それほどに、立派なのである。

話が横道にそれてしまった。軌道修正!

 そんな、主に夜の昆虫だと思われている蛾のなかにも、昼に飛び回るものたちがいる。実は、ホタルガもその一つだ。

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 ↑ ホタルガの雌(触角が小さい) 昆虫エクスプローラーさんから拝借 


 赤い頭に櫛状の長い触覚を伸ばし、燕尾服のような黒い衣装の下端付近にくっきりした白い帯。盛夏前の林の薄暗がりや中秋から晩秋の木立の中を、ヒラヒラと飛び回る昼行性の蛾。派手さはないが、その落ち着いた色調が何とも美しい。白抜きのある羽で羽ばたくとき、白い残像が薄暗い空間を移動していく光景はとても優雅だ。葉に停まった姿は、凜として涼やか。うっとりしてしまう。
 その幼虫はというと、食草はサカキやヒサカキなので、農家の生け垣や庭の植え込みで頻繁に出会う。20mm程度の薄黄色に黒の縦縞がある毒々しい色調の毛虫だ。体には、毒のあるトゲが粗く生えている。大量発生するので、そこにもここにも危険マーク調の色が見えるくらいだ。脅かすと糸を吐いて葉っぱから離れてぶら下がる。それが面白くて、枝を揺らして毛虫にブランコをさせるのが面白かった。毒があるとは言ったが、たいした毒ではない。手の平ならどうということはないが、柔らかい腕の内側や手の甲にトゲが刺さると、あとからかぶれてかゆくなる、そんな程度の毒である。

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 ↑ ホタルガの幼虫 昆虫エクスプローラーさんから拝借


 成虫は捕まえると腹の先から汁を出し、これは何とも臭い代物。プロパンガスに付けてある臭気と青草をすりつぶしたニオイを混ぜたような臭さだ。幼虫の時代は、あまり臭くはないが口から緑色の液を出す。
 美しいものにはトゲがある、と言うが、美しきものは敵をたじろがす武器を持っている、のである。

 

 余談だが、昼に動き回る蛾をもう一つ紹介すると、スズメガの仲間たちがいる。その中でも、多くの人が蛾だと思っていないのが、オオスカシバではないだろうか。
 スズメガの仲間の特徴は高速の羽ばたきで、ヒラヒラと飛ぶ蝶とは全く異質の直線的な滑空をする。オオスカシバはその仲間たちのなかでも羽ばたきが速く、羽化直後は白い鱗粉が羽一面に付いているのに、飛び立てるようになるとその高速羽ばたきのせいで付いていた鱗粉が跡形もなく飛び散ってしまい、透明な羽になる。どれくらい高速かというと毎秒70回ほどだと分かっていて、それはあのハチドリの羽ばたきと同レベルである。昆虫の羽ばたきという観点ならハエや蚊の方が一桁上だから、決してトップクラスと言うことではないが、その飛び方の特性は、自由自在の空中移動にある。下の写真にもあるように、透明の羽でホバリングしながら花の蜜を吸う姿は、ハチドリのそれとよく似ている。全く異なる構造を持つ生物が、ごく似た運動形態を獲得しているというところも、生物界の妙というものだろう。

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  ↑ ホバリングでウツギ属の花で蜜を吸っているオオスカシバ Wikiさんから拝借 

 

 人それぞれ、好き嫌いはあるだろうが、時にはその壁を越えて眺めてみるのも良いと思う。今まで目を向けなかった世界に、思わぬ発見があるかもしれない。


 虫の居ない冬になる前に、公園で虫探しでもしてみませんか?