Mです。(はてなブログのIDをMも取得したので、今回の記事からは最後に
夫M (id:otto-M) ○○日前
というような表示が出るようになりました。前回までのものは「Mの記事にもY子の署名が入っている」ように見えてしまい、恐縮です。)
われわれがガキの頃は、監視カメラゼロにもかかわらず、いつもどこかで誰かが子どもを見ていたような気がする。
田舎しか知らないけれど、大人たちの巷間ネットワークの奥深さは想像以上で、○○んちの△△男が、昨日お稲荷さんのお供え食ってた、なんてことが向こう三軒両隣を遙かに超えて広がり、まもなく学校でセンセにしかられる羽目に陥る、なんてことが現実にあった。
フェイクニュースが飛び交う現代とは違って、その情報を広める人と経路が明白になっているから、まことが飛び交うのである。ウソがウソを呼ぶ今とは違って、情報が確実に活きていたのである。
そんな世の中では大人がガキどもに、いつも偉そうに何か教えていた。
テレビもまだなかった時代だから、偉そうな大人やそれに近い姉ちゃん兄ちゃんたちも、自分の存在価値をガキどもに何か教えることで自らのアイデンティティーを示していたのである。
考えてみれば実に健全な世の中だった。しかし一方で、ひとたび悪のレッテル(死語?)を貼られたら最後、悪くすると村八分状態になるから、みんなでそうならないように監視し合っていたのである。
だから小悪は皆の共通の話題に挙げて、大悪に至る前に芽を摘んだ。
センセに叱られるように持っていくのもその手段の一つだったのだと思う。
大悪だけは誰しも避けていた時代、今では日常茶飯事になってしまった簡単に人を刺すなんてことは、まず起こらなかったのである。
そんな話は高倉健さんの任侠モノ映画の世界であって、そんなことが起ころうものなら、その地域は世の中からまともに見て貰えなくなる。世の中から村八分にされてしまう。それがどんなに恐ろしいことか。
ところが、である。そんな時代は、今と違ってガキどもが平気で刃物を使っていた。今では考えられない。学習塾に通う子どもが、ポケットから刃物を持ちだしたら大騒ぎになるだろうけれど、当時の私のポケットにはいつも「肥後守」が入っていたのである。たしか10円くらいで売られていた。
それ一本あれば、笹竹で弓と矢をつくって遊ぶ、竹を切ってきて釣りをする、山の中で見つけた柿を仲間の頭数に切り分ける、などなど、色んなことが出来たのである。
↓ 肥後守はこんなのです。Mがいつもバッグに入れて持ち歩いている愛用品。500円くらいだったと思う。田舎の金物屋で30年ほど前に見つけたもの。
ガキは、自分の手を切って刃物のコワサを知りながら、同時にその便利さを学んでいく。当時の大人たちは、それを教育だと考えていたに違いない。もちろん、大人たちもそれを知っていて許容していた。道具を使うのは、「にんげん」の特権だからだ。
いけないこととして共通していたのは、火遊びだけだったような気がする。マッチだけは持たせてもらえなかった。火事は、自分だけでなく周りの人々に被害を及ぼす大災害につながるから当然である。
我が家の場合、父親は刃物が苦手だったが母親は実に器用で、小学校のはじめ頃は、朝飯のあと母親が菜切り包丁で鉛筆を削ってくれていた。今考えるとすごかったと思う。ごく短時間で5本くらいの鉛筆をシャシャシャシャァ~と削ったのだ。
当時、ハンドルを回す鉛筆削りなんてモノは田舎にはなかった。学校で筆箱(これも死語?)を開けると、良く削られた鉛筆を持っているのはわずかで、だいたいがへたくそな散切り削りの様相で、自分の鉛筆が誇らしかった。
だからだろうか、私はその頃から刃物に執着していたように思う。母親のように上手く刃物を使えるようになって、いろんなモノを作るんだ、といつも思っていた。
刃物は、危険なのは当然だが、それがあるからこそいろいろなことが出来るということが重要で、決して避ける対象ではなかったのである。
今の世の中、そんなことを言ったら、それこそPTAで吊るし上げられるかも知れない。しかし、25年以上前の我が家では子どもたちが自由にNTカッターを使っていた。
団地内の公園で長男が笹竹で弓矢をつくって年下の子どもたちの人気者になった、ということがあった。息子はせがまれて何本も作ってあげたらしい。
だから刃物を使える方が良い、ということではなくて、そんなこと程度で話題になってしまったことがむしろ父親としては驚きだったのである。モノを自分で工夫して作って遊ぶ、そんなことが出来ない時代になってきている、という驚きだったのだ。
我が家の息子たちは当時から竹とんぼを作って遊んだりしていたが、あんなことでさえむしろ特殊なことのように思われていた。なんじゃそりゃ!?だったのである。
ものづくり大学がだいぶ前に話題になった。いまどういう評価なのか知らないが、まさしく刃物も使えなくなった時代の歪みが、そんな形だけで話題を誘う流れになって現れたのだということが悲しかった。
刃物に限ったことではない。こどもは、いろんなことにトライして、時にはケガをして体と頭でさまざまなことを学んでいく。
わかったような顔をしている大人たちが、予防線ばかり張ってトラブルが起こらないようにしてしまうと、こどもたちは実地体験で脳をはぐくんでいくことが出来なくなるのではないか。Mには、それがとてもマズイことに思える。
IT化の時代、実物を使わなくても出来ることはいくらでもある。けれど、生身のにんげんはそれだけでよいのだろうか?
我が家に合い言葉のように使われていたフレーズがあった。トラブルにあった時に使う言葉で、「死にゃあしないよ」。
痛みを経験してみれば、どこまでが安全圏か自分でだんだんわかってくる。たいていのことは、しくじっても構わない。「死にゃあしないよ」なのである。
大人は、こどもを視ていなくてはならない。しかし管理してはいけない。
Mはそう思っている。