理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

幼児はパラレルワールドの住人

Mです。

よちよち歩きの段階を過ぎると、こどもは一気に事物の情報処理能力が発達する。

これは30年以上前のMの体験。

それまでは、刺激的なあそびでお気に入りだった(空中に放り上げて落ちてくるところを受け止める)をただキャッキャと喜んでいただけだったのに、放り投げたとたん空中でからだをひねって仕掛けた父親をあわてさせる行動に出た。2歳半くらいだった。その時期から、こちらのアクションに対して画一的な反応から脱皮してアドリブを加え出してきたのだ。
幼児が、ある時急に、自ら新しいアドベンチャーに挑み始めるのである。

この経験は、それこそ「こどもだと思って侮っていた」親の浅はかさを思い知らされた一例だ。

草食動物の新生仔が、産み落とされると間もなく自力で立ち上がり、ヨタついた歩みながら母親の乳首を探り当てておっぱいを吸い始めるという映像を見たことがある人も多いだろう。それに比べればはるかに自立の遅い「にんげん」だけれど、身体的発達は別として、大きな頭の中身は、快不快がほとんどだった新生児期から2年足らずで言語を理解し始め自らも使い出すという驚異的な進歩を遂げる。そしてその後から手足の自由度が増していき、よちよち歩きを乗り越えると、周りの人間の動きを真似て自分も模倣行動を始める。この時期が、Mを慌てさせたアドベンチャー指向の時期に重なる。 

 

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上は、いかだ社さんが出している発達度別指導本だが、こんなことも保育所とかでは参考にしているのだと思うと、頭が下がる。

自分自身の記憶は残っていない時期なので、我が子の行動で驚かされた記憶なのだが、とにかく、周りを観察する目とその処理力が増すと同時に、変化を求める思考が生まれてくるのだと思う。言葉にすれば、「こうやったらどうなるのかな?」とでもいう感じなのだろう。たとえそれが結果として快感を生むものにならなかったとしても、だったら次は・・・ 的に、新たな展開へのステップにするだけのこと。2回3回と試行していくうちにとんでもなく面白い結果に行き着いたりして、こどものアドベンチャーはますます激しくなっていくのだ。

そんな姿を見ていると、できあがってしまった大人がトライするアドベンチャーと幼児のそれは全く異なったものなのだと思う。大人の変化欲求は予想可能な範疇なのに対して、幼児のそれは、異世界への突入とでも言うべきことなのだ。何しろ、結果が予想できないで試すのだから、安全を意識しながらトライする大人の世界とはまるっきり違っている。大げさだが、命をかけたアドベンチャーを繰り返しているのだ。

木登りしかり。
さすがに3才くらいでは腕力が伴っていないので木に登ることは不可能だが、高い台があれば登りたい。登ると、なんと高くて遠くまで見えることか。せいぜい30センチ高くなっただけでも、見える世界が違うはずなのだ。それまでは保育士さんのひざしか見えていなかったのに、一気に胸のあたりまで見える。園庭のフェンスからのぞける隣の風景が、台の上からだとずっと遠くまで見える。といった具合に、見える情報量が一気に増すから、次はもっと高いところに行きたい、などと期待がどんどん膨らんでいくのだ。

そういう幼児期の欲求は大人から見るとはなはだリスキーで、出来ればセーブさせたい対象。が、それをしてしまうと幼児は大人の目を盗んで陰でトライしようと企てる。大人は、そうならないように監視しつつも、できるだけ幼児のアドベンチャー指向を許容してやらなければならないのだと思う。

そのためには、時間が思うようにとれないという制約はあろうが、幼児のよろこぶ動きを大人も一緒になって体験しながら、あぶなくない手法を彼ら自ら見つけられるよう誘導してやるしかないのかもしれない。
擦りむいたり、コブをつくったりするくらいは許容して、とにかく楽しく一緒に遊ぶ時間が子育てで重要な位置を占めていると思っている。

ひねりを加えることなどしなかった昨日と、ひねりを加えて父親を慌てさせた今日とでは、同じこどもなのに全くの別人なのかも知れない。成長途上のこどもたちは、幾重にも重なったパラレルワールドに棲んでいて、日々層を剥がして新たな姿で現れてくる。
そんな気さえするのである。