Mです。
雨戸の隙間から朝の光が差し込んで、チュンチュン チッチッ というスズメの声で目が覚める・・・ などというシーン。昔の映画や漫画なら、朝を象徴する一コマとして、ごく当たり前に使われていた。しかも誰もがしっかりとその情景を脳みそにインプットできた「共通の記憶」だった。
Wikiさんから拝借
そんな情景が、とんと消え去ってしまった。
田舎でさえ、昔はうるさいほどだったスズメの声を、このところなかなか聞けない。
生まれ育った利根川近辺では、夏でも冬でも、河原のアシ原に行けば、風に揺れるアシの茎にスズメが沢山とまっていて、それはそれは賑やかだった。夕暮れ時になると一斉に飛び立って、ねぐらの竹林に移動する。竹林は、闇が迫る中、スズメたちの日報会議の喧噪がつづき、暗闇が訪れるとパタッと静かになる。そんな光景を、何度も、何度も見てきたのだが・・・
調べてみたら、スズメはこの50年ほどの間に全国的、それどころか、世界的に激減しているというデータが明らかになっていると判った。
「びおの珠玉記事」というサイトに、読みやすく紹介してあったが、環境変化による棲み家の不足、えさの不足で、もはや回復はあり得ないと思わせる。
参考→ http://www.bionet.jp/2018/02/13/suzume/
ほかにもいろいろな論評が数多あったが、どれも深刻な内容で、冒頭の様な光景はどこに行っても見られなくなってしまったのだと、とても寂しくなる。
都市型野鳥として一番威勢を誇っているハシブトガラス。その逞しさの中には、ほかの小鳥たちの巣を襲うという行為も入っているから、カラスの隆盛がスズメの衰退に大きく影響していることも確かなことかも知れない。
そもそも、スズメたちは、家屋の軒下の隙間、電柱の電線カバーの中、停めっぱなしのトラックの荷台隙間、等々、小さな隙間でヘビが来ない場所ならどこでも営巣した。巣作りから2ヶ月足らずで巣離れしてしまうという、まるで鳥界のハツカネズミのような高速繁殖をおこなう。暖かい地域だと年に3回繁殖すると判っているから、外敵に襲われたりする損耗率を考えに入れても、あの大群を維持するのはそれほど難しくはない生態だったのだ。
しかし、そんな彼らにとって、都会、田舎問わずに進んだ住宅構造の変化、つまり、隙間がない密閉構造の家屋に変化した事が、営巣場所を減らしてしまったらしい。電柱も昔ほどゴテゴテした装置がついておらず、すっきりとしてしまった。電線カバーも、昔は太いフレキシブルチューブが被さっていただけだったのに、今ではモールド型の覆いになっているから隙間がない。建物の壁にある大きな空間だと、カラスが入ってこれるから、とても巣作りなど出来ない。
そんな状況で、人の生息域にちゃっかり住み着いていられたスズメたちは、棲み家を失ってしまった、ということなのだろう。
稲作地帯では、米が熟す寸前の時期に、ついばんで乳汁を舐めてしまうため、稲穂をダメにしてしまう害鳥として嫌われていた。スズメよけのネットや、赤と銀色が表裏になったテープを田んぼに張り巡らしてスズメを追い払っていた光景も、そういえば最近目にしない。ドーンッ、ドーンッと空砲を鳴らしてスズメを追い払っていた情景も、気がつけばもう何年も耳にしていない。
脚を左交互に踏み出すことはせず、ピョンピョンと跳びはねる歩き方が愛らしい彼らを、孫たちにも見せてやりたいと思うのだが、その場所が思いつかない、ということにハタと気づいてしまった。
そういえば、花見客のいない桜並木の光景でも、スズメがいなくなってしまった事を判らせる現象がある。
10年ほど前だろうか、桜が花びらではなく花ごと落ちてくる、という事が話題になったことがあった。その原因は、桜の蜜をなめることを知ってしまったスズメたちが、蜜腺のある花の基部をついばんでいたことにあった。強く噛むので、結果として花が元の部分から切れてしまい、そのまま軸を下にして回転しながら落下してきたのである。「花吹雪」ならぬ「落下傘桜」になってしまっていたのである。その光景が、今は無くなっている。
隅田河畔では、いまサクラの満開を迎え、そろそろ散り始めている。ハラハラと風に舞う花びらは、儚さの象徴でじつに情緒たっぷり。でも、「なんだよ、花ごと落とすんじゃないよ!」と見上げた先でサクラをついばんでいたスズメたちが全くいない現実は、生きものたちが生きづらくなっている世界を見せつけせつけられて、ひどく寂しい。
荒川沿いのアシ原や多摩川河畔の草地なら、スズメたちが今でも棲んでいられるのだろうか?