理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

台風停電で、また考えてしまった・・・

Mです。

もう10年以上使っていないのだが、今回の台風15号停電被害で考えてしまったことがある。PC電源に無停電電源装置(Uninterruptible Power Supply;UPS)を使うかどうか、である。

 ↓ UPSの実例 (結構古いタイプに見える Wikiさんより借用)

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PCを自作し始めた頃、パーツの中枢の一つであるハードディスク(HDD)がまだまだ脆弱だった。動作中の大きな振動で壊れるとか、電圧が不安定だと壊れるとか、けっこう弱っちいパーツだということになっていた。まだ、数十Mbクラスで5,000円もしていた当時のお話。
その当時、電源のダウンはHDDにとって致命的、という意見もあって、Mはジャンク屋で購入してきたUPSにPCのプラグを差し込んでいた。同様に、家族のPCにも、一台ごとにUPSを噛ませていたのである。

ただし、ジャンク屋で買った1,000円とかのUPSは当然内蔵のバッテリーがへたり始めている(なかには完全に死んでいるのもあった)。欲しいのは制御回路なので、購入して来ては、バッテリーだけ別に新品に近い物を探してきて交換して使っていたのである。新品のUPSは自作するPCよりも高額だったから、これらはMとしては当然の行為だったのだ。

今のHDDは、当時の3倍以上の回転数で容量は100倍レベルなのに、少々の電源トラブル程度で壊れることはない。というか、経験していない。ブレーカーが落ちたとか、ケーブルを引っかけてプラグを抜いてしまったとかが起こっても、作業中なら直前のデータだけは失うことになるが、再起動で問題を起こすこともほとんど無い。Windowsさんの修復機能もかなり高度になってきている。定期的なバックアップをカットしていなければ、もし起動不良になっても、最新のバックアップ時の状況になら戻すことが出来るから、停電程度なら、それほど困ることは無いのだ。

それでも、今回のようにイキナリ停電になって、その後、数日にわたって復旧しないとなると、その時のダメージがどうだったのか確認できないまま、イライラしていなければならない。

UPSは、映像データなどを個人でも多量に保存している人が増えたことや、家庭内リンクでTVと映像装置をつないで使う人が増えてきたため、データ保管場所としてNAS
(Network Attached Storage)を使ってネットワークを構築することが多くなってきた。そのネットワークのデータ保護の観点から、UPSが注目されてきている。
NASシステムは、いわば家庭内のサーバーシステムだから、サーバー部分にUPSを噛ませることで、もしブレーカーが落ちても作業を完了して落ち着いてくれるまで、UPSが電気を供給してくれれば、作業者がシステムの安全なシャットダウンを行うだけの時間稼ぎをしてくれるのだ。一般的なUPSで電源供給できるのはせいぜい長くても数十分程度だが、それだけあればよほどハードな使い方をしていない限り、すべてのアプリを安全にシャットダウン出来るはずだ。

  ↓ NASの例(パソコン工房さんから転載)

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大きなオフィスでは、こんなことは当然のことで、データセンターなどはむしろ生電源でコンピューターを動かしてはいない。巨大なバッテリーシステムを介して電源供給しているわけで、外が停電してもかなりの時間稼ぎが出来る。自家発電システムも持っているから、時間稼ぎどころかそのまま運転できてしまうくらいだ。

しかし、個人のPCや、家庭内LANのネットワークでは、それほどのことは要らない。中心になるPCなり、NAS装置だけ守れば良いので、UPSでOKなのである。

今回の大規模停電で、M自身は停電被害を受けずに済んだが、千葉県内の実家周辺は3日にわたって停電が続き、知り合いの商店主などは、売り上げデータチェックも出来ないと困っていた。それを目にし、耳にすると、PCが壊れるから、ということではなくて、データをきちんと取り出せるように保存するくらいのことは、やはり日頃から気にしていた方が良いと思った。データさえ保管できれば、タブレットで内容確認することも加工することも出来るからだ。

現在のPCは、電源の改良も進んでいて、無駄な電力を使わずに効率の良い仕事をしてくれる。現在のデスクトップ電源は、力率80%以上のグレードが当たり前なので、自分のPCが通常どの程度の電力を使っているのかを確かめておいて、その電力量の1.5~2倍程度の容量のUPSを使えば、いざ停電になってもしっかりと停止作業が出来る。
今一度、UPSの意義を考えてみなくてはいけないと思っている。

自分のPCなどが、実際にどのくらいの電力で動いているのかを簡単に知ることが出来る装置も、安価で出回っている。サンワサプライさんが、PCとコンセントの間に介在させることでPC稼働時の電力量を測定してくれるチェッカーを出している(TAP-TST8N ワットチェッカー;6000円ほど)。もっと安い他社製品もいろいろあるが、PC周辺機器で歴史のある会社だから、1500ワットまで見られる簡単ツールとしては一見の価値があると思う。

Mは、アンペアゲージ(クランプゲージ)で概算測定しているから要らないし、各パーツからの計算でも求められるからと思っているが、オモチャ感覚で一度使ってみたい気もする。

UPSの選び方に興味のある方は、オムロンさんが丁寧に解説してくれているので、下記サイトを参考にされると良い。
https://www.oss.omron.co.jp/ups/choose/sentei.html

さあて、しばらくお蔵入りさせていたUPSを引っ張り出してみようかな。

バッテリーは、とうの昔に天国行きになっているだろうが・・・

ママ友の死(タバコと肺ガン) 

薬剤師Y子です。

もう20年も前のことですが、私の大切なママ友の一人が2人の子供たちを残して肺ガンで 亡くなりました。

 

Y子は、まだ彼女が「仕事にも子育てにも意欲的で、とても元気な人」に見えていた若い頃に何度か、彼女が運転する車の助手席に乗せて貰い一緒に移動したことが あります。当時まだ彼女と私の子供たちは幼児で、私たちは30代になったばかりでした。

初めて助手席に乗った時、彼女専用の可愛い車の内部に、しっかりとタバコの 香りが染みついていることに気づき、彼女が決して人前でタバコを吸わない人だったこと、彼女の夫が「吸う人」だとY子も知っていたこと(当時は、禁煙と明記されていない場所に喫煙者が集まって楽しそうに会話しながら吸うのが普通でした)から、「同居の義両親の前では話しにくいことを、この車の中で夫婦で話したりするのかな。それにしても、妻の車をタバコ臭くしてしまうなんて、困った夫だ」と思ったのを、奇妙なほどハッキリと覚えています。

 

Y子はタバコの香りの中にいるのが苦痛なので、彼女のことが大好きだったのに、彼女の車に同乗することは出来るだけ避けるようになりました。

でも子供同士が仲良しだったので彼女の子が私の家に来て私の息子たちと一緒に遊んだり、子連れで外を歩いている時にバッタリ会って短い立ち話をしたり、「夫の母に昨日こんなこと言われちゃったの」と打ち明け合ったり、とにかく彼女と私は互いに「子育てや結婚生活に関して困ったり迷ったりした時には真っ先に相談する相手」でした。

すくすく育っている子供たちを見守りながら信頼できるママ友と話をしていると、何があっても一緒に前に進んで行けそうな気がしました。

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「初めて彼女の車に乗った時」から10年ほど後、あれは確か私たちの第一子が地元の公立中に入学した年だったと思います。

PTA活動のため何人かが何度も集合して共同作業を行う機会があり、Y子は自転車で少し早めに、彼女は車で集合時間ぎりぎりに到着する、ということが続きました。

到着したばかりの彼女の服や髪からは、いつもタバコの香りが漂い「あ~、吸ってるのは彼女自身で、しかも、かなり依存の度合いが 強いな。時間ぎりぎりまで、どこかに車を停めて脳が欲しがるニコチンを補給してるんだな」と「絶対に知りたくないことを知ってしまったような気がした」のも、よく覚えています。

でも、その喫煙習慣のせいで彼女が死んでしまうなんて、その時は想像もしていませんでした。

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さらに時が過ぎ、彼女が体調を崩して入院しているらしいと聞いたときも、義両親との同居生活でストレスを感じていると知っていたので「入院しないと、ゆっくり休めないのかも」などと軽く考え、「お見舞いに行かないと二度と会えなくなる」なんて思いもしませんでした。

 

それなのに、別のママ友から「Y子さん、もう知ってるよね、◯◯さんの件。明日どうする? 一緒に行く?」とかかってきた早口の電話は、退院の知らせではなくて訃報。彼女の通夜と告別式に関する詳細情報でした。

早すぎたママ友の死。

本人の耳には決して届かないと分かってから皆(特に彼女の地元の友達)が語り出した「高校生の頃から隠れて吸ってたよね。子供たちに、お母さんがタバコ吸うのは内緒だよって、口止めしてたらしいよ」等の噂話。

「呆然とするって、こういうことなんだ」と感じました。

 

最近、あの頃のことを冷静に振り返り「私は一体いつ何をすべきだったのか」と、よく考えます。

つらくて長い夢の中で、汗だくになって考えていることもあります。

そして「たとえ嫌われても『あなたの車、あなたの服、あなたの髪から、私は強いタバコの香りを感じ、あなたの車に乗るのを避けていた。あなたが禁煙するのなら、私はママ友として薬剤師として全面的に協力する』と、出来るだけ早い機会に彼女に伝えるべきだった」という同じ結論に、いつも達します。

だって、まだ間に合ったのかも知れないから。

ちょっと嫌な雰囲気になるとか、一時的に疎遠になるとか、そんなこと、大切なママ友が肺ガンで死んでしまうことに比べたら、ど~でも良い!

 

私の言動を決めるのは、私。

同じような後悔を二度としたくないので「言うべきことを言うべき時に、ちゃんと伝わる表現を選んで、確実に言う人」として、これから残りの人生を生きていきます! 

 

 

ピンク彼岸花

Mです。

昼休み時間帯に、ネジを求めて秋葉原へ。
向かう先は、ネジなら大抵の物は揃っている西川電子さん。その名の示すごとく、本業はコネクタや電気工具なのだが、ラジオセンター近くの店舗は、一階のほとんどがネジ、ネジ、ネジ・・・ コネクタなどは2階だから、電子って?と思ってしまう。
φ2mmのトラスネジ、首下の長い物が2本欲しくて訪れた。探すのも面倒なので、聞いてみるとすぐに出てきた。せっかく来たからと、よく使うネジのセットを3袋ほど一緒にして買った。しめて890円。

ついでに、木曜安売りのジャンクやさんを覗いて、HDDやメモリーの値段だけ頭にインプットして帰途に。

自転車でなるべく人混みの少ないところを縫うようにして昭和通を渡り、和泉小学校前の通りに左折しようとしたところでハッとした。歩道と昭和通に挟まれた植樹帯にピンク色の花、しかも、彼岸花に見えた。
急旋回して、ちょっと戻った。
葉っぱのない花柄だけの姿はまさしく彼岸花。そしてそのてっぺんには淡いピンク色の6弁花がぐるりと6個。ちょっと長めのおしべをツンツンと伸ばしている。

どう見ても、彼岸花。赤と白は知っているが、ピンクがあるとは知らなかった。

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YKK本社前の植裁だから、誰かが植えたのだろう。3群咲いていて、どれもまだ10株足らずだから、それほど以前からあったのではなさそうだ。草花には興味があるから、去年からあったなら、きっと気付いていたはず。
掘って帰れるならそうしたいが、そうはいかない。カメラを持っていなかったのでショボイ携帯写真だけ撮って帰ってきた。

夜になってからググッてみると、どうやらヒガンバナ属の園芸種はリコリスという名称でたくさん作られていると知った。
ピンクの彼岸花をみた、という方々のブログもいくつか見つかった。それらをみると、若干おしべの長さが短めだが全体としてはよく似ている。たぶん同じ系統の花なのだろうと感じた。

彼岸花というと、埼玉県日高市巾着田が有名。そこには基本色の赤だけでなく、白もピンクもあるのだとか。そこにあるピンク彼岸花は、日本で作られた薩摩美人という品種だという。写真を見たら、シロヒガンバナを淡いピンクにした姿だった。

はてさて、今日見た物は園芸種として作られたのか? 薩摩美人とは形が全く違う。
その観点から園芸種の写真をいろいろ見てみたが、どうやらそれらとも違っていると感じた。園芸種はどれも一癖二癖あって、単純な形状よりも花被が細かく波打っていたり、おしべがグンと長くて濃い色をしていたりと、珍しさを競っている。それらと比べると、今日見たピンクは、普通の彼岸花をただピンクにしただけに感じたのだ。

となると、交配で出来てしまうことはあるのか?

その観点で調べたら大外れ。日本の野生彼岸花はほとんど3倍体で不稔だと解った。白彼岸花は、彼岸花(2倍体も少ないがある)と鍾馗水仙ショウキズイセン)の自然交配種でこれまた不稔。ということは、やはり稔性のある2倍体の親株どうしで、だれかが交配した結果なのだろう。

園芸種にはアフリカ原産のネリネという近縁のヒメヒガンバナが多くあり、その中にはいろいろな色がある。しかし、多くは耐寒性が低いため日本では露地栽培に向いていないそうだ。そう考えると、やはり、ヒガンバナ属内で作られてきた交配種なのだろうと想像する。

草花はどれも律儀に季節を感じて芽吹いたり咲いたりしてくれるが、秋彼岸の頃になるといきなり畑や田圃の畦からヒョロヒョロと伸びてきて一気にまっ赤な花を咲かせる彼岸花は、時期を知らせる花10指からこぼれることはないと思う。
花が枯れてから葉が出てくるというのも、珍しい。冬に青々としていて夏前に枯れてしまう、という性質は、なんとも偏屈だ。

まるで、生き様は人それぞれ、と教えてくれているかのようなのだ。

スリムタワーの災難 ~ 再出発

Mです。

妻Y子が使っているWin7マシンが、ここ何日間かフリーズしたり、グラフィックボードが起動しなかったりし始めた。

マシンは、10年前の富士通さんスリムタワー型FMV。CE/D50というモデルだ。オツムはインテルさんのCore2Quadの2.5GHzで、メモリーは2GbのDDR3-8500が2枚載っていた。当時としては中堅どころだろう。元々はVista Home(32Bit)が入っていて、通い慣れたジャンクやさんの特売日に1000円で求めてきた。たしか、3年ほど前だった。

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部材を少しだけ交換して、そのまま使っていたが、さすがにVistaのサポート期限切れが迫ったので、Win7/64Bitに入れ替えて使ってきた。

オツムとメモリーの規格から言って、Win10は重荷だろうからと、半月ほど前から代替機の調整を始めていたのである。
「それを知って拗ねた」ということではないだろうが、時期的にあまりにドンピシャなので思わず笑ってしまった。

何のことはない、症状は熱中症そのもの。熱暴走である。なにしろ、スリムタワーである。コンパクトな薄型ボディーにタワー型と同じ部材が所狭しと配置されているのだから、熱にはきわめて弱い。

酷使してるよな、と胸の中で謝りながらカバーを取り外すと、予想通りホコリの山。前回掃除したのは去年の年末だった。

グラフィックボードのクーラーが目詰まりしていると予想していたが、その通りで、シロッコファンが細かなホコリを吸い込んでは跳ね飛ばして、冷却フィンが完全に塞がれた状態だった。

ごめんね、ごめんねぇ~と、柔らか歯ブラシと掃除機で逆方向にホコリを吸い取っていくと、ゴロゴロしたかたまりになって吸い取られていった。

ついでに、ホコリがこびりついている基板部分や配線、電源ボックス周りもキレイにしていった。CPUのヒートシンクは思いのほか目詰まりが軽かった。どうやらCPUが低電力タイプでフィンの目が粗かったので助かったようだ。軽く吸っただけでほとんどホコリは消えてしまった。

作業時間およそ15分。

再設置して起動すると、問題なく立ち上がって、ここ数日の症状はすっかり消えた。

あとひと月もするとサブのマシンになってしまうが、スリムであまり邪魔にならないから、別の役立て方でも考えようと思う。

さすがにメーカー品だけあって、カードリーダーも隠れたところに装備されているし、当時としては進んでいたダブルモニター仕様なのだ。

80年代のレコードからDAT録音に変換した ポップスのノイズ除去を、音響ソフトを使って2画面使用でやってみようかと目論んでいる。2画面並べて横軸を拡大表示してやると、かなり作業がしやすいのだ。
Win10を無理やり入れて嫌がらせするのは、得策じゃない。新分野の仕事に出会う方が、マシンとして幸せだろうと思う。

如何でしょうかFMVさん。

今様アナログ回帰はホンモノ? その4;音の世界は趣味の領域?

Mです。
その3からのつづき

理論とコスパから発展に至った「音のデジタルデータ化」の時代。

しかしここで、前にも少し記したように、耳の良い、というか、微細を聞き分けてしまう耳を持った人々には違和感が生じていた。生演奏で聞いた音と、CDになった音がかなり違う、という違和感である。

正直なところ、その原因が何だとは誰も特定できないと思う。なかには、サンプリング周波数44.1kHzでは、取り込めない高音域に意味があるのだとか、音の連続性が崩れていることに問題があるのだとかいろいろ論評されてきている。だが、そこまで人間の耳が高性能なのか、と問われて的確に答えられる人はいないのではないかと思う。

でも、どこか違うし、はっきりそれが感じられてしまう。
それが、アナログの妙味、ということなのだろう。

事実、サンプリング周波数を96kHzにしてアナログレコードから録音したDATデータと、おなじDATレコーダーで44.1kHzに録音したものとでは、再生したときの趣が明らかに違う。つまり、データの連続性がアナログに近づくと聞こえ方が違ってくるのも確かな事実なのである。

 ↓当時のパイオニアさんDATレコーダーには、サンプリング周波数96kHzが

  用意されていて、とても重宝している。

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結局のところ、アナログの応答性しか持っていない鼓膜とそれに続く聴音構造(内耳)、聴覚神経等々、どれをとっても連続したデータでしか外界をとらえていない。そこに、あらかじめ間欠的に切り取ってきたものをつなぎ合わせた棒グラフのようなデータを音にして送り込まれたら、その棒グラフ突端の階段構造が聴き取れてしまっても少しもおかしくはない。階段と坂道は、同じ高さを上るのでも感触は違う、それと同じなのだと思うのである。

アーティストたちは、この差をより鋭敏に感じ取っているのだろうと想像する。

多分これからも、音の質も求めるアーティストたちがアナログ録音を選択する流れは続いていくと思う。ただ、一方では、音の緻密さよりもインパクトを求めて加工を重視する作り手も当然いるだろう。その場合は、デジタル録音~生産、の方が好都合でCDの方が都合が良い。

ユーザーにとっても、いい音で聴きたいな、というときはアナログレコードで聴けるし、携帯ツールでいつも聴いていたいときはデジタルで聴く、という使い分けができればそれで良いはずだ。

何のことはない、ユーザーが求めるものを提供していけば良いのだから、それはアーティストとユーザーが決めることなのだ。間に入るプロデューサー、メーカーはそのバランスを見極めてリリースの媒体をアナログでいくかデジタルでいくか判断していけば良い。ただそれだけのことなのだ。

ここまで書いておいて今更なんだ、と叱られるかも知れない。
正直なところ、音の世界は趣味そのものだと思う、と言うのがMの結論である。

そうなると、究極は、真空管アンプに戻る、ということになるのだろうか。

たしかに機械毎に音が変わるのは、好みを探すことに情熱を傾けられるひとにはたまらない材料なのかも知れない。

 ↓ 手持ちの真空管アンプ。なかなかしっとりした音が出る。

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ところで一つ余談を。
むかし、レコードプレーヤーが売り出された頃は、ターンテーブルの回転数が3段階あったのを知っている方はどれくらいいるだろう。78、45、33rpmである。
その後、78は消えて、メジャーなプレーヤーは 45と33だけになった。
Mは当時、後から出てきた33回転は45回転よりも一歩進んだレコード盤で、こっちの方が音もいいのだと思っていた。が、レコード盤の製作者側からいうと、再生技術が確立した段階では、音の質は45回転盤の方が良いのだという理論を後から知った。
理由は簡単で、45回転の方が単位時間あたりの移動距離が長い。ということは、書き込める振動データがより微細になるからだという。
う~~ん、参った。当たり前のことに気づかなかった。
理系失格である。

今様アナログ回帰はホンモノ?  その3 ; 劣化阻止を採ったCDの開発

Mです。

その2

今様アナログ回帰はホンモノ? その2;アナログ礼賛とアーティストの変化 - 理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

からの続きです。

 

レコードを作る際の最初の道具はマイク。それは、音の振動をとらえて電気信号に変換している機械で、その変換信号自体はアナログ出力だ。それをフィルター、アンプに通して増幅処理を施して磁気テープに記録したのが元々の手法。だから、ここまではアナログだった。それを再生して針の振動に変換してラッカー盤に溝として刻み込んだのがレコード盤のオリジナル原盤。それを元にプレス加工したプラスチック円盤が市販されたレコード盤だった、というわけ。

このあたりのお話しで、DENON(昔はデンオンと呼んでいたが今はデノン)の技術屋さんたちが書いているコラムがとても面白いのでご紹介する。
→ https://www.denon.jp/jp/blog/4563/index.html
 ↓ そこで紹介されているラッカー原盤

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が、このマスター盤は永久保存できない。素材自体が経年劣化する。同じく、音源を記録した磁気テープも、磁性劣化で質が低下していく。
それを解決できると始まったのが、マスターテープのデジタル化だった。
当時世界をリードしていたSONYと名指揮者カラヤンの試行である。

音のデータをアナログ記録ではなくてデジタル化してから記録することで、時間経過と共に曖昧化していくアナログデータを、0と1の組み合わせだけに単純化したデジタルデータに変換して保存する。そうすることで、飛躍的にオリジナルの保存性が高くなるということを実証して普及に突き進んだのだ。当時、高精度のデジタル音源盤LP誕生と宣伝された(確かSQレコードと銘打っていた、Super Quaity?)。高校生だったMは、その流れで売り出されたスクリーンテーマ集のLPを買ったと思う。SONYが出した初めての4チャンネルLPだった。2チャンネルシステムしかないのに、それを購入して聴いてう~~んとうなっていた高校生の自分が、今思えば滑稽である。

そのレコードはどうして4チャンネル対応だったかといえば、レコードの溝が水平方向だけでなく上下方向にも変化することで4方向性のデータとして記録されたから。でも、Mのオーディオシステムでは水平方向の振動だけしか抽出できなかったので、実は無意味だった。それに気づいたのはだいぶ後のことで・・・笑

アナログデータをデジタルデータに変換した。と、ここまではその後の処理に変化は生じさせなかった。なぜなら、作るのはアナログ機器で再生するアナログレコードだったし、アナログテープだったから。ところが、変質劣化するレコード盤ではなくて、書き込み自体をデジタル信号にして不変化してしまうCDをカラヤンらが押して開発が進むと、世界は変わってしまった。

CDを作るとき、データは連続である必要がない、というか、連続ではなくなる。(その2参照)

簡単に言うと、音を短冊に切り分けてから繋ぎあわせるという作業が必要になる。
そうなると、当時のアナログの音源データをどのくらい細かく刻んでいくかが問題。そこで、人間の可聴周波数域を考えた。人の耳で聞き分けられる周波数は、大人だとおよそ20Hzから20,000Hzに収まるということが分かっていた。 つまり、1秒間に最大2万回振動する波まで記録できれば良いということだ。20Hzより低い音はどうせ音として聴いていないから、高い方に注目したのだ。波の振動が2万回、ということは、波がプラス側とマイナス側の双方向成分の繰り返しだということを考えれば、音はプラス側だけをとらえているのだからその倍の4万回振動する波をとらえられるように設定すれば20,000Hzの高音もサンプリングできるということになる。

それが、巷のCDで使われているサンプリング周波数44.1kHz(44,100Hz)の根拠である。なぜ40,000という切りの良い数字でなかったのかというと、デジタル・ビデオテープレコーダーの元祖となったSONYのPCM-1という製品で採用したサンプリング周波数が元になっている。ビデオ信号の記録に、この周波数が必要十分だったのだそうだ。

  ※このあたりの経緯は、講談社ブルーバックス

   「ディジタル・オーディオの謎を解く」に詳しく載っている。

だったら、これ以上の高音は採る必要がないし、もちろん20Hz未満も必要ない。
というわけで、CD時代は、アーティストの作る音を細切れにしてデジタル録音し、小さな音でもはっきり聞き分けられるように微弱音を底上げ、大きい音を頭打ちにして・・・などの巧妙な加工の後にマスターCD(あるいはDATテープ)を作ってきたのである。

→その4につづく

今様アナログ回帰はホンモノ?  その2;アナログ礼賛とアーティストの変化

Mです。
その1からのつづき。

www.yakuzaishi-y-co.work

ハードオフでアナログレコードを漁るオヤジがうごめくなか、ここ数年、カセットテープでアルバムを作ったり、レコード盤でアルバム発表するアーティストが現れだした。アナログ音源の音質が良いと、アーティストの側が気づいたということらしい。

なにをか言わんや、である。

もともと、人間の耳は連続したアナログ音しか聴いていない。世の中全ての音が、空気の振動として伝わってくるアナログの連続波なのだから当たり前だ。

ひとが創り出した音楽を多人数が別々に楽しめるよう「記憶媒体」を作り出したとき、その媒体もアナログだった。エジソンの蝋引きや錫引き円筒のレコードがその始まりだ。アナログ波形そのままを、ラッパで集めた音をその元に装着した針の振動として筒表面に溝として描き込んだのである。その後、電気技術が進歩して記憶媒体が磁気を使う方式に変わっていっても、そのデータ自体はアナログな連続データだったのである。だから当然、それらの記憶媒体から再生される音は、再生精度がどこまでだったかは別として、やはり元の音に忠実なアナログ音だったのである。

しかし、その後のコンピューター技術の進化で、あらゆるデータをデジタル情報として保存することが出来るようになった。そして、コストパフォーマンスを追求する機器の開発者にとって、デジタル信号で全てをまかなえるデジタル化音源の方が有利だったし、あとからデータの脚色も自由に出来るという利点もあって、音の本質云々よりも汎用性重視でCD、DVDの世界に邁進してきただけである。そして、音は櫛状の不連続音に変わってきたのだ。もちろん、人間の耳には不連続音としては聞こえない。くっきりとした音として聞こえてくる。

 ↓ 音のデジタル化イメージ(チーム170282 作『音のカタチ』より転載

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ところが、当初から、アナログ派な人々はいたわけで、同じものならアナログレコードの方が臨場感がある、微妙な音色がわかる、云々と、アナログ礼賛論はCD出現初期から展開され、少なからずずっと継続してきた。しかし、何しろ世の中の流れに逆らっていたのも事実。どうせ人間の耳なんてそんなに高尚なものじゃないし、聴き分けられるという人だけこだわればいいじゃないか、で済まされてきたといえる。

私自身、それで良かったのだと思っている。こだわる人はこだわれば良いのである。

そんな中で、CDの世界にも変化はあった。高音域をおよそ20,000Hzでカットしていたのをさらに高音域に拡張したスーパーCD(SCD))なるものの出現だ。音響機器メーカーもCDデッキ市場が落ち着いてしまうと次の手がない。だから、メカでCDの次のステップにしたかったのだろう。高音質のCDとその再生機をペアで売り出した。SCD機が売りだされると、普通のCDでもSCD機で聴いたほうが音質が上がる、なんていう「まやかし」も流れた。理屈で考えればそんなことはあり得ない。ただ、SCD機はデジタル信号の再生プロセッサーを高性能にしていたので、再生性能が一般CDデッキより数段優れていた。そのため、同じアンプを通して聴いた時の音が向上していた可能性は高い。それがあのウワサにつながったのかも知れないと思っている。

アナログ派がCDの世界に不満を持っていたのを感じ取った音響機器メーカーとソフトメーカーが、CDでもより高い世界があるのだ、と言いたかったのだろう。

一方、アーティストはユーザーと全く立場が異なる。自身の作品をできる限り良い状態でユーザーに届けたい、と思うのは彼らの本能でもある。その彼ら自身がアナログ音源の優位性に気づいた、となると話は変わってくる。

有名なアーティストが、ソフトメーカー(レコード会社など)がウンと言わないなら自分で作る、とまで言い始めると放ってはおけない。受諾するメーカーが出てきたら、アーティストが移籍してしまうってことにもつながる。
そんなこんなで、いろんなアーティストたちがアナログ版リリースをやり始めた、という流れなのだと思う。

→ その3につづく