理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

そこで呼ぶなよ! タクシー待ちは、場所を考えてくれ!!

Mです。
 
 事実上、毎日、最低40分は東京23区内を車で走る。チャリでは月~金5日間で総距離50Kmは、こぎ巡っている。
 そんな中、いちばん往生するのは左車線を走るタクシーの幅寄せと直前停止だ。客を見つければ止まるのは当然、商売だもの!と云われれば確かにそういう面もあるだろう。が、毎日のようにヒヤッとさせられる側のことも考えてくれ!!、と叫びたい。

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 田舎でタクシーを使うのは、鉄道の駅から目的地や自宅への手段、自宅からの病院通い、お年寄りが友達同士で乗り合いショッピング、などだろうか。いずれにしても、道路でタクシーを拾う、というスタイルはごくまれだろう。そもそも、タクシーが一般道を流しているなんてことはあり得ない。燃料の無駄遣いである。

 ところが大都会は全く違う。年齢にかかわらず、急いでいる人々が幹線道路にはウヨウヨいて、彼らは目的地へと向かう手段にタクシーを多用する。バスや電車では降りてからさらに移動しなければならないから、効率が悪い。だから、今居る場所から目的地へと直接向かうことの出来るタクシーを選ぶ。カネはかかるが、効率的かつ安心な移動手段として理解できる。雨の日など、特にその便利さは捨てがたいだろう。
 オリンピック用に大量導入されたTOKYO TAXIと呼ばれる濃紺の背高タクシーが、オリンピックが無観客で行われることになったため、当初の目論見から大きく減ったであろう収益の穴を埋めるべく、1分1秒を惜しんで客を探しまわっている実情もまた、理解できる。客を見たら即停車! ごもっとも。

 とはいえ、である。もう少し、拾う側、乗せる側双方とも、都会の幹線道の交通状況と安全確保を考えてもらいたいのである。

 毎日記録しているわけではないが、交差点や横断歩道付近でタクシーがハザードを点滅させていきなり停車する、という状況に最低でも5回は出くわす。特に朝方と夕刻にこのパターンが多く、それでなくても混んでいる時間帯なので、この客乗せや客降ろしがさらにクルマの流れを阻んで混雑が悪化しているように思う。

 道路交通法を引き合いにして物言うつもりはないが、止める場所をもう少し考えて欲しいのだ。
 なぜなら、、交差点や横断歩道といった駐停車禁止場所ほど、タクシーの急停止が頻見されるからだ。

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(参考)道路交通法第44条
 車両は、道路標識等により停車及び駐車が禁止されている道路の部分及び次に掲げるその他の道路の部分においては、法令の規定若しくは警察官の命令により、又は危険を防止するため一時停止する場合のほか、停車し、又は駐車してはならない。ただし、乗合自動車又はトロリーバスが、その属する運行系統に係る停留所又は停留場において、乗客の乗降のため停車するとき、又は運行時間を調整するため駐車するときは、この限りでない。
一 交差点、横断歩道、自転車横断帯、踏切、軌道敷内、坂の頂上付近、勾配の急な坂又はトンネル
二 交差点の側端又は道路のまがりかどから五メートル以内の部分
三 横断歩道又は自転車横断帯の前後の側端からそれぞれ前後に五メートル以内の部分
四 安全地帯が設けられている道路の当該安全地帯の左側の部分及び当該部分の前後の側端からそれぞれ前後に十メートル以内の部分
五 乗合自動車の停留所又はトロリーバス若しくは路面電車の停留場を表示する標示柱又は標示板が設けられている位置から十メートル以内の部分(当該停留所又は停留場に係る運行系統に属する乗合自動車、トロリーバス又は路面電車の運行時間中に限る。)
六 踏切の前後の側端からそれぞれ前後に十メートル以内の部分

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 上記の文面中太字の部分が、まさに、毎日出くわすタクシー急停車場所そのものなのである。

 はてさて、それじゃあ、誰に問題があるのか?
 Mとしては、タクシーの側よりも、タクシーを拾う側に問題があると感じている。

 仕事で流しているタクシー運転手は、客を乗せてなんぼの商売をしている。だからどんな止め方をしてもOKと言うのではないが、もし自分が止まらなくても、すぐまた後ろから来るタクシーが止まるだろうことは明らかで、ならば自分が乗せてしまおうと思うのも仕方がない。そういう行為に対して、警察官ならNGを出せるだろうが、一般人にそれを求めるのは酷である。事実上、黙認せざるを得ないと思う。

 一方、拾う側はどうか?
 どうしてわざわざ、横断歩道や交差点でタクシー待ちをするのか?
 これが、はなはだ疑問なのである。
 道路交通法を遵守して、などという気はサラサラない。むしろ、道路の安全な場所でタクシーを拾う方が自分にとって安心なはずだから、事故が起こりやすくみんなの迷惑にもなる場所を避けてタクシー待ちをする、という単純なことをなぜ考えないのか、と思うのだ。
 個人的観察なのだが、面白い現象がある。少なくとも西欧人が交差点や横断歩道でタクシーを拾うという例は見たことがない。東京駅周辺などのようにタクシープールのある場所は限られている。それ以外の太い道路で西欧人がタクシーを拾う光景はよく目にするのだが、彼らは何もない場所、つまり、クルマがただ直進すれば良い場所で手を上げ、タクシーを拾う。これはごく自然なことで、流しのタクシーはどこでも拾えるわけだから、拾う場所はむしろ無限にある。なにもわざわざ特定の場所として交差点を選ぶ必然性はゼロなのだ。渋滞中でなくとも、スムーズに流れている直線路なら、前方でタクシーが客を拾いそうだという情報は、後続車両の側で難なく関知できる。なにしろ、交差点のようにいろいろな方向に注意を払う必要がないので、前方情報に集中できるからだ。減速するにしろ、追い越すにしろ、後続車側に余裕があるのだ。
 ではなぜ、毎日のようにヒヤッとさせられる「交差点タクシー拾い」が多いのか?
 思うに、タクシーが速度を落とす場所だから止めやすい、と考えているからではないだろうか。もしかすると、日本人は、タクシー運転手に「親切」だと思って交差点付近でタクシーを拾っているのかも知れない。
 だとすると、それは大間違いだ。
 確かに、タクシーの側も止まりやすいとは思う。乗せるのは道路左側なのだから、交差点で左折レーンにいればノロノロになっていて止めやすい、かも知れない。横断歩道なら、横断者が居るうちはどうせ止まっていなくてはならないから、そのときに乗ってくれればラッキー! ということ。でもちょっと待った! 止めやすい、止まりやすい、なんて論外である。タクシー運転手は運転のプロなんだから、どこでも安全に止まる術(すべ)を持っているはず。いちばん交通を滞らせる場所で客乗せなんかするんじゃないよ! と言いたくなる。
 客が交差点付近でタクシー待ちをしていても、タクシーはその場で急停車せずに直進または左折して少し進んだところで止まる、というのが本筋だろう。
 ごくわずかではあるけれど、そういう例を見たことはある。

 どこでも拾えるタクシーなのだから、利用する側には、利用者としてのマナーがあってしかるべき。交通状況をちゃんと見て、他のクルマにも、自転車にも迷惑になりにくい場所を選んでタクシー待ちをして欲しいと思う。
 結果として、その方が、自分自身にとっても安全なのだから。

スティック型SSD 進化してるね!

Mです。

 だいぶ前に、ポータブル型SSDに耐衝撃性を持たせたG-Shockみたいな製品について書いた。2019年秋のことだった。

www.yakuzaishi-y-co.work

 その製品は今でも結構売れているらしい。それから1年して、同じ容量レベルで驚異的なサイズダウンを施したUSBスティック型SSDが世に出た。BuffaloさんやSandiskさんらが、見た目はUSBメモリーそのものの製品を発表して、同様スタイルの製品がいくつものメーカーから次々に登場し、今では店先でチラ見しただけではUSBメモリーなのかUSBスティック型SSDなのか、よく判らないほどになっている。
 そんなUSBスティック型SSDを、毎日のようにメールで新製品紹介してくれるソースネクストさんが、何日か前に紹介してきた。

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 見れば、22mm×67mm×9.5mm(幅×長さ×厚さ)と、いま手元で使っているUSBスティックメモリーとほとんど変わらない。ちょっと厚みがあるかな、程度である。

 上図は256Gbだが、512Gb、1Tbも、本体サイズは全く変わらない。動作温度は、256Gbは0~70℃なのに対して、512Gb以上のものは0~55℃となっている以外、転送速度をはじめ仕様上の差は見当たらない。大容量タイプで動作温度範囲が狭くなっているということは、極小化したことでどうしても熱発生が防ぎきれない、ということを意味しているのだろう。 以前、64Gb程度のUSBスティック・メモリーでも、使用中に表面がかなり熱くなるので、大昔にバイクの空冷エンジンの襞にアルミの洗濯ばさみを付けて熱放散を補助したのと同じように、メモリーにアルミ洗濯ばさみを付けると温度上昇がだいぶ抑えられることを書いたことがある。たぶん、このスティック型SSDにも同じ手法が通じるのではないだろうか。 

www.yakuzaishi-y-co.work

 スティック型SSDの紹介を一昨年に見たときは、さほど興味がなかった。価格も高かったし、そこまで大容量のポータブル・メモリーを必要としてもいなかったから。しかし今回、価格的にUSBスティック・メモリーの大容量クラスと同等か、場合によっては数段安い製品も出てきたことを知ると、あながち無視も出来なくなってきた。
 
 見方を変えて、なぜ外付けSSDをこんなにまで小さくしてきたのか、と考えてみた。
 一昨年秋ごろ、ポータブルSSDが数多く出回ったとき購入を検討したのは、USBメモリーではちょっと難しい大量のデータ移管に使えると思ったから。ただ、持ち運びを考えると、落としたりぶつけたりと物理的衝撃でデータが損傷しないかとかが気になった。そんなときにG-ShockのようなポータブルSSDが現れて、だいぶ興味をそそられた。それでも結局購入していない理由の一つが、USB3.0コネクタでPCと接続できるのは楽なのだが、どうしても直接PCに繋げるのではなく、短いながらもケーブルで繋ぐというスタイルが気に入らなかったから。ケーブルまで含めると、バッグの中でそれなりにかさばるのだ。胸ポケットにポンと入れる、というのは無理。そんな感触を持っていた人が、多分たくさんいたのだと思う。
 ただ、いきなりタバコケース程の大きさのブロックをPCに繋ぐのは危険だ。重さでコネクタが外れるかも知れないし、コネクタ自身が歪んでしまうかも知れない。だから、短い連結ケーブルを使うしかなかった。
 そこで、SSD本体を極力小さくしてしまい、USBスティックのサイズにまで落とし込んでしまえばいいじゃないか、ということだったのだろう。

 こうなってしまうと、もはやUSBスティック・メモリーとUSBスティック型SSDは、いったい何が違うのだ、ということになる。
 実際、データを保管してPC間を行き来させるためなら、問題は必要な容量だけの問題である。どちらも記憶素子自体は同じ仕組みを使っているから、もはや従来型USBメモリーは不要で、みんな大容量のSSDにしてしまえば良いではないか、ということになる。値段は、1Tb以上のものになるとむしろUSBスティック・メモリーの方が高額だ。そもそも、そんな大容量は必要としていなかったのがUSBスティック・メモリーだったのだ。


 簡単に挿したり抜いたりできる記憶媒体、というメリットがUSBメモリーの最優先課題だった。PCのOS側から見て、USBメモリーはあくまでもリムーバブルディスクであり、CD、DVDなどのディスク、MOディクス、さらに遡ればフロッピーディスクと同類の捉えられ方なのである。それら外部記憶媒体を、USBコネクタという統一規格に落とし込んで、ただ差し込めば良い、というスタイルにしたことで、いまでは、CDやDVDさえも必要ない状況を生み出している。何しろ、それまでのディスクは、どれも専用のドライブを必要としていた。デスクトップPCならどうにでもなったものの、ノートPC、タブレットPCと小型化していく中で、ドライブ装置自体がPCサイズの足かせにしかならなくなってしまった。回転駆動というモーター装置はどうしても厚みを伴うから、それをすべてなくす方向で現在の小型PCは成り立っているのである。


 そんな中で、それまでPCの主要記憶装置だったHDDに代わってSDDが生まれ、いまではSDD主体のPCが主流になりつつある。MのようにデカイデスクトップPCを重宝しているような輩はだいぶ減っている。ゲーミングPCはその性能重視の観点からデスクトップのデカイものがいまでも主流だが、メインの記憶装置はもはやHDDではない。転送速度がHDDよりも数段速いSSDに取って代わられている。つまり、大容量のデータを速く読み書きできる記憶装置こそが、いまのPCの主要部分なのだ。となると、これまで外付けHDDを使っていた人も、外付けであってもSSDの方が便利になる。なにしろ、速度が速い。いくつものゲームソフトをため込んだSSDを持ち歩ければ、渡り歩く先で同じ仕事、同じゲームを構築することも簡単だ・・・ という流れで、SDDの小型化が進んできたということだ。
 そしてこれこそがキモなのだが、SSDは、USBメモリーと根本的に違っていて、リムーバブルディスクの扱いではない。ローカルディスクとして認識されている。つまり、PCでマイコンピューターを開いたときに現れるメインディスクの仲間で、いわばPC本体の主要装置扱いなのだ。だから、パーティションを区切ることも出来るしダイナミックディスクに変換することも出来るなど、PCを動かす側の装置としての機能を備えている。だから、場合によっては、USBコネクタに差し込んだスティック型SSDでPCを駆動することも簡単にできる。言い換えるならば、スティック型SSDはデータ持ち運びのツールというより、PCの主要臓器にもなる記憶装置、ということなのだ。
 単なるデータ持ち運びツールか、あるいは、それに主要記憶装置の意味合いを持たせるか、その使い分けがUSBスティック・メモリーとUSBスティック型SSDの分かれ道だ。

 512Gbクラス、一度試してみようかな、と思っている。

 どんどん小型化が進むPCパーツは、そのうち腕時計のようなPCを生むのだろう。
 眼鏡型スクリーン、Bluetoothイヤホン、手指装着型キーボード、などでウェアラブルPCを操る世界が、もうすぐそこに来ているのかもしれない。
 キアヌリーブス主演のマトリックス士郎正宗さんの攻殻機動隊のような電脳空間SFモノは想像上の世界だが、こっちは本物のように思う。

廃物利用きんぴら

Mです。

 修行僧がしっかり料理しているお寺さんの厨房では、野菜ゴミはほとんど出ないのだそうだ。大根の皮、人参の皮、牛蒡の皮(?)、どれも捨てずに煮たり炒めたりして、ちゃんとした「おかず」になっていくのだという。だいぶ前になるが、新聞にそんなコラムがあった。
 それ以来、時間に余裕があるときは大根や人参を束子(たわし)でしっかり洗って、皮だけできんぴらを作ったりしている。大根も人参も、見栄えを気にする必要が無いときは皮を剥かないことも多い。本当は、皮付きのままの方がおいしいと思うが、さすがに人目に晒される場合には、皮部分が黒ずんできたりするので、大概は剥いている。

 大根は、皮表面から3~5mmの位置に維管束(水や養分を通す管で、植物体の支持組織の役割もある)がきれいに並んでいるのが判るから、その中心側で厚めに剥く。この層は芯の部分より繊維質が多くて硬いので、縦方向に細く刻んで使うと、大根きんぴらが旨い。
 人参の場合は、大根のように剥いてしまったら細くなってしまうから、剥くとしてもいわゆる皮むき(ピーラー)で縦方向に削いでいく。この残渣は、そのままで細い短冊になっているから、そのまま人参きんぴらにしたり、細かく刻んで卵焼きの具にしてしまったり、使い道もいろいろだ。時折り出回る長人参は、人参独特のにおいが強く、これぞ人参、という懐かしい雰囲気のきんぴらになる。細かく刻んでコンソメ味の洋風卵焼きにすると、あのニオイの効果でハーブオムレツになる。

 大根も人参も、皮は毎回発生するが、毎回すべて使い切れてはいない。かといって捨ててしまっているかというと、そうでもない。実は、皮だけをポリ袋に放り込んで握って小さく縮め、冷凍庫に放り込んでいる。チョイと変わった味噌汁の具にしてみたり、鍋の具に混ぜてしまったり、シチューやカレーに細かく刻んで放り込んでしまったりと、野菜素材として結構重宝しているのだ。ハンバーグを作る時などはまさに好適な素材で、細かに刻むのも楽なのでカンタン素材になってくれる。本体が薄いので、凍ったままでも包丁で難なく刻める。凍ったままの方がカタチがしっかりしているので、凍らせる前より刻みやすくて都合が良いくらいだ。
  冷凍庫に余裕があれば、是非とも、野菜皮を食材にすることをおすすめしたい。

 さて今回は、野菜の煮物を作ったときに出た牛蒡の先っちょと人参の皮でチャチャッときんぴらを作ってみた。

①皮むきで剥いた人参の皮(この皮むき器40年くらい使っている)

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②細くてしまりの無い牛蒡。先っちょの首っ玉を押さえて皮むきで削ぐ 

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                                   ↓

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③長さを適当に揃えて・・・ 

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④ごま油でさっと炒め、鰹だしとみりん、醤油を垂らして、あおりながら強熱。
☆ 3分足らずで「廃物利用きんぴら」の出来上がり~~!!
(皮むきの時間を含めて15分くらいかな)

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      ※ 酒好きには、良いつまみになるかも。

県庁所在地緯度のふしぎ なんでこんなに揃ってるの ?

Mです。

 毎朝、電気カミソリでひげを剃りながら眺めている南北1.3m、東西0.6mほどの日本地図がある。ビックカメラさんが年末になると店頭でタダで配ってくれているもので、大きさが程よく、眺めているだけで全国を旅しているような気になる。
 右端(東端)には世界各国の有名都市名が緯度に沿って並んでいるので、普通は考えてもみない外国都市が日本列島のどのあたりに位置しているのかがわかる。えっ、ニューヨークってほぼ青森の緯度にあるじゃん! 寒いわけだよなぁ。 なんて驚くのである。

 毎日繰り返し見ているその地図では、県庁所在地が赤丸で示されている。これまでほとんど気にしていなかったのだが、ふと気づいた。盛岡と秋田ってほとんど同じ緯度だ! あれれ、仙台と山形もほとんど同じじゃん・・・
 そんな目で眺めてみると、在るわ在るわ、ごく近い緯度にいくつもの県庁所在地が横並びしていることに気づいてしまった。関東は、狭い平野部にいくつもの自治体がひしめいているので県庁所在地が緯度的に近いのは仕方ないのかも知れないが、目を西に移して行くと、中部地域から関西、山陽、山陰と、これまで想像もしていなかった西の地域の県庁所在地も緯度的にごく狭い範囲に収まっているのが見て取れたのである。

 それならば、と、日本中の県庁所在地の緯度を調べてエクセルに放り込み、それぞれの県庁所在地の緯度を分母、他の46都市の緯度を分子とする計算表を作ってみた。その結果から、目で見た感じで緯度が近いなと感じるのが緯度の誤差2%程度までだと判断し、さらに絞って1.5%の範囲内にある県庁所在地のグループを拾い出してみた。その結果が下の表だ。

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 なんと、関東より北では、青森を除く県庁所在地が2グループになってしまった。目で見た感じでは福島がやや離れている気もするが、仙台、山形、新潟、福島の4都市が緯度の差1.5%に収まってしまった。
 関東はどの都市も寄り集まっているので鳥瞰的に並んでいると感じていたが、西に目を向けていくと、水戸が長野、富山、金沢、福井という思いもよらなかった都市と緯度的に近いと判った。さらには、千葉、新宿、横浜が中部、関西、山陽、山陰という西の地域の県庁所在地とほぼ横並びにいることを知り驚いた。
 どうしてこうなっているのか? ぼんやりと眺めていて、その原因が日本列島の成り立ちに関わっているのだと気づかされた。
 最近新作がテレビで放映されていた、小松左京氏の「日本沈没」の題材がそれである。日本列島は、大陸プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという、地殻表面の異なる3つのプレートが押し合いへし合いしている場所にある。そのダイナミックな地殻の動きによって、糸魚川静岡構造線と呼ばれる場所で、北側は反時計回り、西側は時計回りに陸地が折れ曲がっている。その結果として、偶然にも関西地区の平地が緯度線に平行になっていたのだと気づいた。関東から中部地域にかけての県庁所在地緯度が近似していたのは偶然だろうが、関西の県庁所在地までもが緯度的にごく近い位置関係で並んでしまったのは、この折れ曲がりのせいなのだ。
 古くからの街道である東海道山陽道が直線でつながるようになってしまったのが陸地の折れ曲がりによる偶然だとしても、だからといってここまで緯度が近似した県庁所在地があったのは何故なのだろう。人間は住みやすい場所に住もうとしただけのはずだ。それが、たまたま緯度的に並んでしまったのだろうか。
 関東から関西の例は別として、東北の場合は全く説明が付かない。南北に連なる山地で隔てられている地域なのに、盛岡と秋田がほぼ同緯度。仙台、山形も同じく。これらも「たまたま」だということなのか? 謎である。

 県庁所在地の緯度横並びとは別のことだが、今まで気にしていなかった地図上の気づきがもう一つあった。緯度と経度の間隔についてである。
 当たり前のことなのだが、経線は南極と北極の極点を起点にして地球表面を南北に角度で割っている。その一方で、緯度は、赤道面と平行に地球を南北方向に地球の中心からの角度で輪切りした線だ。だから、経線の1度は極点に近づくに従ってすぼまっていくので、経度1度の地球表面での距離は赤道面でいちばん広く、両極に近づくにつれて狭くなる。理屈ではわかっているが、壁に貼った地図を眺めていて、このことにも改めて気づかされた。経線と緯線が交わって作る四角形が、日本地図上でもだんだん北すぼまりになっていくことに気づいたのだ。また、同じ1度なのに、経線方向(東西方向)の1度は緯線方向(南北方向)のそれより短いので、1度のマス目は南北に長い長方形に見える。今更ながら、日本列島が南北に長いことに気づかされた。ちなみに、日本列島の北、中央、南の位置で経、緯各1度の持つ距離は下のようになっている。

 緯度45度(稚内あたり) 経度1度長; 約78.8Km ,緯度1度長 ; 約111Km
 緯度35度(明石あたり) 経度1度長; 約91.3Km ,緯度1度長 ; 約111Km
 緯度31度(奄美あたり) 経度1度長; 約95.5Km ,緯度1度長 ; 約111Km
   (https://www.wingfield.gr.jp/archives/9721 より拝借)

 スマホで何でも済ませてしまえる世の中だが、アナログ地図ならではの楽しみを、改めて噛みしめている。やっぱり、小さな画面だけではわからない実世界も大切なのだ。

ペットボトルオープナーを作ってみた

Mです。

 月に2回ほど、打ち合わせ仕事にあわせて、実家で一人暮らししている母親の様子を見に行く。高速を使えば、東京から実家までおよそ70分程で着く。
 年末のクリスマス前、そんな感じで立ち寄って買い物やちょっとした修理なんぞをしたのだが、その際、ペットボトルのお茶を開けてくれようとした母親が「口が固くて開かないんだよ」と呟いた。自分で開けるとお茶を受け取り、飲んだ。

 気づいてみれば、異物混入なんぞが起こりうる厄介な世相の中で、今使われているペットボトルの蓋はだいぶ頑丈に付けられている。蓋を開けると本体側に残るストッパー部分と細い橋でつながっているので、開けるときはこの部分をねじ切らなければならない。気にしていなかったが、確かに以前より開栓に力が要るようになったと感じる。スクリュー部分の噛み合いも強まっていると感じていて、開けるときにねじ山同士が粘り着きながら動いていくように思う。そういえば、5歳の孫もペットボトルの蓋は自分で開けられない。

 自分にとっては、別段苦になるほどのことではなかったので気にしなかったのだが、言われてみれば握力の小さい人にとって、アイツは厄介者なのだと知った。

 そこでちょいと調べてみたら、世の中には多くのペットボトルオープナーなるものが工夫され、売られていると知った。なるほど、それだけニーズがあったと云うことなのだ!

 ↓ 売れ筋情報は下記サイト 
   https://my-best.com/4819

 作られているのは大別して2タイプ。ハンドル状の握りで回すものと、大きな円筒でペットボトルのフタを包み込んで回すもの。理屈はどちらも同じで、中学高学年か高校1年くらいで学ぶ「てこ」や「輪軸」のように、小さな力で大きな回転力を作り出す仕組みだ。 製品価格は100円台から数千円程度まで、だいぶ開きがある。感覚的には、一番安いキーホルダーのような下のハンドルタイプで十分な気がした。

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 とはいえ、力の弱った人がペットボトルの蓋を開けるとき、このようなハンドルタイプだと、つまみを持つ力もそれほど期待できないだろう。

 蓋を開けるとき、人は利き手で蓋を持ちボトル本体をもう一方の手で押さえる。このとき、力が弱い人だとハンドルを回すのは難しいのではないかと感じた。ボトルの蓋を開けようとするとき、ボトルを押さえる手と蓋を持つ手で、同じ軸上の本体と蓋とを逆に回すからボトルはグラつくことなく安定している。しかし、横に飛び出たハンドルを回す場合は、ハンドルに与える力は横向きになる。ボトルを押さえる手がしっかりしていないと、開けようとするときボトルが横揺れするはずだ。細めで背の高いボトルでは、グラついてうまく回せないかも知れない、と思ったのである。 

 そう考えると、オープナーは蓋の半径を増大させる「輪軸」効果を狙ったタイプの方が使いやすいと思えた。
 だとすると・・・・

 あまり大きな円盤は手に収まらないから、蓋の直径を増すにしてもせいぜい5センチくらいまでだろう。蓋にフィットして滑りにくい円盤型、と想像していたとき、蓋に輪ゴムを巻きつけると開けやすいという工夫を思い出した。そうだ、ゴムが一番簡単だ!

 そして思い至ったのが、電気屋さんなんかが使う電線通しの保護材料「ブッシング・ゴム」。秋葉原に出たついでに、ねじの西川さんを覗いて物色。あった、ありました! いちばん大きな穴空きブッシュが穴径25mmで外径およそ45mm。ちょうど良さそうである。穴径は大きくしないとペットボトルの蓋が通らないから加工の必要はある。が、相手は黒ゴムだ。ちょっと加工すればいいだろう。

 ということで、西川さんで購入してみた。価格は一個100円足らずだった。

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 ペットボトルの蓋外径は30mmである。これはボトルサイズにかかわらず共通だから、特殊品でない限りなんでもOK。蓋を納めるのに都合良いように、8角星形にカッターナイフで削りを入れてみた。星形にした後、蓋にはめ込む側の星の角部分をさらにV字に切り欠いて、上図下段の黄色線のように広げた。切り欠き前後の写真が下である。右の切り欠き後は、蓋をはめ込む側、つまり上図下段の下側から撮ったものである。

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 切り欠いたことで、穴径は狭いところで28mm程度。突起があるので、押しさないと蓋は入らない。しかし、深い切り込みがあるので押せば蓋がはまり込む程度になった。実際にはめ込んでみたのが下の写真。

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 回してみると、蓋は簡単に開く。新品のペットボトルでも問題なく開くだろう。
 25mmの蓋が、このブッシングゴムをかぶせることで約50mmの蓋に変身した。つまり、開けるための力は半分で済むのである。握りはゴムなので手にしっかりと吸い付く。柔らかいので素手で痛くないし、手袋をしていても滑ることがない。実にうまくいった。

 次回の実家訪問の際に、良いプレゼントになりそうだ。(笑)

抗オミクロン カクテル療法断念の報 だけど・・・

Mです。

 26日の朝日新聞に、トランプさんが「使えるコロナ治療薬」として発言し、事実それなりの効果をもたらす結果も得られながら、日本国内ではほとんど注目されなかった抗体カクテル療法について、今回のオミクロン株に対する治療法として推奨しないと決定した、という記事があった。ちゃんと探さなければ見つからない程度の小さな欄で、朝日新聞社としても「効かないのだからニュース価値は低い」と感じる扱いだった。その他報道機関の報じ方も似たり寄ったりだったと、ネットサーフして知った。
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 ↓12/26 朝日朝刊より転載
  厚生労働省は、新型コロナウイルスの治療薬として承認されている抗体カクテル療法の「ロナプリーブ」について、変異ウイルス「オミクロン株」の感染者への使用を推奨しないとする通知を都道府県などに出した。有効性が弱まるおそれがあるためで、専門家による部会で審議して決めた。
 ロナプリーブを開発した米リジェネロン社による実験で、オミクロン株に対して感染を防ぐ力が大きく低下すると示されていた。11月末時点で全国でロナプリーブを使用された人は、約3万7千人。
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 感染者の重症化を防ぐ手段として、人工的に作った抗コロナ抗体(モノクローナル抗体)を複数種混ぜてクスリにしたものが今回報じられたロナプリーブ。そしてこれは、つい最近、中外製薬が承認されたと声高に発表していたものだ。

中外製薬;抗体カクテル療法「ロナプリーブ」、新型コロナウイルス感染症の発症抑制薬として適応追加の承認を取得(2021.11.5)
https://www.chugai-pharm.co.jp/news/detail/20211105160000_1161.html

 デルタ株までの新型コロナウイルスに対して、発症防止あるいは重症化抑止効果があると認められていたもので、せっかく承認にこぎ着けたと思ったら、オミクロン株には効かない、と断じられてしまった格好。なんとも寂しい顛末だ。

 その一方で、中国では、独自の抗体カクテルを作ったぞ、とつい最近発表しているように、この療法自体は決して軽視されるようなものではなく、論理的に正しい手法であることも間違いない。

中国独自のコロナ「抗体カクテル療法」を初承認(2021.12.21)
 https://toyokeizai.net/articles/-/476776
  
 抗ウイルス抗体の多くは、病気を起こすウイルス表面に直接くっつくことでウイルスが細胞にひっつく邪魔をする、という実に単純で直接的な防御方法である。ウイルスは、細胞に入り込めない限り何の害も成せない。まずは細胞表面にくっついて細胞膜に自分の膜を融合させ、遺伝物質(コロナウイルスの場合はRNA)をヒトの細胞の中に送り込む。だから、この細胞膜の融合を邪魔してしまえば、ウイルスの中身はヒトの細胞に入り込めず、結果として感染が成り立たない、ということなのだ。

 現在大問題になっている新型コロナウイルスだが、以前から風邪のウイルスとしてごく普通にとらえられていたウイルスの変種だということも、今一度確認しておく必要がある。下の表は、感染症研究所の解説文にあったコロナウイルスの比較表で、コロナウイルスの仲間が最近その姿を変えては、新たな病気として注目されてきた流れがよくわかる。

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↓ 出典
NIID国立感染症研究所コロナウイルスとは
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/9303-coronavirus.html

 表からも判るように、厄介な症状をもたらして脅威になっているコロナウイルスの仲間として、しばらく前に話題となったSARSとMERSがある。MERSはまだ終息していないかも知れない状況で、2年前から新たなCOVID-19が現れたのだ。そして、そのウイルスの変身の度合いが一気に進んでオミクロン株が現れた、という流れなのだ。
 
 このように考えると、単一のウイルス表面タンパク質(スパイクタンパク質)にだけ反応する単クローン抗体を複数種ミックスして使おうという「抗体ミックス」製剤は、変身していく敵ウイルスのスパイクタンパク質変化が少ないうちは効果があるが、変化が大きくなったり全く違う形になってしまったら抗体として作用しなくなる、というのは当たり前のこと。だから、デルタ型までは変化が小さかったので効果が認められていたものの、大きく姿形を変えてしまったオミクロン株に対しては、抗体の結合性が低くなってしまったために重症化抑制効果が出なくなってしまった。結果として、オミクロン株に対しては使用を推奨できない・・・、となってしまったのである。
 
 ならば、もう「抗体ミックス療法」という手法は意味がないのだろうか?
 実は、そんなことはないのである。中国が新たな抗体カクテルを開発、といっているのも、意味があると考えている証である。

 抗体ミックス、という用語が示しているのは、複数、あるいは、いくつもの種類の反応性を持った抗体を混ぜてある、という意味だ。ところが、いま話題になっているミックス抗体製剤は、人為的に作った単一反応性のモノクローナル抗体を数種混ぜただけのもの。つまり、特定の相手にだけ反応する抗体をいくつか混合することで、結合する相手であるスパイクタンパク質が少し変化してもくっついてくれるだろう、という予測のもとに使われている。ただし、当然のことながら、混ぜた抗体の反応性の数だけしか”見えない”。
これが人為作成抗体ミックスの弱点といえる。

 一方、我々の体の中で起こる免疫反応によって作られる血中抗体は、相手(ウイルスの表面構造)のどこに反応するかはランダムだ。さらに、ヒトの個体ごとに抗体の作られ方にも個体差があるから、同じ相手に対して作られていても抗体の種類と量は様々となる。同じコロナウイルスが体に入ったとしても、AさんとBさんでは、作られてくる抗体の種類も量も違うのである。もちろん、反応性が共通する抗体もある一方で、共通しない抗体も存在するはずなのだ。
 とすれば、そんな多種類の抗体を混ぜた方がより効率的だ、と考えるのは当然のことだ。
 これぞ、本来の「ミックス抗体療法」だと思うのである。

 このことについて、以前、独自の献血制度を確立している日本なら、これが可能なはずだ、と書いた。

www.yakuzaishi-y-co.work

 新型コロナ感染症から回復した患者さんたちから血液を提供してもらい、上述の多種類の抗体を含んでいる血漿成分を集め、滅菌消毒操作を行ってクスリにする。その技術と施設を持った日本赤十字社なら出来るはずなのだ。
 
 このような、コロナ感染症から回復した患者さんたちからの血液を使った抗コロナ治療については、細々ながら国内でも試みられてきている。一部の医師たちが発案して動かしている例もあるのだ。

朝日新聞アピタル;コロナ治療に回復患者の血液成分 ルーツは北里柴三郎(2020.5.31)
https://www.asahi.com/articles/ASN5Y5TH6N5WPLZU004.html

Yahoo!JAPAN;新型コロナから回復した人の血液で「治療薬」開発するプロジェクト 感染を経験したアナウンサーも研究に参加できる? (2021.10.8)

 伝え聞いたところでは、コロナ報道でもしばしばTV画面に登場している医師も、この試みを進めているとのことだ。ただ、国の機関が協力することはなく、民間企業の協力を得ているものの、その量はまだわずかにとどまっていて事実上ストップしているという。

 医師が個人的に試みられるのは、あくまでもその医師の責任範囲内のことで、患者さんとの合意の下で行われる個別治療である。だから、それを大々的に公表出来るとは思えない。おおっぴらにしたら、医師個人が責任を負える範囲をあっという間に超えてしまうからだ。
 病院などの組織レベルでも限局されてしまうのだから、世間に「回復患者由来抗体カクテル療法」として広めるまでには行けないのである。

 効果はあるのが判っていながら踏み出せない、というのは、何とも悔しい限りだと感じる。幸いにして、大騒ぎにはなっているものの、オミクロン株の毒性は低い可能性が高く、重症化率が低いまま推移している。もしかすると、COVID-19は、こののちごく普通の風邪ウイルスに落ち着く可能性もある。また、そうなって欲しいものだ。

 とはいえ、いつまた強毒性の変異株が現れないとも限らない。
 メルク社の飲むコロナ薬が話題になっているが、マイナーとはいえ、直接的にウイルス本体をがんじがらめにして感染できなくしてしまう方法があるのだから、抗体療法を軽んじることなく、出来る対策はとっておくのが国の姿勢ではないかと思う。
 そのためにも、国有組織の色合いもある日本赤十字社には、いまからでも是非一肌脱いでもらいたいと思う。
 たぶん、ワクチン屋さんに支払っている金額を遙かに下回る額で、安全な専用治療薬の開発が出来るのではないかと予想するのだが、どうだろうか。

アイドリングストップ 一般道走行時の40%以上は停車してるんだっ!

 Mです。

 昨日、仕事で浅草付近から埼玉県春日部市まで往復した。ほとんどの行程が国道4号線。通り慣れた道で、交通の滞りもいつもと同じ。片道およそ40Kmを、目的地までの下り方向は85分、帰りの上り方向は65分で走った。
  先週から、自分の車がトラブルで整備工場入りしているので、軽のレンタカーを借りて動きまわっている。車種はNISSANのDAYSで、ちっちゃい。ODOメーターを見ると、軽としてはもうご老体だろう、と思える7.5万Kmを指している。借りている期間中にThe Endにならないことを祈るばかり。

 Mは、洒落た機能の付いているクルマに乗ったことが無いので未経験だったことが、このクルマで経験できた。自動のアイドリングストップ機能が装備されていたからだ。

 これまでも同装置が付いた代車を使ったことはあるが、いつもOFFにしていたので使用経験が無かった。交差点で止まるたびにエンジンを切るのは、燃料消費は確かに減らせるだろうがバッテリーの消耗が進むので、代車でバッテリー上がりになるのはイヤだ、ということから使わないでいた。なにしろ、都内の運行では、しょっちゅうエンジンが止まってしまうからだ。
 今回のクルマでも、その条件は同じだが、昨日は幹線道路だし渋滞の状況もひどくないことを経験的に知っていたので、停まるのは信号待ちだけだろう、という予想で「アイドリングストップ機能」を試してみたのである。

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 その結果、予想以上の累積ストップ時間にビックリ。行程あたりのアイドリングストップ時間が累積計測されているので、それを面白おかしく観察しながら走ったのだが、なんと、行きの85分中41分(約48%)、帰りの65分中28分(約43%)が停車時間と出たのだ! 信号待ちは1/4くらいの時間かな、なんて思っていたのだが、そんなもんじゃなかった。予想の倍近く停車していたと判ったのだった。

 幹線道路の交通でこれだけ多いのだから、都内走行の場合は、半分以上の時間止まっているのではないかと感じた。しかも、信号が青でも動けないことがままある。トロトロ動いているときも走っていないのと変わらない、と考えると、ちゃんと走っている時間の2倍くらい「ほぼ停止状態」にいるのかもしれない。

 この事実を見せつけられると、クルマでの移動はまさに無駄の積み重ねなのだとわかる。
 ドック入りしている我が家のハイエースには、アイドリングストップ機構は付いていない。これからは、長い信号待ちがわかっているときくらいはエンジンオフしよう、と考えている。

 ところで、クルマ社会は無駄ばかりと判ってしまったものの、現実を思えば、公共交通機関を使って大荷物を持ち歩くことは出来ないわけで、走っているクルマがみんなで無駄をしているとは言えない。
 トラック輸送が事実上のメインになっている社会状況は変えようが無い。コロナ禍で在宅ワークが定着したため、その輸送手段はさらに重宝がられ、家で仕事、買い物はネット宅配、移動は個室で安全なタクシー、・・・で、生活の多くの部分がクルマに頼った社会構造になってしまっているのだ。

 エコ推進≒CO2削減の世界的な掛け声の下、エンジン車を廃して電気自動車化を推し進めてはいるけれど、その多くは自家用車クラスの話である。世の中の物流はほとんど大型車両の運行に頼っている。大量幹線輸送は鉄道や船で行ったとしても、最終目的地に移動させる部分はトラック輸送に頼らざるを得ない。そう考えると、総走行時間の半分近くを占める停車状態の間、エンジンを停めてしまうという発想はとても重要なことだとわかった。とはいえ、ガソリン車と根本が違うディーゼルエンジン主体の大型トラックでアイドリングストップを採用するのは、実用面でハードルが高い。       

 市中を走り回る宅配のトラッククラスなら、エンジンが小さく排ガス浄化装置も単純でなので、アイドリングストップ機能を付けたクルマは既に多く出回っている。しかし一方、幹線輸送に使われている積載量10tクラス以上のトラックは、ドイツで開発され世界中で使われている尿素を用いた排ガス浄化システムを搭載していて、このシステムは頻繁にエンジンストップをするとトラブルの元になる。また、エンジン始動に大電力を使う大型ディーゼルエンジンは、それでなくてもバッテリー負荷が大きく、アイドリングストップ機構は、搭載しているバッテリーへの負荷が厳しすぎるのだ。

 電気自動車化を進める流れは変えようがない。ただ、世の中の幹線物流を支えているトラック輸送を考えるとき、現状のディーゼルエンジンを廃止するのは現実離れした発想だと思う。そうではなくて、軽油燃料に頼ってきたディーゼルを、より排ガスがクリーンな液化天然ガスや濃縮天然ガスで動かす方向に変えて、排ガス処理装置の簡略化が大型車両でも取り入れられるようにし、バッテリー強化でアイドリングストップを使えるようにする努力は必要だろうと思う。

 当然、国主導の作業になるのだと想像するが、近いうちにエネルギー産業の大転換が起こるだろう。石油業界、ガス業界、電力業界、の3者が協同で総合エネルギー企業として再編されていくと思うのだ。そうしないと、社会インフラである給油、給ガス、給電システムが、自動車産業の変革に添えなくなってしまう。日本中にどれだけあるのか判らないが、ガソリンスタンドがエナジースタンドに模様代わりして、液体、ガス、電気のどれでも補給できる設備に変わっていくのだと想像するのである。
 そんな社会が、もうすぐそこに見えている気がする。