理系夫婦Y子とMの昭和から令和まで

都内で働く薬剤師Y子と、パソコン・DIY・生物などに詳しい理系の夫M。昭和30年代から今日までの実体験に最新の情報を加え、多くの方々、特に子育て・孫育て世代の皆様のお役に立つことを願いつつ発信する夫婦(めおと)ブログです。

Windows10にしないと!と焦る人に

Mです。

Windows7のサポートが今年いっぱいで終わるので、Win7マシンで仕事していると週一くらいで「サポート終わるぞ!」「10にアップグレードしてあげるぞ!」という、ご親切なメッセージが来る。本家Microsofさんばかりか、見たことも聞いたこともない名前のサービス会社からも、たびたび来るからいささかウンザリしている。

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2016年に、Windows7以降から10への無償アップグレードが期間限定で行われた。

ところが、本当のことをいえば、今でも自分でアップグレードは可能なのだ。Win7以降を使っているユーザーなら、今でもMicrosoftさんがアップグレードできるツールを提供していてくれるから、昨年のバージョンでなら自分でアップグレードできる。通信状況がちゃんとしていないと、けつまずいて途中で止まってしまうということもあるが、少なくとも有線のADSLグレードでもちゃんと入手できる。


Windows10 Ver.1809がそれである。(最新は今年5月のVer.1903)

Mirosoftさんのサポートページを探ると、
  リリース日:2018年11月13日
  バージョン:Windows 10, version 1809,
        Windows Server, version 1809,
        and Windows Server 2019
ということで、ちゃんと提供されている。しかも、実行ファイルで提供されているので、ダウンロード後にクリックすれば普通に作業している間に、Win7が10にアップグレードできるというありがたいお話。アップグレード後は、作業しながらWindows Updateで更新プログラムをドンドンダウンロードしていけば、半日くらいで最新バージョンまで持ってこられる。

興味のある方は、MediaCreationTool というタームで探してみてください。
使い方を説明してくれているサイトもたくさんありますので、ついでにそちらもご覧になると良いかと。

 

ただ、注意すべき点もあるので、無理はしないように。

つまり、あなたのマシンはWin10を載せて大丈夫か、ということ。

軽自動車にトレーラートラックのエンジンが載らないように、Win10が働けるだけの装備がそろっていないと、載せ替えるだけでは使い物にならない、という点に注意が必要なのだ。

 

第一点が、CPUの能力。今まで以上の演算を短時間にこなさなければならないので、非力なCPUだと思うように動けない。.実際のところ、IntelさんのCPUでいえば、いにしえのPen4レベルが乗っているマシンを使おうというのはやめた方が良い。せいぜい、QuadCore以降のCPUでないと難しいだろう。Core iシリーズならば大丈夫、といったところだろう。AMDさんのCPUが好みの方なら、Athron XPは難しい。Phenom系以降ならぜったい大丈夫、といったところだろう。これは、実際に自分のマシンで試してみた感触だから自信がある見解だ。Note PCについては、Mは関心がないのでわかりません。基本は通じると思いますが。

 

このCPU選択はメモリーの規格にも深く関わっているわけで、メモリーの規格の側から見ると、DDR2時代でどうにかなるものの、やはりDDR3以降のメモリーになっているマシンでないと、Win10は重荷になる。

CPUとメモリーは、基本的にマザーボードの構成の基本要素で、これらの組み合わせで情報処理スピードが決まってくる。つまり、Win7以降から10にアップグレード可能といっていること自体が、Win7がスムーズに動く環境が最低限、ということを示しているのだ。そう考えると、Win7が十分に働けるマザーボードは、上で述べたようなCPUとメモリーの規格で作られている、ということの裏返しでもある。

 

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そしてもう一点、OSは32ビットだとまずい。
なぜならば、Win10は、OSが動くだけでも最低で2GB の物理メモリーを必要とする。しかも、アプリケーションを動かし始めるとあっという間にプラス2GB以上必要となるから、Win10駆動には最低4GBのメモリーが必要、ということだ。

 

ところが、32ビットOSは、マザーボードに4GBを超えるメモリーを挿しても最大4GBしか認識できない。だから、Win10は苦しくなってしまうのだ。動かないことはないが、思ったように働けない事態に陥る。Win10を働かせるに足るCPUとメモリーを載せていても、作業場が狭いのでうまく動きまわれないのである。

Win7に変えた当時、まだアプリがほとんど32ビットの時代だったので、32ビット版のWin7を選んで使っている人がかなりいるはずだ。残念ながら、Win10へのアップグレードを望む場合には、Win7自体を64ビット版に変えてからの方が良いと思う。あるいは、あきらめてWin10正規版を購入した方が早いかも知れない。

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※ 2019年8月10日現在、最新のVer.1903(2019年5月)のMediaCreationToolが公開されていて、上記Ver.1809と同様に機能することが確認できています。公開場所は下記。

https://www.microsoft.com/ja-jp/software-download/windows10

注1)既にWin10にアップグレードしている方は、自動更新でVer.1903の更新がかかっているはずですので、上記にアクセスする必要はありません。Win7,8でお使いの方は、こちらでアップグレードすれば、1903への更新を行わずに済みます。
注2)通信環境が充分でない不安がある場合、Tool実行時に現れる画面での方法選択で、「このPCを今すぐアップグレードする」を選ばず、第2項目の「別のPCのインストールメディアを作成する」を選ぶ方が安全です。7Gb以上の容量があるUSBメモリーを用意して、そこにダウンロードすることで、通信不良でダウンロードが上手くいかなくても実行しているPCに影響は残りませんので、上手くいくまでトライ可能です。また、上手くいった後は、そのインストールUSBを使って他のPCへのインストールも可能となります。ただし、クリーンインストールを行う場合は、プロダクトキーの入力が求められますので、別途キー入手が必要です。(裏技もありますが・・・)

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それにしても、Mirosoftさんは、なぜWindows10の無償アップグレードを密かに続けてくれているのか? それは、以下のような流れの中で、これから先のユーザーを離さないでおきたいということなのだろう、と想像している。

その流れというのは・・・

 

Mirosoftさんは、ゲイツさんの時代からOSを次々と進化させることで、PCというハードのグレードアップを促してIT世界を突き動かしてきた。3年とか、5年でOSが刷新されてはPC新時代が訪れる、という、ユーザーから見ると「またかよ!」を繰り返しては収益を上げてきたのである。能力アップさせることで作業効率がどんどん上がり、世の中の技術革新を支えてきたのだから、儲かって当然。決して悪いことなどではなかった。むしろ、仕事の効率アップの点で、Mは感謝しているユーザーの一人である。

 

ところが、2007年にアップルさんがiPhoneを世に出して世界が変わった。

PCにとらわれない新しいIT時代を創り出し、モバイル機器の発展が驚くほどの速度で進んできた。デカくて難しい操作が必要なPCは、一般の人々が使わなくても済む時代になって来たのである。そんななかで、PCといえばすぐ思いついたIBMCompaqGatewayなどという大手PCメーカーは撤退や吸収合併でいなくなってしまった。マシン販売だけでなく周辺機器や運用システムの提供という複合的なサービスを行っている企業だけが、いまでも独自ブランドのPCを作り続けているのだ。

なにしろ、大学の卒論をスマホで作って提出できる時代だ。40年前に学生だった我々からは嘘のような話が現実なのだ。

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そういう時代になると、PCの性能も革新的な変化は起こりえないほどの高みに到達してしまっている。だから、もはやOSを買い換えてもらうことで企業収益を確保できる見通しはない。Microsoftさんの現CEO(2014年2月就任)のナデラ氏は、Windowsナンバーを次々と変えて新たな収益源としてきたこれまでの方針をやめると公表した。Windows10を最後のナンバーにして、様々な機器に通じる基本OSとしての基盤を確保しながら、それを利用する人々へのサービスを多様化させて新たなニーズを獲得する、という方向性を示している。残念ながら、Mは末端ユーザーとしてはあまり多様性を求めていないので、ナデラ氏の期待には添えないかも知れない。でも、その構想は間違っていないだろう。

 

以前、世界のSONYと呼ばれて世界中のオーディオ&ヴィジュアル機器界を席巻していたハード屋さんが、それだけでは恒久的な事業構築ができずにソフト産業に活路を求めたように、PCと一体になっているOSだけでは、世界が限られてしまう。むしろ、アップルさんが独自OSをベースにユーザーのニーズを掘り起こしては新しい波を作り出してきたように、普及率では群を抜いているWindowsというOSを基盤として、Win10の更新は無償にしてしまうことで顧客を確保し、そのさらなる進化には新しいハードやソフトをセットで提供していく、というスタイルに変えようというのだろう。

 

そんな世の中の流れを知っても、MにとってはPCはやっぱり頼れる道具であり相棒である。
だから、Mirosoftさんには、これからもがんばっていただきたいと思うのである。たぶん、どこかで金銭的にもMirosoftさんに貢献しているだろうから。

 

 

辛さ つながり;COCO壱番屋 おそるべし!

Mです。

 辛いもの好き、というか、辛さを足して食べることを好む者として、疑問に思っていることをひとつ。

 激辛ブームがあった、というか今でも時々耳にするのだが、あれは、辛さに耐える挑戦なのだろうか。

 ”辛くても旨い” ものや、”辛いから旨い” ものがあるのは確かだが、それらはどんどん辛くすれば旨くなるというものではないはずだ、と思う。激辛挑戦は、味がわからないと言いながらただ辛みに耐えているだけで、何がしたいのか判らん、というのが感想。


 七味やコショーをかけるのは、その料理がまず旨いことが前提で、それを更に自分好みの味に変えたいがための行為だ。不味いから辛さで誤魔化そうというのではない。不味いものは、辛さを足そうとハナから不味いのだから、七味をかけようがコショーを足そうが無駄なのである。Mは、そんな対象に無駄にコショーをかけることはしない。もちろん、食べ物を残すことはしたくないからたとえ不味くても完食はするけれど・・・

  そもそも、辛さに対する感受性は個体毎に大きく異なっていて、ほんのちょっとの唐辛子粉が入っているだけで料理の味がわからなくなってしまう人もいれば、その刺激がたまらなく好きだという人もいる。後者は、さらに辛くすればもっと美味しい、と唐辛子を加えて笑みを浮かべる、なんて光景も浮かんでくる。つまり、辛さの感受性が高い人はピリリとした辛さで充分なのだから、全体のバランスを考えれば唐辛子控えめで調理して貰えばよいし、感受性の鈍い、というか耐性の高い人は、バランスを考えながら辛み増強を頼めばよい。基本は、辛さを食べるのではない、というところがいちばん重要だろう。

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  だから、辛さを足したいというタイプの人は、どんな辛さを足すべきかをいつも考えていて、それを実践してきているはず。辛さが苦手な人には理解できない楽しみ方がそこにある、というだけのことで、何も特殊なことではないと思う。

  そんな辛さのステップアップサービスが、ラーメン屋やカレー屋にあることはよく耳にする。× × 倍の激辛、とか書いてある。それが、味全体のバランスをちゃんと考えている辛さなのかどうかが重要だと思うが、そのあたりの論評はあまり見かけない。

  その点、つい最近になって初体験したカレー屋さん”COCO壱番屋”は、なかなかの技巧派だと感心している。

 

 名前はだいぶ前から聞いていたような気がするし、田舎でも都会でも所々で目にしていたが、わざわざカレー屋に入るのもなぁ、どうせカレーだろう?という気がして、一度も入ったことがなかった。ひょんなことから同行者の勧めで入ってみたのだが、味のバランスを崩さないで辛くしていく技術に感心し、唸った!

 ココイチと呼ばれていてかなりの厚いファン層を持っている店だと知ったのも今年になってから。そういう方々のブログなんかを眺めていたら、辛さは10段階で、5段階経験者でないとそれ以上の辛さは店側が許可しないと書いてあった。へえぇ~面白い、と思うと同時に、ウソだよそれ、と思わず口に出た。

 だって、初回にもかかわらず「一番辛いのください」って頼んで、現に10辛とやらを食べたのだから。

 

↓ COCO一番屋さんのメニューから拝借。この10辛をたのんだ。

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 たしかに、そう注文した時に店員さんが、「本当に大丈夫ですか?」と念を押すようなことは言ったが、「5辛を食べたことはありますか」とは聞かれなかった。相方が、「ホントに10辛いくんですか?」と聞いてきたが、My唐辛子を持ち歩いていることを知っている彼は笑って言っただけ。「問題ないと思います」と店員さんに答えると、厨房内でちょっとザワザワしたけれど、それ以上のことは起こらず、10辛とやらがしばらくしてやってきた。

  見た目は、相方の2辛と比べてけっこう黒い。粘性も高いのかルーが盛り上がって見えた。黒いということは、良くあるいい加減な激辛屋のように、ただただ唐辛子粉をつっこんでいるのとは違うのだと判った。しかも、香りはなかなか良い。これはただ辛みを加えているのではない、と感じてスプーンでひとすくい。ヒョイと口に放り込む。
 なかなかっ!!が、最初の印象。バランスが良いのだ。辛みは、というと、たしかに辛いが舌や咽頭部にしびれを起こすような辛さではない。むしろ、他の香味スパイスと良く混じり合った見事なハーモニー。2さじ、3さじ、と進んでも辛さでうまみがわからなくなることもない。ちゃんといろいろな味が広がっていく。相方がちょっと心配そうに見ていたが、何のことはない、絶え間なくスプーンを進めて数分で完食。

結論、旨かった、の一言、でした!

 食べ始めた頃、スタッフがチラチラ見ていることもわかったが、どうやら大丈夫そうだと安心したのだろう、途中から視線を感じなくなった。

 カレーというだけなら、ほかにもいろいろなコクのあるものを経験してきているが、coco壱番屋さんのカレーは、特別なコクとかを表に出してはいないものの、”バランスのとれた辛さ重視のブレンド”が上手だと思う。そういう点で、きっと上位クラスのカレー専門店なのだろうと感じた。

これからも、ときどき食べたくなってしまうかも知れない。

 そうそう、ココイチといえば、つい3日ほど前に、「ココイチ インド進出!」のニュースをどこかで見た。

 カレーの本場に殴り込むのか、と思ってしまうが、そもそも、日本で育った日本のカレーは、本場のカレーとは異質のモノだ。起源はもちろんインドなのだろうが、ジャポニカ種のもっちりした米に合うように工夫された、ジャパニーズ・カレーなのだ。インド進出の中心を担う三井物産さんのインド現地社員が、研修で日本滞在中に食べた「ココイチ カレー」が美味しかったと、帰国後に評判になったのだそうだ。いける、と判断したのがインド人スタッフの評価にあったのだという。

成功を期待したい。

 

 ところで、辛さのランクに1辛の ○ ○ 倍、とか表記してあるが、あれはいったいどういう倍率表現なのだろう。しかも、5倍、7倍、とか中途半端な倍率が連なっていて理解できない。
 そもそも、ヒトの味覚は、倍率表示できるようなものではなく、あるレベルまでいくと比較できなくなっていくから、○ ○ 倍とかいう表現はそぐわない。すごく辛いと、もうそのあとは辛みを加えても差が判らなくなるからである。

 それは、他の味覚でも同じことだ。
 せっかくだから、辛み成分△△%増量とか、比較できる具体的な表現にしないと意味がないと思うのだが、如何だろう。

 いきもの屋の常で、ちょっとゴネてみました。(笑々)

USBメモリーの価格が急落してるみたいだ!

Mです。

USBメモリーの価格低下が著しい! かもしれない。

 作業に使っているキーボードの反応がおかしくなってしまった。Dのキーが反応しない。結構使うキーなので放っておけない。近所まで打ち合わせで出向いたついでに、秋葉原に立ち寄ってで調達してきた。もちろんお兄ちゃんたちがたくさん集まるエリア。

 とはいえ、購入目的はさすがにジャンクではない。ジャンク屋さんで扱っている新品を物色。ちょっと時代遅れになったり、廃版になったものが一時期だけドッと流れてきては消えていく、というタイプの新品狙いである。そういう類の品物が得意な店に行くと、実にタイムリー。USB有線マウスが抱き合わせになった箱売りのUSBキーボードが3ヶ月保証付きでなんと880円。マウスなしでは500円の箱売りもあったが、せっかくだからマウス付きを購入した。

 とそのとき、レジ上にびっしりと吊り下げられている価格リストを眺めていたら、USBメモリーの価格が驚くほど下がっているのに気付いた。しっかりしたブランドものにもかかわらず、先月初めの価格の半分以下になっているではないか。32GBのフラッシュメモリー(○○disk製)が370円だって! ウソだろ~って思って、お兄ちゃんに聞いたら、先月末から一気に相場が下がったのだそうだ。何でなの、と聞いたが理由はただ、ダブついているらしい、というだけで本当のところは判らない。韓国への半導体、液晶原材料などの輸出厳格化を打ち出したことでいろいろ波紋が起こっているさなか、在庫をはたいてお金に換えてしまおうというのか。それとも、どんどん大容量化していくカード型メモリー市場に押されてUSB媒体が衰退しているのか? あるいはまた、Type-C規格が本格化していく流れの中で旧タイプのUSB規格は続かないと見てたたき売りに走っているのか。

 どうにも理解しがたいのである。

 ↓ 調べてみると、32GB USBメモリーの価格は最安値ものは昨年末既に底値状態で、平均価格もここ1ヶ月で急落していた。ブランドものも一気に下落したということだろう。(価格コムさんのデータを転載させていただきました)

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 ユーザーとしては、USB3.0グレードで十分使い勝手がよいから、安くなるのは ”結構毛だらけ” だが、ちょっと不思議な動きだ。

 Mが毎日使っている64GBのメモリー(3.0規格)は、2年前に結構安いと思って確か1200円で買ったものだ。ほかにも32GBタイプを2本使っているが、同時期にそちらは980円だったものだ。それが、いまは半分以下の価格。本当に、半導体業界の価格競争は熾烈だと思う。必ずしも旧式だから、などという理由ではないのにこの下落速度は驚くしかない。しかも、そのリストでは16GB以下の記載はすべて抹線で消されている。つまり、もう16GB以下は売れない、ということなのだ。きっとそれらの容量のメモリーは、間もなくどこかの店で100円箱に入って売られることになるのだろう、と予想している。

↓ 上が、今回370円で買った32GBモノ。下は愛用の当時1200円の64GB。

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 そもそも、文書やプレゼン資料などを持ち歩くのに重宝しているUSBメモリーの必要容量は、実際上32GBでも充分すぎるくらいだ。16GBだってDVDディスク4枚分ある。映像資料をふんだんに使ったって、それでも半分も使わないのだ。ということは、プレゼンなんかに使うための資料は、もうすぐ100円メモリーに案件毎に収納していけばいいことになりそうだ。

 それはそれで、とても便利。ディスクに番号を振って、案件と1対1対応させればよいから、複数案件を大容量のメモリーに混在させておく必要がなくなる。どこに入れたっけ、なんて慌てなくてすむ。

 ただ、記録媒体がどんどん進化して旧い物が使えなくなる、ということを何度も経験してきている爺さんとしては、どんどん安くなるアイテムは、一方で恐怖を呼び起こす。もしかして、これももうすぐ使えなくなるの? と思ってしまうわけである。当時とても重宝していたMOは、今や化石のような存在だ。

 が、USB規格はフロッピーやMOが無くなってしまったようなことにはならないと思っている。実に使いやすい仕組みでPC側のコネクタとして多用されているからである。Windowsの回復ディスクやBiosのアップデートにも標準的に利用されているという点も、捨て去られにくい方向にはたらくと思う。

 爆買いしても意味はないが、どこかで16GBや8GBクラスのUSB3.0規格が100円箱に入ってこないかな、とひそかに狙っているMである。

尺は2種類 なんでなの?

Mです。

またまた”物差し”つながり

差し金=矩金=曲尺・・・とあった中で、尺という長さの単位が現れる。

 この単位は、現在でも和裁の世界では使われているし、古老の大工さんに薫陶を受けていた人たちは、いまでも柱は ”4寸だぞ” とか尺貫法の表現を使っている。差し金も現在はJIS規格で寸表示はなくなっているものの、12センチ角とはいわずに4寸角と言った方がイメージしやすいのかも知れない。 そして、現実に使っている長さの単位は、ちゃんと製品として生き続けているものもある。 

  ↓ 寸目盛り付きのコンベックスもあるんだ!  

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 尺という長さの表し方は、やはり中国に起源を持っている。ただ、中国の尺は、開いた掌の親指から小指の先までの長さだったそうだ。それで基準になるのか?と疑問にもなるが、たとえばその時代の皇帝の掌を基準にして原器でもつくってしまえば、公認の長さになったのかも知れない。(そんな記載は見たことがないので完全な想像です。)

 中国とは全く別個に、ギリシャ時代には、肘から中指の先までを身体尺として使っていたというから、人がモノの長さをイメージするとき、自分の体の部分を使って大まかに計る、というのはごく自然だったのかも知れない。

 事実、Mはメジャーがないとき自分の右手を基準にして計ることがよくある。目一杯伸ばすと21.5cmとわかっているから、これでだいたい用が足りてしまうのである。

  そんな長さの単位である尺に、大工用の差し金(曲尺:かねじゃく)の尺と、和裁の物差し(鯨尺:くじらじゃく)の尺の2種類あるなんて、50代未満のほとんどは知らないのではあるまいか。

 大工さんの尺と、先ほど書いた和裁の尺とでは、同じ単位のようで実は違うのだ。曲尺の尺はおよそ30cmだが、鯨尺の1尺はおよそ38cm。実は、だいぶ違うのである。

ちなみに子ども時分のMが折って怒られたのは鯨尺だ。

  ↓ センチ目盛りと尺目盛りが振ってあるタイプの長いヤツ(3尺もの)を折った!

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 なぜそんな違いができたのかに興味があったのだが、ちょっと調べてみただけではわからなかった。継続調査中である。

  この両者の基準を決めたのは明治時代で、それまでの曲尺鯨尺メートル法に則って定義したということだけは確かだ。10/33メートルを曲尺の尺と決め、その1.25倍を鯨尺の尺と定義したのだという。そして、後者は反物(たんもの)の世界だけに認めるとした。

 ちなみに、鯨尺という名前は、もともと鯨の髭を素材にして裁縫の物差しを作ったことから来ている。江戸時代の捕鯨誌を見ると、有名な捕鯨地である土佐での捕獲対象はマッコウクジラセミクジラだったようだ。マッコウクジラは歯鯨だから、セミクジラの髭が鯨尺になったのだろう。

 そういえば、釣り竿も尺か間で長さを言い表していた。こちらは曲尺の基準で、竿の長さは2間とか、2間半とかで言い表していた(1間=6尺)。利根川中流域で釣りばっかりしていたMは、グラスファイバー製の2間半竿を買うのに、お年玉で買えると思っていたら、それでは足りず、ちょっと遠い街場までのお使いで駄賃を貰う約束を取り付け、何回もお使い働きをしてようやく目標額を獲得した、という経験がある。今の釣り竿はカーボンファイバーでだいぶ軽くなったが、ズッシリとした感触のグラスファイバー製が何とも懐かしい。 

  

  ほんとうに知りたかったのは尺の起源なのだが、こちらも、今のところギブアップ。あわせて継続調査中である。

 

 と、ここからはMの完全な想像なのだが・・・

 まず、鯨尺に関しては ”身体尺” に関係しているのだと思うが、どうだろう。

 鯨尺の場合、着物の寸法に使ったわけだから、たとえば誰か超大物(天皇?)の肘から手首までの距離を1尺と決めたとかではないのかと思う。

 そうすれば、袖丈は2尺でちょうど手首までとか、アナログ的に実に効率的に思える。ちなみに、肘から手首の前腕を構成する2本の骨のうち小指側のものを尺骨と呼ぶ。

 これは江戸時代に大槻玄沢さんという杉田玄白さんの弟子が、師の解体新書の続編を作った時に命名したのだそうだ。が、その理由はよくわからない。

 

 一方、曲尺の場合は家を作るための寸法なのだから、こういうのはどうだろう。

 まず、大柄な大人ふたりがすれ違える幅を家の間口にした。それを一間と決めた。からだを前から見れば頭と両肩で3部分。だから、一人分を3等分して、それを1尺にした。1間はその二人分だから1間=6尺。と思うわけ。ついでに、これが基準になると、身の丈6尺の偉丈夫でも、横になれば3尺×6尺の長方形で収まるから、それを畳の基準単位に、なんてことではないのかなぁ、と想像するのである。

 

えっ、間尺に合わない?
こりゃ、失礼いたしましたぁ~~~(笑)

ツクモさん 久しぶりの良コスパNote PC

Mです。

 秋葉原の老舗電気屋さんのひとつ、ツクモ電機。10年ほど前に事実上倒産して、ヤマダ電機さんの傘下で、だいぶ小さくなったが、秋葉原では以前と同じたたずまいで営業している店舗が残っている。

 2000年頃は、1990年代から続いていたオリジナル・パソコンの販売とパーツ販売で店舗内が常に賑わっていた。自作PCにハマリ出した頃のMも、TSUKUMO .eXカードを持って、ちょくちょくパーツ探しに行ったものだ。内蔵パーツやメモリーの新品が他店舗よりいつも安めで、5軒ほどの店を回って行き着くのがツクモ、というイメージがあった。それでも、競争は激しかったから、最初からツクモさんでいいや、とはならなかったのも事実。今の主流アイテムはほとんどスマホ関連だから、隔世の感が強い。

 ツクモさんの始まりは、進駐軍が駐留していた太平洋戦争敗戦後の万世橋たもとのジャンク屋だったと聞いている。進駐軍の放出品を路端に並べてたたき売っていたんだ、と大先輩から聞いた。始まりは無線機関係の電機製品だったということ。九十九電機が始まりの名前だった。

 80年代はじめまではその流れで無線機の事業展開が中心だったが、PCブームに乗って一気にパソコン事業に展開した。Mがお世話になったのはその事業が最盛期を迎えていた頃だった。

 しかし、その後はソフマップさんなどが徐々に強くなると同時に、PC自体が小型軽量化の方向に流れたため、パーツ販売に強みがあった戦略では流れに乗れずに、いつしか影が薄くなってしまった。

 現在のツクモさんは、ヤマダ電機傘下のProject White(※)という会社になってオリジナルパソコンとパソコンパーツ販売を事業として行っているのだそうだ。ex.computerというのがオリジナルPCの名称なのだというが、Mはほとんど聞いたことがない。オリジナルパソコンといえば、秋葉原ではドスパラさんが以前から頑張っているし、注文生産であるBOTパソコンではマウスコンピューターブイブイいわせているので、それらの陰に隠れてしまっていたと思う。

※ Project White → なんじゃそれ? と思っていたら、なんと ”九十九歳を白寿と呼ぶのと同じ” で、百から一をとって白、つまりは「プロジェクト九十九」なのだそうです。年代を感じさせるダジャレですなあ。

 そのツクモさん、ちょっといいかも、と思うNoteマシンを久しぶり(ごめんなさい)に発売するそうだ。下のNoteを7月11日発売、というニュースが流れている。

 以前、再生NotePC販売について書いたが、こちらは紛れもない今様の新品である。

 

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 eX.computer TSNB14UP1 という名前のBTOノートである。

 光学ドライブなしで薄く、安くしたのが最大のメリットで、14.1型の非光沢液晶、64GB SSD仕様。CPUはCeloron 3867U(昨年発売)だから、ハードな仕事には向かないが映像用CPU,つまりGPU内蔵(HD610)なので動画再生はスムーズだろう。OSはWin10Pro(64bit)で4Gbメモリーを載せている。

 このスペックで、29800円に抑えるという。新作のNotePCが3万円を切るのはとても珍しいから、持ち歩いてビジネスに活かすにはなかなか使いやすいツールだと思う。

 記憶容量が64Gbと小さいが、SSDを用いて稼働速度を稼いでいる点を評価すべきで、データはカードやUBSで持ち歩けばよいのだから問題ないだろう。USBは3.0だけでなくType-Cもついている。軽いけれどそこそこの画面サイズで、キーボードがついているから、持ち込み先での各種操作が簡単に行える、というメリットの方が大きく、十分ビジネス利用できると思った。

 通信にはWiFiまたはBluetoothを使えば良い。miniHDMI端子付きなのでテレビやプロジェクターと接続可能だし、ウェブカメラもついている。ビジネス用に打ってつけだ。

 打ち合わせのときに、キーボードのあるなしは結構重要な要素になる。

 購買欲を、ちょっとだけくすぐられている。たぶん見るだけ、だけど・・・

 

 

「孫育て」と「祖父母手帳」

薬剤師Y子です。

子育て、孫育てに奮闘する皆様、「祖父母手帳」を、ご存じですか?

祖母としては若輩者の部類に入る薬剤師Y子は、ごく最近になって知りました。 

有料(200円)のものと、無料でダウンロードできるものがあります。

www.magosodate-nippon.org

ご興味をお持ちの方は、是非ご覧くださいませ。

 

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Y子には「既婚で子持ちの息子」が一人、「現時点で独身の息子」が一人います。

しばらく前のこと。「夫M、独身の息子(=次男J)、私Y子」の3人でMの実家に行ってお墓参りをし、Mの母(80代後半)と色々な思い出を語り合いました。

 

次男J(30代前半)は、2歳の時に父方の祖父(Mの父)を亡くしています。

祖父を思い出そうとした時に「記憶の地層」の底の方から掘り出せるシーンは2つだけ。でも、その2つ「家で元気そうに振る舞っていた時の姿」と「最後の入院時に寝ていたベッドの特徴」についてなら、かなり詳しく語ることができる、というようなことを話していました。

また、祖母とは年に3~4回しか会わないのですが、いつ会っても優しく接しているので、「Mの母の孫育て」は大成功だったんだなあ、私も義母を見習いたいなあ、とY子は感じています。

 

今回も、互いに相手の使う単語の意味が分からなかったり、かなりズレていたのに急にパチリと噛み合ったりする義母とJとの微笑ましい会話を横で聞いていたY子は、心の中で「孫のため~、猫でも泥でも被ります~」と何故か七五調で吟じ、その自らの即興作品が気に入って、一人でニヤニヤしていました。

 

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ちなみに「ネコをカブる」とは「本性を隠しておとなしそうに見せること。また、知っていながら知らないふりをすること」であると、下記のサイト「コトバンク」に書かれています。

「子育て」の時とは違い、「孫育て」の中で出会う人たちは多くがY子より年下で、頼りなげに見えることも少なくないので、必要に応じて上手に猫をかぶりたいと思います。

猫を被る(ネコヲカブル)とは - コトバンク

 

「ドロをカブる」とは、同じくコトバンクによれば「他人の悪事や失策の責任を負う。損な役割を引き受ける」という意味。悪事は別として、孫を育てていく中で誰かが引き受けなくてはならない損な役回りに関しては、祖母Y子、進んで引き受ける所存でございます。

泥をかぶる(どろをかぶる)とは - コトバンク

 

「子育て世代」と「孫育て世代」の間には、世代間ギャップがあります。

でも、こちらの「祖父母とのおつきあい10カ条」を読むと、違うのは当たり前、と思えるようになりますよ!

私も「違い」や「ギャップ」を楽しみながら、30代の息子世代、乳幼児の孫世代と共に成長していきたいと思っています。

www.magosodate-nippon.org

  

さしがね と読むものがゾロゾロと

「子育て・孫育て中こそDIYを!」と、ときどき大声で言いたくなるMです。

 

物差し」つながりで、以前から興味があった”差し金”についてググッてみた。

 大工さんが使っている長くて直角に折れたそれが、子ども心にカッコ良かった。

 腰に下げた道具袋から尻を出しているスコヤ(直角出しに使うピストルのような定規)もカッコ良かったが、60cmくらいあって鈍い銀色に光っている差し金は、鑿(のみ)、鋸(のこぎり)、鉋(かんな)と四天王を張っていると感じていた。

 ↓ スコヤはこんなの

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 玄翁(げんのう=かなづち)も釘打ちに必須だが、長さを測ったり角度を取ったりできる差し金あっての大工仕事だから、釘打ちは二番手だったのだ。

 この”差し金”、形から曲尺と書くことの方が多い。ドイト店なんかでは、まずこちらである。場合によっては直角定規なんて分類で置いてあったりする。指金、指矩(矩は、矩形というように直角の角を持つ形の意味)、とも書かれることがあるから、同じ物なのかどうか迷ってしまうアイテムだ。

 全くの余談だが、「テメエ、誰のさしがねで親分を狙いやがったんでぇ!!」というような場合の”さしがね”は、芝居小屋で蝶の型紙なんかを離れた位置から操ったりする道具のことだそうだ。棒の先にくぎを打ったり針金をつけたりして、そこに物を引っかけて使ったとのこと。ただ、大工の棟梁が指矩で指図したからだ、という説もあるらしい。

  いずれにしても、この差し金、カッコ良さの理由はいぶし銀の姿にあるのではない。大工さんが、その裏表を器用に使って色々な墨付け(材木の上に線を引くこと)をする作業が、子ども心に<エキスパート>を感じさせたのである。

  その大工さんは我が家を建ててくれていた遠い親戚筋の親方で、小学生だったMが見ていると、大工道具を色々説明しながら使ってくれた。その中でも差し金の説明は秀逸で、単なる物差しではなくて、角度も作れれば算術計算も簡単にできる魔法の道具だとわかった。

 ↓ 今様の差し金 (短手の内側目盛りが丸目、長手内側目盛りが角目)

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 学校で使う物差し(Mは線引きと呼んでいた)のように長さを測るなんて最低限で、裏返すとそこにはへんてこな目盛りが振ってあって、それを使うと角材から6角柱や8角柱が簡単に作れるとか、丸目という目盛りを使うと丸い物の周が判るとか、角目で計ると丸材から切り出せる最大の角材寸法が判るとか、それはそれは算数好きのMにとっては魔法の道具に思えたのである。

  丸目が円周率倍された目盛り、角目が√2倍された目盛り、ということをちゃんと理解したのは中学になってからだが、大工仕事の奥深さを実地体験させてくれたアイテムこそ、差し金だったのである。

   差し金の裏目盛りはどうやって作られたのか、それを考えるといにしえの人の知恵はすごいなあと思う。

 考えてみれば、ピタゴラスさんたちがいろいろな算術法を考えて利用していた知恵がひろまっただけではなく、同じような天才、秀才がそこここで生まれて独自に同じ結果に辿り着いていたというのも当然なのかも知れない。和算と呼ばれていた日本の算術も、子どもの頃読みあさった百科事典のなかで、光り輝く解説に見えた。

  こういった道具たちは、そういういにしえの知恵が形になった物で、すべてアナログ世界のアイテムだが、それを使いこなせる人間は、決してAI社会になっても光が翳ることはないと思う。デジタルのアイテムにはできない微妙な工夫も、アナログアイテムだから出来るのである。

  しばらく前にブームになったかに思えた ”ものづくり” という言葉が、最近あまり耳に届かなくなった。寂しい限りだ。

  子どもにスマホを与えるのも良いが、その一方で、アナログアイテムの底深さを楽しく教えられる人も養成した方が良い。

 だって、今のAI化社会の根元も、それまでのアナログ技術から生まれたのだから。